アメージング・グレース

沙猫対流

前編

 僕はただドラムを叩く。低く力強く、ただ一心に。前方ではギターとサックスの2人が、甘く軽快にそれぞれの楽器を鳴らしている。

 スウィング・ジャズで大事なのは、聴く人が口ずさみたくなるようなメロディ。それは2人の仕事。僕はドラムで下地を作るんだ。2人がしっかりリズムに乗れるように。お客さんも心のまま、うきうきとした気持ちになれるように。


 じゃあん、と清々しい音が響く。僕は緊張がとけたように、顔を上げた。ボーカルの森田さんが勢いよく、アコースティック・ギターの弦を指の腹で擦ったんだ。 


「――新曲『夕まぐれのスキャット』でした、聴いてくれてありがとう」


 森田さんは帽子を取り、わざともったいぶったお辞儀をする。

 ぱら、ぱら、ぱら。

 駅前の、野外ステージの前に並んだベンチからは、雨垂れのような拍手。

 見渡せば、暇を持て余した学生が数人。ベンチの隅の女の人は、メッセージアプリを忙しなく覗き、誰かを待ってる。前のめりになって聴いているのは、糊のきいたワイシャツのおじいさんと、穴あきジーンズの若者くらい。それに、出番を待ってる先輩バンド数組を除けば、ちゃんと聴いてる人はほとんどいない。

 ――それもそうだ。僕たち「アルファ・ケンタウリ」は結成して数年のスリーピース・スウィング・ジャズバンド。知らない人や、ジャズに興味ない人がほとんどでも、無理はない。


「いいぞー、アルファ・ケンタウリ!」


 静けさを打ち破るように、最前列にいたホリさんが、喝采を送った。今日の合同野外ライブに、僕らを呼んでくれた大先輩バンドマン。


「森田ー! 赤瀬ー! 今日の演奏もキレてんなぁ!」

「牧ちゃんのドラムもカッコいいよーっ!」


 それを皮切りに、ホリさんの仲間たちも、次々に声を張り上げる。客席からもつられて、さっきより力強い拍手の音が、ぱちぱちとはじける。照れるぜ、と森田さんはもしゃもしゃの癖毛頭をかいた。僕はドラムセットの前にまわり、ぺこりとお辞儀をした。みんなにもよく見えるように。


「牧ぃー、まだ出番は終わってねーぞ。気が早いって」


 あははは、と声がした。アルトサックスの赤瀬くんが、こっちを振り返って笑っている。


「うん。どんな形でも、皆に聴いてもらえるのは嬉しいし、楽しいからね」

「正直だなぁ。ほんとに音楽好きなんだな、お前」


 僕は頷いた。実際その通りだ。自分が音楽の一部分になれて、それを直接聴いてもらえると、いつも心がぽかぽか暖かくなる。でも、あんまりその気持ちが顔から見えない、ってよく言われるけどね。

 森田さんが癖っ毛をかき上げて、ギターを構えなおした。


「さぁ、おしゃべりはそこまでにしとこうぜ。お客さんが、俺たちの歌を待ってるんだ……」


 そこまで言いかけて、ふっと口をつぐみ、客席へじっと視線を投げかけた。


「あれ、どうしたの、森田さん」と、僕。

「なぁ牧くん、あの迷子、まだ帰ってないぜ」


見れば、5~6歳くらいの小さな男の子が、ベンチの端っこに腰かけている。ぱっちり開いた大きな目は、ステージに釘付けだった。


「迷子? うーん、あんな子、いたっけ」

 僕はつい首をかしげる。

「いや、牧が気づく前から、ずーっとそこに座ってたよ。オレ、何回か目が合ったし」


 赤瀬くんが口を挟む。オレがサックス吹きながら見てたから大丈夫、と付け加えて。

 僕は苦笑する。集中してドラムを叩くと、つい周りが見えなくなっちゃうんだ。バンドの2人もそれはよくわかってくれてんだけど、こういう時はしっかりしなくちゃと思う。今日はお客さんも、他のバンドもいい人たちだから良いんだけど。

 男の子の方にちらりと視線を投げると、僕たちの当惑なんて意にも介しちゃいない。目をよく開いて、姿勢も崩さず、口を真一文字に結んでこっちを見てる。


「僕たちの曲、好きじゃないのかな、森田さん? 大きな声で歌ってたら、小いちゃな子は怖いかもしれないけどさ」

「やれやれ、だとしたら参るぜ……ここらで切り上げて、親御さんを探した方が……」

「リュウ! あんたったら、こんな所にいたの?」


 その時、新たな声がした。ジーンズに、縞模様のシャツの女の人が、こちらへ駆けてくる。男の子の顔がほころんだ。「あ、おかーさん!」と立ち上がって手を振った。

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