『大好きです』
青下黒葉
図書館で想う
「運命の人ってね、なんとなくその人の匂いが好きとかその人の隣が落ち着くとか、その人自身の魅力に安心感を感じる相手の事なんだって」
悲しそうに僕を見る貴方は、きっと、本気で恋愛をしているんだと思った。
この日の放課後、僕は初めて図書室に訪れた。高校生になってから3年も経つのに初めて来るだなんて。
重たい扉を押して中を見上げる。夕日が差し込む本棚の隙間を縫うようにホコリがチラチラと舞っている。
作者名ごとに並べられていない文庫本。未だに本棚に入れられていない図鑑。何年前のものかもわからない雑誌。
乱雑に並べられた本の中から運命の本を見つけられるのだろうか。何故そんな物を見つけようとしているのかというと、クラスの男子が休み時間に「うちの学校の図書室で、1冊なんとなく目に止まった本に出てくるヒロインの性格が運命の人に最も近いやつなんだって」なんて訳の分からないことを言っていたのだ。正直そんな事信じていないが、3年生最後の夏を冒険してみるのもいいだろうと思いここに来た。
一旦図書室を1周してみてから気になる本を取る事にした。外側から本棚を糸を縫うように見ていく。1番奥が読書コーナーになっているようだ。その端に彼女はいた。
僕を見るなり少し笑う。
「貴方も運命の人を探しに来たんですか」
脳に直接話しかけるような声にドキッとする。彼女を一言で言うなら「天使」のような感じだ。
「最近多いんです。ここに運命の人を探しに来る人。貴方もそうでしょ?」
彼女に吸い寄せられるように近づいていく。近くに行けば行くほど、彼女の魅力的な何かに飲み込まれる気がした。
「ここには本当にそういう本はあるのかな」
彼女は少し考えて小さく呟いた。
「わからない。だけど、そう思う方が楽しいのかもしれない」
「君は、どんな人だったの」
彼女は1度窓の外を見てからため息をついた。
「運命の人ってね、なんとなくその人の匂いが好きとかその人の隣が落ち着くとか、その人自身の魅力に安心感を感じる相手の事なんだって」
「いるの?」
きっと彼女は運命の人に恋をしている。そんな気がした。
「私の好きな人、先生なの」
その悲しそうに笑う顔が、僕には一生ないもののような感じがした。彼女にとっては運命で、先生にとっては──
「ねぇ、少しお話をしませんか」
そうして彼女は3年間愛した先生の話を始めた。
私が先生に出会ったのは高校の部活動だった。当時先生は副顧問だったんだけどね、なんとなく入ってただけの部活動で2ヶ月間くらいは1度も会ったことないし喋ったこともない人だった。
7月に入って、ちょうど七夕の日。その日初めて先生と喋ったの。先生なのに凄くけだるくて、新感覚って言うのかな、先生ってこんな感じの人でもなれるんだって思ったのがきっかけで、もっと先生と話してみたいって思うようになったんだ。
私が先生を好きになったと実感したのは2ヶ月後の文化祭の準備中。部活動でも出し物をすることになって、2年生と3年生はクラスでの出し物があったから1年生がその部活動の運営をすることになったの。そんな中でね、やっぱり高校1年だったから好きな人がどうこうみたいな話が始まってね、私真奈美って言うんだけど、「真奈美はどうなの」って聞かれたの。そしたら別の誰かが「先生と仲いいよね」って言ってきてね。その時気が付いたの。『あー私先生のことが好きなんだ』って。そうなったら頭の中は先生でいっぱいになっちゃって。私のクラスの授業はその先生の担当はなかったんだけど、『クラスの前通らないかな?』とか『この授業の先生が体調崩した時に代わりに来てくれないかな』って思うようになったんだ。ちなみに2回だけ体調崩した先生の代わりに来てくれたことがあるんだけどね。ラッキーって思っちゃった。テスト監督に来てくれたりしてね。テスト始まる前なんかに話しかけてくるの。「ちゃんと勉強したか?」って。なんか特別扱いってわけじゃないんだけど、他の子にはしないのに私にはしてくれるんだっていうのが無性に嬉しかったなー。
部活動の方でもね、私の事頼りにしてくれるようになって部活を本気でするようになったの。あの授業でいい点数が取れたのも部活を頑張れたのも先生のおかげ。
隣のクラスで先生が授業する時は廊下に出て、話しかけてくれないかなーって感じで待ったりした事もあるんだよ。だから隣のクラスの時間割りは自分のクラスの時間割りよりきちんと把握してて、授業が変更になってた時はショックだったの。
そんな中で1年生が終わるってなった時の春休みにね、先生から連絡が来たの。「あいつと同じクラスになってるけど、いいのか?」って。ずっと先生に苦手だから同じクラスになりたくないって相談してた人がいるんだけど、一緒になってたみたい。しかもね、ずっと3人組でいた2人とも離れててね。でもその2人は同じクラスだったの。そうやって教えてくれてね、先生にバレないように電話越しに泣いちゃった。教えてくれた嬉しさより友達とクラスが離れ離れになっちゃった事の方がその時はショックだったの。けどね、その後凄い悩んだことがあって。元々5組になる予定で、友達は6組だったんだ。その5組の副担任に先生が決まってたみたいでね。それ聞いた瞬間にちょっと悩んじゃった。「それだったら5組でも大丈夫です」って言いそうになったの。その瞬間に私、『あー私、友達より先生取るんだなー』って感じがして、好きバレもしたくなかったから、諦めて新学期を待ったんだ。
クラス替えの張り紙を見たら、私の名前は6組にあってね、2人も6組にいた。先生、私の為に相談してくれたんだって思ったら凄い嬉しくて。だけど、その後の担任副担任の発表で5組で先生の名前が出た時はやっぱり悲しくてさ。ホームルームをするために私のクラスの前を通って先生が5組に入っていくのを見てたらちょっとだけ後悔したりして。
2年生に上がってからは1年生の時より積極的に部活動に参加して、1年生の時より先生の視界に入れるように頑張ったんだ。頑張れば頑張るほど、先生は私によく絡んできてくれて、部活でも部活以外でも話しかけてきてくれて。あの時が1番幸せだったなー。2年生の間はね、先生の中での私の好感度もどんどん上がってたと思ってたんだ。私の中での好き度もどんどん上がってた。そう思ってたのは私だけだった。
3年生にあがるタイミング。丁度3月31日と4月1日の間で私の先生への思いは一切消え去った。それまで本当に私の運命の人は先生なんだって夢見てたのに。
皆から聞いた話で、結局卒業するまで先生の口からは聞けなかった事なんだけどね。先生、その2月に出会った人と婚約したんだって。合コンに参加する先生も、女性に優しくする先生も、全部私の知らない人だった。私だけが特別だと思ってたのに。
その話を聞いた時に心臓の辺りを強く殴られたような感じがして、辛かったなー。先生、教えてくれなかったんだもん。せめてさ、直接言ってくれた方が嬉しかったよ。
体育祭の借り物競争で親友と手を繋いだ先生を見た時も、先輩と楽しげに喋ってるのを見た時も凄い嫉妬した。なのに最後は全く知らない人に嫉妬するしかないんだよ。
だったらさ、幸せそうな顔しながらその人の話聞かせてくれた方がまだすっきりするよ。なんで私には何も教えてくれなかったんだろう。後輩にはいっぱい言ってたらしいよ。その人のこと。私ね、卒業するタイミングで言おうと思ってたの。「実は先生の事が好きだったんですよ」って。それすら言えなくなっちゃってさ。不完全燃焼って感じ。何のために部活頑張ってたんだろう。本当は2年にあがるタイミングで部活辞めてバイトしようと思ってたのに。あの2年間、先生のために青春もしないでさ、人生棒に振っちゃった感じなんだ。
だからさ、私は運命なんて信じない。
ないんだよ。私が運命だって信じたものがこんなにもあっさり砕けちゃったんだよ。あるわけないじゃん。私が2年間好きだったものをあっさり奪っていかれちゃったんだよ。悔しいよ。私の方が先生のこと知ってるし好きの気持ちも大きかったのに。
1度だけね、先生に言われたことがあるの。「大人になれば好きな感情だけで恋愛はしないんだ」って。その人の事も好きじゃないのかなって思うことだけが私の支えだったりしたんだよ。最低だよね。
「先生は、真奈美さんの気持ちに気付いてたんじゃないですかね」
「え?」
「気付いてて、婚約者の事も言えなかったし真奈美さんにそういう風な事を伝えたんだと思いますよ」
「……うん。だよね。やっぱりそうだよね」
真奈美さんは笑ってた。泣きながら笑ってた。彼女も気付いてて、誰かにはっきりとそうだと言われたかったのかもしれない。
運命なんてない。
正直、その答えは一生わからない。だけど、彼女の運命は先生と生徒という壁に邪魔をされたのだ。
「こんな話を聞いても、君は運命の人を探すの?」
「僕は」
図書館を見渡す。幾多の本があれば、幾多の主人公とヒロインがいて、幾多の性格を持ち合わせている。それはきっと、いや間違いなくこの人生と同じなのだ。
「僕は探そうと思います。自分自身で運命が本当にあるのか確かめようと思います」
彼女は微笑んで「うん。いいと思う」とだけ呟いて図書館を出て行った。その去り際「私、ここの卒業生なんだけどさいいよね、ここ。本読むためだけに許可取ってるんだ。先生に会うために来てるんじゃないからね」と言った彼女は完璧に先生を吹っ切れたようだった。
「さぁ、探すか。運命の人」
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