明子

 同じく山城国は笠置山のなか。茅葺屋根の下で明子が鍛錬に励んでいる。板の間と土間だけの住まいだが好きに使える場所は広い。明子は石臼の上段を抱えて背筋を真っすぐにしたまま、足を曲げては伸ばし、曲げては伸ばしと繰り返す。囲炉裏の傍らに汗の池が生じ、水の縁はとどまることを知らない。


「そんなにやらなくても」土間の土壁にもたれる老婆が声をかけると明子は臼を元に戻した。老婆が微笑んで頷くと明子はニヤリと笑い返す。こんどは上臼と下臼をいっぺんに持ち上げて、再び汗を流し始めた。「もう何べんも言ってますけど、そんなにしてどうするんです?」


「決まってるでしょ。兄さんみたいになるの」明子は涼しげな声を返した。「もう光遠さまを何べんも負かしたでしょう」「じゃなくて」「というと?」老婆は目を三日月にして口角を釣りあげた。「分かってるくせに」明子は頬を膨らませた。「宮中の相撲人になって節会にでるの」


「ひいさま、女は相撲人にはなれませんよ」「なんで?」老婆は肩をすくめる。「どうしてもなにも、そういう決まりだからです。男と女とでは職分が違うのです」「うそつき、このあいだは『昔は女の帝がいた』って」明子は息は切らすことなく運動を続ける。


「昔は昔です。今の女は、わたしみたいに女房にはなれますけど、たとえ帝の種が一切合切無くなっても、女が相撲人になるのは無理です」媼の不敬なたとえを明子はいつものように受け流す。「ばあやも鍛える?」目で土鍋を示したが「わたしだって十分鍛えてますよ」との返事だった。


「そんなにしてるとお嫁に…」「もっと面白い話はないわけ?」老婆の小言を明子は掻き消した。「これはこれは失礼を。でもねえ、大人しくさえしてれば麗しく細やかな娘なのですから…」「だから、面白い話は?」明子は鼻を鳴らした。薄衣が汗で透けたのを気にする様子もない。


「じゃあこれをお願いしますよ。団子にしますから」媼は椎の実で一杯の鉢を、土間において手で示した。「あー、はいはい」明子は横目で器を見ると、臼を土間におろし、鉢の方に音を立てて踏み出した。


 老婆が、女なら口を小さく、歩くのは小股でと、言いたげな仕草をよこすのにもかまわず、明子は鉢の傍らにあぐらをかいて腕まくりした。鉢は下においたままである。すでに椎の実は殻を剥いてある。丸々と肥えて均整のとれた曲面を持つ椎の実を一粒、明子はつまみ上げた。次の瞬間。


 どんぐりがぺちゃんこになった。


 明子が指で実を挟み潰したのだ。あたかも堅果が朽木であるかのように。今度は利き手でない方の手でもつまんで、同じようにした。明子は涼しい顔である。「おかずは?」「すずめを五、六匹、縊り殺して骨ごとつくねに、と思ったんですけどねえ、どうも一雨来そうで」


 二人は窓の外を眺めた。太枝を数本はめ込んだだけで、隙間から空模様が手にとるようにわかる。明子は頬を膨らませて鉛色の雲を睨みつけた。風もあって、眺めているうちに雲の輪郭や濃淡が変わりゆく。もうじき午の刻だろう。「じゃ、肉無し?」「精進ですよ、精進」


 老婆が喉の奥で笑ううちに明子は六個潰した。石臼は無用であった。「いつみてもほれぼれしますねえ」「暇つぶしにもってこい」十個も潰さないうちに明子はよそ見を始めて、いつ雨になるのかとか、老婆の黒髪はどれくらいのこっているのかとか、手を動かしつつも面白いものはないかと探しはじめた。


 そのとき、明子は小屋の外に騒ぎ声を聞きつけた。

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