青春ページの終わりの先に
鳴川レナ
第1話
よく本を読んで過ごしていた。
自分のために書かれた一冊の書物。
自分の世界を広げてくれる書物。
そういう『存在』を求めていた。
ーーまるで自分のことを理解しているように思える本。
今となってはーー。
そんなものはない、と分かっている。
ページをめくる。
読書は心を救うことはなく、ただ時間を吸い上げる。
そして、俺は、中学時代に、彼女を振った。
◇ ◇ ◇
「わたしの元カレになってください」
その日も、いつもの学校の日常だった。クラスメイトの女子とは誰とも知り合いでなく、友達なんて片手の指以下で足りてしまう俺は、うつ伏せで休み時間を過ごしていた。
俺にとっては、もう慣れきってしまった学校の過ごし方の一つだ。
ふいに、肩のあたりが後ろから叩かれた。
「朝倉くん、移動教室だよ」
振り返ってみると、クラスの正統派ヒロイン、神崎
「ん、あぁ、ありがとう」
少し舌がもつれながら答えて、教室を見ると、誰もいない。もう移動してしまったのかーー、黒板の上の時計を見ると、5分過ぎていた。
うつ伏せでいるうちに、眠ってしまっていたようだ。すぐに、机の中から、教科書を取り出そうとする。
「ねえ、朝倉くん、お願いがあるんだけどーー」
彼女は、俺の後ろに立ったまま、口にする。その声は、とても穏やかながらも、静かな緊張のようなものを感じさせた。
「お願い」
「今日の放課後って、空いてる」
「空いてるけど」
「じゃあ、フランボワーズに来てくれないかな」
『フランボワーズ』ーー、学校近くにある少し高めの喫茶店だ。学校に近いけど、ほとんど生徒は入らない。商店街のチェーンのコーヒー店の方に行くし、さらにいえば、ファストフード店の方が人気だ。コスパは学生にとって、最も重要な店選びの基準だから。
「ああ、わかった」
俺は、そう答えると、一人、さっさと教室から出て行った。無愛想というか無作法かもしれないけど、このまま彼女と二人で仲良く遅刻は、どちらにも得がないだろう。
なぜ、彼女が俺を喫茶店に呼びつけるのか、そんな疑問が浮かんだけど、たいした用事ではないだろう。ほとんど話した憶えもないのだから。
◇ ◇ ◇
放課後になると、
喫茶店は、レトロな赤いレンガ作り、窓はステンドグラスのように色が散りばめられて、外から中を見ることはできない。周りに置かれた植物が蔦のように伸びて日光を和らげている。
中に入ると、外観と同じくレトロな室内。カウンターが長く伸びて、テーブル席は3つほどある。カウンターにおじさんが2名、奥のテーブル席には、自分と同じくらいの年齢の女の子が、新書を読んでいた。ショートカットなので、神崎というわけではないだろう。窓際の二人がけのテーブルに座って、一番安いブレンドのコーヒーを頼んだ。
待っている間に、少しだけ要件を考える。ライトノベルだと、定番なのは、わたしの彼氏になってください(
アニメ的・漫画的なことなんて、起きないことは分かっている。現実は小説よりも奇なり、と言えども、漫画やアニメほどではない。
どうせ、クラスや学年関連の面倒ごとだろう。
余計な考えを払って、文庫本を読み始めた。
「朝倉くん、朝倉くんーー」
声が呼ばれて気づくと、目の前に、神崎さんが座っていた。読書に夢中になっていて、全然気づかなかった。
「あ、うん」
何が、うん、なのだろう。誤魔化すように、冷めきった満杯のコーヒーを口にする。あまり美味しくはないが、自分のせいだから我慢する。
「ごめんね。突然ーー」
「いや、いいけど。で、なに」
「ちょっと待って。わたしもコーヒー頼むから」
彼女が注文を終えて、コーヒーがテーブルに置かれる。
神崎さんは二、三度息を整えるように吐いてから言った。
「わたしの元カレになってください」
元カレ?
カレシじゃなくて。
元カレになるには、当然、その前の段階が必要になるだろう。卵が先か鶏が先かという問題と違って、間違いなく前後関係が成立する過程だ。
「それは、付き合って3分で別れた、というのをやって欲しいってこと」
いったい、何のメリットがあるのか、意味不明すぎるけど。
「そうじゃなくて、半年程度付き合って、円満に別れたというのが理想ーーだけど」
彼女は少し顔をうつむけながら、尻すぼみに答える。
「えっと、状況を説明するとね」
彼女は、そう言って、困惑を解いていった。
要するに、仲の良い友達に、カレシいない歴=年齢とからかわれて、つい、「いたことある」と答えてしまったらしい。
正統派ヒロイン、何をやっているのだろう。というか、よりどりみどりの選びたい放題だろうに、カレシなんてーー。それに、年齢的にいない方が多数派なんじゃないか。
「つい、口が滑ってーー、売り言葉に買い言葉というか」
思ったより正統派ヒロインは、好戦的のようだ。よく言うように、美しいものにはトゲがあるということかな。
「なんで、俺にーー」
「だって、クラスの人って言ってしまったし、朝倉くんって、だいたい一人だから。付き合っていたってことにしても、問題なさそうで」
問題なさそうって、グサリとくるな。
神崎は、なにかの縁と思ってとか、少しの間だけだからと言ってから、首を傾けた。
「ダメ、かな」
その表情と声で告白すれば、ほとんどの男子はイチコロだと思うけど。自称草食系男子どもも。
「素直に、いたことないってーー」
「そんなの負けたみたいで嫌だから」
やっぱり、我が強いタイプなのか。
今更、引けないってところか。
俺は少し悩む。これが彼氏のふりだったら、確実に断っている。けれど、元カレだ。余計な面倒事も少ないだろう。
気のりはしない。
けど、ほんの少しだけ付き合うくらいならーー。
「わかったよ。元カレだったことにしてくれていいよ」
「ほんと、じゃあ、元カレだった証拠、作らないとね」
神崎は、声を弾ませた。これで友達に一泡吹かせられるからだろう。なんとなく、この状況を少し彼女が楽しんでいるようにも見えた。
でも、この時、俺は理解していなかった。元カレのフリなんて、カレシのフリと違って、楽なものだと思っていた。クラスの人気の女子と付き合って別れたということが、どれほど重いことになるのか、わかってなかったんだ。
高校生にとって、もはや、それは一つの事件だった。
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