正法眼蔵 十方
拳頭、一隻、只、箇十方なり。
赤心、一片、玲瓏、十方なり。
敲出、骨裏、髄、了、也。
釈迦牟尼仏、告、大衆、言、
十方仏土中、唯、有、一乗法。
いわゆる、十方は、仏土を把来して、これをなせり。
このゆえに、仏土を拈来せざれば、十方、いまだ、あらざるなり。
仏土なるゆえに、以、仏、為、主なり。
この娑婆国土は、釈迦牟尼仏土なるがごとし。
この娑婆世界を挙拈して、八両、半斤をあきらかに記して、十方仏土の七尺、八尺なることを参学すべし。
この十方は、一方にいり、一仏にいる。
このゆえに、現、十方せり。
十方、一方、是方、自方、今方なるがゆえに、眼睛方なり、拳頭方なり、露柱方なり、灯籠方なり。
かくのごとくの十方仏土の十方仏、いまだ、大小あらず、浄穢あらず。
このゆえに、十方の唯仏与仏、あい称揚、讃歎するなり。
さらに、あい誹謗して、その長短、好悪をとくを転法輪とし説法とせず。
諸仏、および、仏子として助発、問訊するなり。
仏祖の法を稟受するには、かくのごとく参学するなり。
外道、魔党のごとく是非、毀辱すること、あらざるなり。
いま真丹国につたわれる仏経を披閲して一化の始終を覰見するに、釈迦牟尼仏、いまだかつて、他方の諸仏、それ、劣なり、と、とかず、他方の諸仏、それ、勝なり、と、とかず。
また、他方の諸仏は、諸仏にあらず、と、とかず。
おおよそ、一代の説教に、すべて、みえざるところは、諸仏の、あい是非する仏語なり。
他方の諸仏、また、釈迦牟尼仏を是非したてまつる仏語、つたわれず。
このゆえに、
釈迦牟尼仏、告、大衆、言、
唯我、知、是相。
十方仏、亦、然。
しるべし、唯我、知、是相の相は、打円相なり。
円相は、遮竿、得、恁麼長。那竿、得、恁麼短。なり。
十方仏道は、唯我、知、是相。釈迦牟尼仏、亦、然。の説著なり。
唯我、証、是相。自方仏、亦、然。なり。
我相、知相、是相、一切相、十方相、娑婆国土相、釈迦牟尼仏相なり。
この宗旨は、これ、仏経なり。
諸仏、ならびに、国土は、
両頭にあらず。
有情にあらず。無情にあらず。
迷悟にあらず。
善、悪、無記、等にあらず。
浄にあらず。穢にあらず。
成にあらず。住にあらず。壊にあらず。空にあらず。
常にあらず。無常にあらず。
有にあらず。無にあらず。
自にあらず。他にあらず。
離、四句なり。絶、百非なり。
ただ、これ、十方なるのみなり。
仏土なるのみなり。
しかあれば、十方は、有頭無尾漢なるのみなり。
長沙景岑禅師、告、大衆、言、
尽十方界、是、沙門、一隻眼。
いま、いうところは、瞿曇沙門眼の一隻なり。
瞿曇沙門眼は、吾有、正法眼蔵なり。
阿難に付属すれども、瞿曇沙門眼なり。
尽十方界の角角尖尖、瞿曇の眼処なり。
この尽十方界は、沙門眼のなかの一隻なり。
これより向上に如許多眼あり。
尽十方界、是、沙門、家常語。
家常は、尋常なり。
日本国の俗のことばに、よのつね、という。
しかあるに、沙門、家常の、よのつねの言語は、これ、尽十方界なり、言端語端なり。
家常語は、尽十方界なるがゆえに、尽十方界は、家常語なる道理、あきらかに参学すべし。
この十方、無尽なるがゆえに、尽十方なり。
家常に、この語をもちいるなり。
かの、索馬、索塩、索水、索器のごとし。奉水、奉器、奉塩、奉馬のごとし。
だれが、しらん、没量、大人、この語脈裏に転身転脳することを?
語脈裏に転語するなり。
海口山舌、言端語直の家常なり。
しかあれば、掩口し掩耳する、十方の真箇、是なり。
尽十方界、沙門、全身。
一手、指、天、是、天。
一手、指、地、是、地。
雖然、如是、天上天下、唯我独尊。
これ、沙門全身なる十方尽界なり。
頂𩕳、眼睛、鼻孔、皮肉骨髄の箇箇、みな、透脱、尽十方の沙門身なり。(「𩕳」は「寧頁」という一文字の漢字です。)
尽十方を動著せず、かくのごとくなり。
擬議量をまたず。
尽十方界、沙門身を拈来して、見、尽十方界、沙門身するなり。
尽十方界、是、自己光明。
自己とは、父母未生以前の鼻孔なり。
鼻孔、あやまりて自己の手裏にあるを尽十方界という。
しかあるに、自己、現成して現成公案なり、開殿見仏なり。
しかあれども、眼睛、被、別人、換却、木槵子、了、也。
しかあれども、劈面来、大家、相見することをうべし。
さらに、呼、則、易。遣、則、難。なりといえども、
喚、得、回頭、自、回頭。堪、作、何用? 便、著、這漢、回頭。なり。
飯、待、喫人。衣、待、著人。のとき、摸索、不著なるがごとくなりとも、
可惜許。曾、与、爾、三十棒。
尽十方界、在、自己光明裏。
眼皮、一枚、これを自己の光明とす。
忽然として打綻するを在、裏とす。
見、由、在眼を尽十方界という。
しかも、かくのごとくなりといえども、同牀、眠、知、被、穿。
尽十方界、無、一人、不自己。
しかあれば、すなわち、箇箇の作家、箇箇の拳頭、ひとりの十方としても、自己にあらざるなし。
自己なるがゆえに、自自己己、みな、これ、十方なり。
自自己己の十方、したしく十方を罣礙するなり。
自自己己の命脈、ともに、自己の手裏にあるがゆえに、還、他、本分、草料なり。
いま、なにとしてか達磨眼睛、瞿曇鼻孔、あらたに露柱の胎裏にある?
いわく、出入、也、十方、十面、一任。なり。
玄沙院、宗一大師、云、
尽十方界、是、一顆明珠。
あきらかに、しりぬ。
一顆明珠は、これ、尽十方界なり。
神頭鬼面、これを窟宅とせり。
仏祖児孫、これを眼睛とせり。
人家男女、これを頂𩕳、拳頭とせり。(「𩕳」は「寧頁」という一文字の漢字です。)
初心、晩学、これを著衣、喫飯とせり。
先師、これを泥団子として兄弟を打著す。
しかも、これ、単伝の一著子なりといえども、祖宗の眼睛を抉出しきたれり。
抉出するとき、祖宗、ともに一隻手をいだす。
さらに、眼睛裏、放光するのみなり。
乾峰和尚、因、僧、問、
十方薄伽梵、一路、涅槃門。
未審、路頭、在、什麼所?
乾峰、以、拄杖、画、一画、云、
在、遮裏。
いわゆる、在、遮裏は、十方なり。
薄伽梵とは、拄杖なり。
拄杖とは、在、遮裏なり。
一路は、十方なり。
しかあれども、瞿曇の鼻孔裏に拄杖をかくすことなかれ。
拄杖の鼻孔に拄杖をかくすことなかれ。
拄杖の鼻孔に拄杖を撞著することなかれ。
しかも、かくのごとくなりとも、乾峰老漢、すでに十方薄伽梵、一路、涅槃門を料理する、と認ずることなかれ。
ただ在、遮裏と道著するのみなり。
在、遮裏は、なきにあらず。
乾峰老漢、はじめより拄杖に瞞ぜられざらん、よし。
おおよそ、活鼻孔を十方と参学するのみなり。
正法眼蔵 十方
爾時、寛元元年癸卯、十一月十三日、在、日本国、越州、吉峰精舎、示、衆。
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