灰と青春の市松模様②


 †迦具夜 月乃かぐや つきのは得もいえぬ女だった。俺はあいつと幼馴染で御隣家おとなりに住み、たまたま歳も近かったので……いや、それだけではあんな関係にならないな。

とにかく月乃は俺によく絡んできた。鬱陶しい女子。と、はじめはそう思うだけの間柄だった。勝ち気が強くて、負けず嫌いで、弱いくせに俺のあとを無理して連いてきて、

俺といえば振り払おうとどんどん無茶な方向へと進んでいって、冒険して一緒に仲よく帰れなくなったっけ。制服も傷だらけの泥まみれになって……それで毎日のように親御さんに怒れられたっけ。

其の内、俺と月乃はいみじくも気が合うことがわかった。世界中に散らばる御伽話やファンタジーの類が大好きで、その気になれば平気でいつまでも読んでいられる共通項に気が付いたのだ。

大層さかしらな子供でもあって、俺たちはアンデルセン童話やグリム童話集を図書館からまとめて借りたり、海外のハードファンタジー児童文学で当時人気だったシリーズを回し読みしたり、

カレワラやエッダなどのあの民族叙事詩なるものに心惹かれたりした。爪に火をともすほど貧乏な生まれだった俺は、比較的恵まれた裕福な家庭にある月乃によく本やDVDを貸して貰っていた。

でも『ロード・オブ・ザ・リング』は俺が買って俺の家で一緒に観たっけ。だからトータルでのバランスはともかく、貸しつ貸されつってことにしておきたい。

 で、中等学校にあがってから、俺はそういった熱中する趣味のことを月乃以外の人間にはなるべく隠しだてて話さないようにしていたが、あいつは割りとお構いなしで、

そのころ月乃はトワイライトやダレン・シャンなどのゴシックもの(?)に影響されて、吸血鬼のように振る舞う研究をして周りに引かれてたりもした。そのころ俺は田中ロミオの『AURA』を読んでた。


 さて、そんな『愉しみと日々』の生活を送っていたある日、むなしく励む意志によって呼び出されたセピア色の追憶だが、月乃と俺はある約束をした。

『いつか大人になったら一緒に海外旅行に行って、ヨーロッパの古城を巡ろう』というものだ。あれはたしか月乃が14歳になる前のことだったな。

海外旅行に行けば、俺たちの抱いている灼け付く理想を満たしてくれるものがきっと見つかると信じていたのだ。いや、見つからないわけがない。

俺は『ホーリー・グレイル』の撮影に使われたスコットランドの城とかが、もう名前は忘れてしまったにしろ見たかった。月乃もそれに賛同してくれた。

 ふたりの渡航目的からして旅行費用が嵩むことは解っていたので、俺はなんとしても軍資金を貯めるべく、といってもバイトは校則で禁じられていたので、将来なるべく良い大学に入って割の良い家庭教師のバイトにつくことを目標にして、俺はその日から学業に勉励した。

その年の巡りくる誕生日のこと、俺は月乃を喜ばせるあるひとつのネックレスをプレゼントすることになる。

それはなけなしの小銭の大枚をはたいて買った、まばゆいばかりの宝石と煌く彫込細工に彩られたそれは美しいネックレスで……つまりはただの硝子ガラスだ。

それでも月乃はまるで本物を与えられたかのように嬉しそうにして(そういう仮装ロールプレイが得意なやつだったのだ)、『ありがとう、大切にするね……ずっと持ってるから』なんて……微笑んで、涙もろく笑って。

それからちょうど一年後、月乃は現代科学では不治の病に見舞われて天へと旅立った。俺はいまだに信じられない。最後に総合病院の一室でふたりきり逢って話したのを、

つい昨日のことのように追蹤ついしょうする日も一度や二度ではない。

 病室は完全にふたりきりだった。ナースや親御さんはたまたま席を外してた。まず、明日使えもしない天気の話から始まって、そして、それから、

それで月乃が呟くように『「ドラゴンキング」の最終巻ってもう発売されたよね? いつ翻訳されるのかなあ……』といったんだ。

それは「翻訳版が発売される頃には、もう自分はこの世に居ないかもしれない」という意味コノテーションだった。

それと気づいたら涙が出てきた。ちくしょう。月乃はあんなにシリーズ完結を楽しみにしていたのに。それなのに、もう結末は見られないかもしれないんだ――月乃は前巻までの展開を熱く語りはじめ、同作者が提供する別のシリーズにまで話は及んだ。彼女のファンタジーに対する情熱はちっとも衰えちゃいなかった。

だけども俺は正直に告解すると、そういった創作の世界、空想の物語に対する興味は以前ほどには保てなくなっていた。ファンタジーへの熱は冷めてて、

けれどもその情熱は、代わりに月乃というひとりの人間に対して深く注がれるようになっていて(こういうのが男ってやつの現金で弱いところだ)、それでも俺は必死に彼女の話題に縋りついていこうとした、そうだな、うん、その通りだ……やるせなく相槌を打って、必死に話題を合わせて。

『うん……、きっと藍方石の杖は賢者ノナインの手に取り戻されて、世界は救われるよ。俺も翻訳が待ち遠しいよ』なんて。記憶の糸をたぐり思い出したストーリーをなぞって。


 さながらハーディとスノーが病院で交わしたクリケットの会話みたいだ。ハーディは死ぬ直前まで熱狂的なクリケットマニアだったけど、スノーはその頃にはとうにクリケットに対する情熱は冷めていて、それでも無理をして話を合わせたという、俺はそのときのように苦しかった。

つらかった。苦しい! と叫びたかった。逃げ出したくて、俺は途中で半ば強引に彼女とした約束のことを切り出した。あの約束、まだ忘れてないよな? って。一緒にヨーロッパ行くって決めたよな? もう、忘れたなんて言わせない語勢で、絞り出すように。

そのとき月乃の頬から一筋の紅淚が零れ落ちた。いまわ、どんな言葉よりもそれが雄弁に物語っていた。どうしようもなく夕日に照り映えて、その涙が美しかったのだ。

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