正法眼蔵 遍参

仏祖の大道は、究竟、参徹なり。

足下、無糸、去なり。

足下、雲、生なり。

しかも、かくのごとくなりといえども、華開、世界起なり、吾、常、於、此、切なり。

このゆえに、

甜瓜、徹蔕、甜なり。

苦瓠、連根、苦なり。

甜甜、徹蔕、甜なり。

かくのごとく、参学しきたれり。


玄沙山、宗一大師、因、雪峰、召、師、曰、

備頭陀、

何、不、遍参、去?


師、云、

達磨、不来、東土。

二祖、不往、西天。


雪峰、深、然、之。


いわゆる、遍参底の道理は、

翻巾斗、参なり。

聖諦の亦、不為なり。

何階級之有? なり。


南嶽、大慧禅師、はじめて曹谿古仏に参ずるに、古仏、いわく、

是、甚麼物、恁麼来。


この泥団子を遍参すること、始終、八年なり。


末上に遍参する一著子を古仏に白して、もうさく、

懐譲、会得、

当初、来時、和尚、接、懐譲、是、甚麼物、恁麼来。


ちなみに、曹谿古仏、道、

爾、作麼生、会?


ときに、大慧、もうさく、

説、似、一物、即、不中。


これ、遍参、現成なり。

八年、現成なり。


曹谿古仏、とう、

還、仮、修、証? 否?


大慧、もうさく、

修、証、不無。

染汚、即、不得。


すなわち、曹谿、いわく、

吾、亦、如是。

汝、亦、如是。

乃至、西天、諸仏、諸祖、亦、如是。


これより、さらに八載、遍参す。


頭正尾正、かぞうるに、十五白の遍参なり。

恁麼来は、遍参なり。

説、似、一物、即、不中に、諸仏、諸祖を開殿、参見する、すなわち、亦、如是、参なり。

入、画、看より、このかた、六十五百千万億の転身、遍参す。

等閑の入、一叢林、出、一叢林を遍参とするにあらず。

全眼睛の参見を遍参とす。

打得徹を遍参とす。

面皮、厚、多少を見徹する、すなわち、遍参なり。

雪峰、道の遍参の宗旨、もとより出嶺をすすむるにあらず、北往南来をすすむるにあらず。

玄沙、道の達磨、不来、東土。二祖、不往、西天。の遍参を助発するなり。

たとえば、なんぞ遍参にあらざらん? と、いわんがごとし。

玄沙、道の達磨、不来、東土は、来、而、不来の乱道にあらず、大地、無、寸土の道理なり。

いわゆる、達磨は、命脈、一尖なり。

たとえ東土の全土、たちまちに極涌して参侍すとも、転身にあらず。

さらに語脈の翻身にあらず。

不来、東土なるゆえに、東土に見、面するなり。

東土たとえ仏面祖面、相見すとも、来、東土にあらず。

拈得、仏祖、失却、鼻孔なり。

おおよそ、

土は、東西にあらず。

東西は、土にかかわれず。

二祖、不往、西天は、西天を遍参するには、不往、西天なり。

二祖もし西天にゆかば、一臂、落、了、也。

しばらく、二祖、なにとしてか西天にゆかざる?

いわゆる、碧眼の眼睛裏に跳入するゆえに、不往、西天なり。

もし碧眼裏に跳入せずば、必定して西天にゆくべし。

抉出、達磨、眼睛を遍参とす。

西天にゆき、東土にきたる、遍参にあらず。

天台、南嶽にいたり、五台、上天にゆくをもって遍参とするにあらず。

四海五湖もし透脱せざらんは、遍参にあらず。

四海五湖に往来するは、

四海五湖をして遍参せしめず。

路頭を滑ならしむ。

脚下を滑ならしむ。

ゆえに、遍参を打失せしむ。

おおよそ、

尽十方界、是、箇真実人体の参徹を遍参とするゆえに、達磨、不来、東土。二祖、不往、西天。の参究あるなり。

遍参は、

石頭、大、底、大。

石頭、小、底、小。なり。

石頭を動著せしめず、大参小参ならしむるなり。

百、千、万箇を百、千、万頭に参見するは、いまだ遍参にあらず。

半語脈裏に百、千、万、転身なるを遍参とす。

たとえば、打地、唯、打地は、遍参なり。

一番、打地、一番、打空、一番、打四方八面来は、遍参にあらず。

倶胝、参、天龍、得、一指頭は、遍参なり。

倶胝、唯、竪、一指は、遍参なり。


玄沙、示、衆、云、

我、与、釈老老師、同参。


時、有、僧、出、問、

未審。

参見、甚麼人?


師、云、

釣魚船上、謝三郎。


釈迦老師、参底の頭正尾正、おのずから釈迦老師と同参なり。

玄沙老漢、参底の頭正尾正、おのずから玄沙老漢と同参なるゆえに、

釈迦老師と玄沙老漢と、同参なり。

釈迦老師と玄沙老漢と、参足、参不足を究竟するを遍参の道理とす。

釈迦老師は、玄沙老漢と同参するゆえに、古仏なり。

玄沙老漢は、釈迦老師と同参なるゆえに、児孫なり。

この道理、審細に遍参すべし。

釣魚船上、謝三郎。

この宗旨、あきらめ参学すべし。

いわゆる、釈迦老師と玄沙老漢と、同時、同参の時節を遍参、功夫するなり。

釣魚船上、謝三郎を参見する玄沙老漢ありて同参す。

玄沙山上、禿頭漢を参見する謝三郎ありて同参す。

同参、不同参、みずから功夫せしめ、他ずから功夫ならしむべし。

玄沙老漢と釈迦老師と、同参す、遍参す。

謝三郎、与、我、参見、甚麼人? の道理を遍参すべし、同参すべし。

いまだ遍参の道理、現在前せざれば、

参、自、不得なり。参、自、不足なり。

参、他、不得なり。参、他、不足なり。

参、人、不得なり。

参、我、不得なり。

参、拳頭、不得なり。

参、眼睛、不得なり。

自釣自上、不得なり。

未釣、先上、不得なり。

すでに遍参、究尽なるには、

脱落、遍参なり。

海枯、不見、底なり。

人死不留心なり。

海枯というは、全海、全、枯なり。

しかあれども、海もし枯竭しぬれば、不見、底なり。

不留、全留、ともに、人心なり。

人死のとき、心、不留なり。

死を拈来せるがゆえに、心、不留なり。

このゆえに、

全人は、心なり。

全心は、人なり。

と、しりぬべし。

かくのごとくの一方の表裏を参究するなり。


先師、天童古仏、あるとき、諸方の長老の道旧なる、いたり、あつまりて、上堂を請するに、上堂、云、

大道、無門。

諸方、頂𩕳上、跳出。(「𩕳」は「寧頁」という一文字の漢字です。)

虚空、絶路。

清涼、鼻孔裏、入来。

恁麼、相見、瞿曇、賊種。臨済、禍胎。

咦!

大家、顛倒、舞、春風。

驚、落、杏、華、飛、乱、紅。


而今の上堂は、先師古仏、ときに、建康府の清涼寺に住持のとき、諸方の長老、きたれり。

これらの道旧とは、

あるときは、賓、主とありき。

あるいは、隣単なりき。

諸方にして、かくのごとくの旧友なり。おおからざらめやは?

あつまりて、上堂を請するときなり。

渾、無、箇話の長老は、交友ならず。請する友の数にあらず。

大尊貴なるをかしづき、請するなり。

おおよそ、先師の遍参は、諸方の、きわむるところにあらず。

大宋国、二、三百年来は、先師のごとくなる古仏あらざるなり。

大道、無門は、四、五千条、華柳、巷。二、三万座、管絃、楼。なり。

しかあるを、渾身、跳出するに、余外をもちいず、頂𩕳上に跳出するなり、鼻孔裏に入来するなり、ともに、これ、参学なり。(「𩕳」は「寧頁」という一文字の漢字です。)

頂𩕳上の跳脱、いまだあらず、鼻孔裏の転身、いまだあらざるは、参学人ならず、遍参漢にあらず。

遍参の宗旨、ただ玄沙に参学すべし。


四祖、かつて三祖に参学すること、九載せし。

すなわち、遍参なり。

南泉、願禅師、そのかみ、池陽に一住して、やや三十年、やまをいでざる。

遍参なり。

雲巌道吾、等、在、薬山、四十年のあいだ、功夫、参学する。

これ、遍参なり。

二祖、そのかみ、嵩山に参学すること、八載なり。

皮肉骨髄を遍参しつくす。


遍参は、ただ只管、打坐、身心、脱落なり。

而今の去、那辺、去。来、遮裏、来。

その間隙あらざるがごとくなる。

渾体、遍参なり。

大道の渾体なり。

毘盧、頂上、行は、無情三昧なり。

決得、恁麼は、毘盧、行なり。

跳出の遍参を参徹する。

これ、葫蘆の、葫蘆を跳出する。

葫蘆、頂上を選仏、道場とせること、ひさし。

命、如、糸なり。

葫蘆、遍参、葫蘆なり。

一茎草を建立するを遍参とせるのみなり。


正法眼蔵 遍参

爾時、寛元元年癸卯、十一月二十七日、在、越宇、禅師峰下、茅庵、示、衆。

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