正法眼蔵 行持

仏祖の大道、かならず、無上の行持あり。

道、環して断絶せず。

発心、修行、菩提、涅槃、しばらくの間隙あらず。

行持、道、環なり。

このゆえに、みずからの強為にあらず、他の強為にあらず、不曾染汚の行持なり。

この行持の功徳、われを保任し、他を保任す。

その宗旨は、わが行持、すなわち、十方の帀地漫天みな、その功徳をこうむる。

他もしらず、われもしらずといえども、しかあるなり。

このゆえに、

諸仏、諸祖の行持によりて、われらが行持、見成し、われらが大道、通達するなり。

われらが行持によりて、諸仏の行持、見成し、諸仏の大道、通達するなり。

われらが行持によりて、この道環の功徳あり。

これによりて、仏仏、祖祖、仏住し、仏非し、仏心し、仏成して断絶せざるなり。

この行持によりて、日月星辰あり。

行持によりて、大地、虚空あり。

行持によりて、依正身心あり。

行持によりて、四大、五蘊あり。

行持、これ、世人の愛所にあらざれども、諸人の実帰なるべし。

過去、現在、未来の諸仏の行持によりて、過去、現在、未来の諸仏は現成するなり。

その行持の功徳、ときに、かくれず。かるがゆえに、発心、修行す。

その功徳、ときに、あらわれず。かるがゆえに、見聞、覚知せず。

あらわれざれども、かくれず、と参学すべし。

隠顕、存没に染汚せられざるがゆえに、われを見成する行持、いまの当隠に、これ、いかなる縁起の諸法ありて行持する? と不会なるは、行持の会取、さらに新条の特地にあらざるによりてなり。

縁起は、行持なり。行持は、縁起せざるがゆえに。

と、功夫、参学を審細にすべし。

かの行持を見成する行持は、すなわち、これ、われらが、いまの行持なり。

行持の、いまは、自己の本有元住にあらず。

行持の、いまは、自己に( or 自己の)去来、出入するにあらず。

いま、という道は、行持よりさきにあるにはあらず。

行持、現成( or 現前)するをいまという。

しかあれば、すなわち、一日の行持、これ、諸仏の種子なり、諸仏の行持なり。

この行持に諸仏、見成せられ、行持せらるるを、行持せざるは、諸仏をいとい、諸仏を供養せず、行持をいとい、諸仏と同生同死せず同学同参せざるなり。

いまの華開、葉落、これ、行持の見成なり。

磨鏡、破鏡、それ、行持にあらざるなし。

このゆえに、行持をさしおかんと擬するは、行持をのがれんとする邪心をかくさんがために、行持をさしおくも行持なるによりて行持におもむかんとするは、なお、これ、行持をこころざすににたれども、真父の家郷に宝財をなげすてて、さらに他国跉跰の窮子となる。

跉跰のときの風水、たとえ身命を喪失せしめずというとも、真父の宝財なげすつべきにあらず。

真父の法財、なお、失誤するなり。

このゆえに、行持は、しばらくも、懈倦なき、法なり。


慈父、大師、釈迦牟尼仏、十九歳の仏寿より、深山に行持して、三十歳の仏寿にいたりて、大地、有情、同時、成道の行持あり。

八旬の仏寿にいたるまで、なお、山林に行持し、精藍に行持す。

王宮にかえらず、国利を領せず、布僧伽梨を衣持し在世に一経するに互換せず、一盂、在世に互換せず。

一時、一日も独処することなし。

人、天の閑供養を辞せず。

外道の訕謗を忍辱す。

おおよそ、一化は、行持なり。

浄衣、乞食の仏儀、しかしながら、行持にあらずということなし。


第八祖、摩訶迦葉、尊者は、釈尊の嫡嗣なり。

生前、もっぱら十二頭陀を行持して、さらに、おこたらず。

十二頭陀というは、

一、者、不受、人、請。日、行、乞食。亦、不受、比丘一食分銭財。

二、者、止宿、山上。不宿、人舎、郡、県、聚落。

三、者、不得、従、人、乞、衣被。人、与、衣被、亦、不受。但、取、丘、塚間、死人、所棄、衣、補治、衣之。

四、者、止宿、野田中、樹下。

五、者、一日一食。一、名、僧迦僧泥。

六、者、昼夜、不臥。但、坐睡、経行。一、名、僧泥沙者傴。

七、者、有、三領衣、無有、余衣。亦、不臥、被中。

八、者、在、塚間。不在、仏寺中。亦、不在、人間。目視、死人、骸骨、坐禅、求道。

九、者、但、欲、独処。不欲、見、人。亦、不欲、与、人、共、臥。

十、者、先、食、果蓏、却、食、飯。食、已、不得、復、食、果蓏。

十一、者、但、欲、露、臥。不在、樹下、屋宿。

十二、者、不食、肉。亦、不食、醍醐。麻油、不塗、身。

これを十二頭陀という。

摩訶迦葉、尊者、よく一生に不退不転なり。

如来の正法眼蔵を正伝すといえども、この頭陀を退すること、なし。


あるとき、仏、言すらく、

なんじ、すでに年老なり。

僧食を食すべし。


摩訶迦葉、尊者、いわく、

われ、もし如来の出世にあわずば、辟支仏となるべし、生前に山林に居すべし。

さいわいに、如来の出世にあう。

法のうるおいあり。

しかありというとも、ついに、僧食を食すべからず。


如来、称讃しまします。


あるいは、迦葉、頭陀、行持のゆえに、形体、憔悴せり。

衆みて軽忽するがごとし。

ときに、如来、ねんごろに迦葉をめして、半座をゆずりまします。

迦葉、尊者、如来の座に坐す。


しるべし。

摩訶迦葉は、仏会の上座なり。

生前の行持、ことごとく、あぐべからず。


第十祖、波栗湿縛、尊者は、一生、脇、不至席なり。

これ、八旬、老年の弁道なりといえども、当時、すみやかに大法の単伝す。

これ、光陰をいたずらにもらさざるによりて、わずかに三箇年の功夫なりといえども、三菩提の正眼を単伝す。

尊者の在胎、六十年なり、出胎、髪白なり。

誓、不屍臥、名、脇尊者。

乃至、暗中、手放光明、以、取、経法。

これ、生得の奇相なり。

脇尊者、生年八十、垂、捨家、染衣。

域中( or 城中)、少年、便、誚、之、曰、

愚夫、朽老。

一、何、浅智?

夫、出家、者、有、二業、焉。

一、則、習定。

二、乃、誦経。

而、今、衰耄、無所、進取。

濫跡、清流。

徒、知、飽食。


時、脇尊者、聞、諸譏議、因、謝、時人、而、自、誓、曰、

我、若、不通、三蔵理、不断、三界欲、不得、六神通、不具、八解脱、終、不、以、脇、至、於、席。


自爾之後、唯日不足、経行、宴坐、住立、思惟。

昼、則、研習、理教。

夜、乃、静慮、凝神。

綿歴三歳、学通、三蔵、断、三界欲、得、三明智。

時人、敬仰、因、号、脇尊者。


しかあれば、脇尊者、処胎、六十年、はじめて出胎せり。

胎内に功夫なからんや?

出胎よりのち八十にならんとするに、はじめて出家、学道をもとむ。

託胎よりのち一百四十年なり。

まことに、不群なりといえども、朽老は阿誰よりも朽老ならん。

処胎にて老年なり、出胎にても老年なり。

しかあれども、時人の譏嫌をかえりみず、誓願の一志、不退なれば、わずかに三歳をふるに、弁道、現成するなり。

だれが見賢、思斉をゆるくせん?

年老耄及をうらむることなかれ。

この生、しりがたし。

生か? 生にあらざるか?

老か? 老にあらざるか?

四見、すでに、おなじからず。

諸類の見、おなじからず。

ただ志気を専修にして弁道、功夫すべきなり。

弁道に生死をみるに相似せりと参学すべし。

生死に弁道するにはあらず。

いまの人、あるいは、五旬、六旬におよび、七旬、八旬におよぶに、弁道をさしおかんとするは至愚なり。

生来、たとえ、いくばくの年月と覚知すとも、これは、しばらく、人間の精魂の活計なり、学道の消息にあらず。

壮齢、耄及をかえりみることなかれ。

学道究弁を一志すべし。

脇尊者に斉肩なるべきなり。

塚間の一堆の塵土、あながちに、おしむことなかれ、あながちに、かえりみることなかれ。

一志に度取せずば、だれが、だれをあわれまん?

無主の形骸、いたずらに遍野せんとき、眼睛をつくるがごとく正観すべし。


六祖は、新州の樵夫なり、有識と称しがたし。

いとけなくして父を喪す、老母に養育せられて長ぜり。

樵夫の業を養母の活計とす。

十字の街頭にして一句の聞経よりのち、たちまちに老母をすてて大法をたずぬ。

これ、奇代の大器なり、拔群の弁道なり。

断臂、たとえ容易なりとも、この割愛は大難なるべし。

この棄恩は、かろかるべからず。

黄梅の会に投じて八箇月、ねむらず、やすまず、昼夜に米をつく。

夜半に衣、鉢を正伝す。

得法已後、なお石臼をおい、ありきて、米をつくこと、八年なり。

出世、度人、説法するにも、この石臼をさしおかず、希世の行持なり。


江西、馬祖の坐禅することは、二十年なり。

これ、南嶽の密印を稟受するなり。

伝法、済人のとき、坐禅をさしおくと道取せず。

参学の、はじめて、いたるには、かならず、心印を密受せしむ。

普請、作務のところに、かならず、先赴す。

老にいたりて懈倦せず。

いまの臨済は、江西の流なり。


雲巌和尚は、道悟と、おなじく、薬山に参学して、ともに、ちかいをたてて、四十年、わきを席につけず、一味、参究す。

法を洞山の悟本大師に伝付す。

洞山、いわく、

われ、欲、打成、一片、坐禅、弁道、已、二十年なり。


いま、その道、あまねく伝付せり。


雲居山、弘覚大師、そのかみ、三峰庵に住せしとき、天厨送食す。

大師、あるとき、洞山に参じて、大道を決択して、さらに庵にかえる。

天使、また食を再送して師を尋見( or 尋覓)するに、三日をへて、師をみること、えず。

天厨をまつこと、なし。

大道を所宗とす弁肯の志気、おもいやるべし。


百丈山、大智禅師、そのかみ、馬祖の侍者とありしより、入寂のゆうべにいたるまで、一日も為衆為人の勤仕なき日あらず。

かたじけなく、一日不作、一日不食のあとをのこすというは、

百丈禅師、すでに年老臘高なり。

なお、普請、作務のところに、壮齢と同、励力す。

衆、これをいたむ。

人、これをあわれむ。

師、やまざるなり。

ついに、作務のとき、作務の具をかくして師にあたえざりしかば、師、その日一日、不食なり。

衆の作務にくわわらざることをうらむる意旨なり。

これを百丈の一日不作、一日不食のあと、という。

いま、大宋国に流伝せる臨済の玄風、ならびに、諸方、叢林、おおく、百丈の玄風を行持するなり。


鏡清和尚、住院のとき、土地神、かつて師顔をみること、えず。

たよりをえざるによりてなり。


三平山、義忠禅師、そのかみ、天厨送食す。

大巓をみてのちに、天神、また師をもとむるに、みること、あたわず。


後大潙和尚、いわく、

我、二十年、在、潙山、喫、潙山飯、屙、潙山屙、不参、潙山道。

只、牧、得、一頭、水牯牛、終日、露、回回、也。


しるべし。

一頭の水牯牛は、二十年、在、潙山の行持より、牧、得せり。

この師、かつて百丈の会下に参学しきたれり。

しずかに二十年中の消息、おもいやるべし。

わするるとき、なかれ。

たとえ参、潙山道する人ありとも、不参、潙山道の行持は、まれなるべし。


趙州、観音院、真際大師、従諗和尚、とし六十一歳なりしに、はじめて発心、求道をこころざす。

瓶、錫をたずさえて行脚し、遍歴、諸方するに、つねに、みずから、いわく、

七歳童児、若、勝、我者、我、即、問、伊。

百歳老翁、不及、我者、我、即、教、他。


かくのごとくして南泉の道を学得する功夫、すなわち、二十年なり。

年、至、八十のとき、はじめて趙州、城東、観音院に住して、人、天を化導すること、四十年来なり。

いまだかつて一封の書をもって檀那につけず。

僧堂、おおきならず、前架なし、後架なし。

あるとき、牀脚、おれき。

一隻の焼断の燼木を縄をもって、これをゆいつけて年月を経歴し修行するに、知事、この牀脚をかえんと請するに、趙州、ゆるさず。

古仏の家風、きくべし。

趙州の、趙州に住することは八旬よりのちなり、伝法より、このかたなり。

正法、正伝せり。

諸人、これを古仏という。

いまだ正法、正伝せざらん余人は師よりも、かろかるべし。

いまだ八旬にいたらざらん余人は師よりも、強健なるべし。

壮年にして軽爾ならん、われら、なんぞ老年の崇重なると、ひとしからん?

はげみて弁道、行持すべきなり。

四十年のあいだ世財をたくわえず、常住に米、穀なし。

あるいは、栗子、椎子をひろうて食物にあつ。

あるいは、旋転飯食す。

まことに、上古、龍象の家風なり、恋慕すべき操行なり。

あるとき、衆にしめして、いわく、

爾、若、一生、不離、叢林、不語、十年、五載、

無、人、喚、爾、作、唖漢、

已後、諸仏、也、不奈、爾、何?


これ、行持をしめすなり。

しるべし。

十年、五載の不語、おろかなるに相似せりといえども、不離、叢林の功夫によりて、不語なりといえども、唖漢にあらざらん。

仏道、かくのごとし。

仏道声をきかざらんは、不語の不唖漢なる道理あるべからず。

しかあれば、行持の至妙は、不離、叢林なり。

不離、叢林は、脱落なる全語なり。

至愚の、みずからは、不唖漢をしらず、不唖漢をしらせず。

阿誰か遮障せざれども、しらせざるなり。

不唖漢なるを得、恁麼なりときかず、得、恁麼なりとしらざらんは、あわれむべき自己なり。

不離、叢林の行持、しずかに行持すべし。

東西の風に東西することなかれ。

十年、五載の春風秋月しらざれども、声色透脱の道あり。

その道得、われに不知なり、われに不会なり。

行持の寸陰を可惜許なりと参学すべし。

不語を空然なると、あやしむことなかれ。

入之、一叢林なり。

出之、一叢林なり。

鳥路、一叢林なり。

遍界、一叢林なり。


大梅山は、慶元府にあり。

この山に護聖寺を草創す、法常禅師、その本元なり。

禅師は襄陽人なり。

かつて馬祖の会に参じて、とう、如何、是、仏? と。

馬祖、云、即心是仏、と。

法常、このことばをききて、言下、大悟す。

因に、大梅山の絶頂にのぼりて人倫に不群なり、草庵に独居す。

松実を食し、荷葉を衣とす。

かの山に小池あり。

池に荷、おおし。

坐禅、弁道すること、三十余年なり。

人事たえて見聞せず、年暦、おおよそ、おぼえず、四山、青、又、黄のみをみる。

おもいやるには、あわれむべき風霜なり。

師の坐禅には、八寸の鉄塔、一基を頂上におく、如、載、宝冠なり。

この塔を落地却せしめざらんと功夫すれば、ねむらざるなり。

その塔、いま、本山にあり、庫下に交割す。

かくのごとく弁道すること、死にいたりて懈倦なし。

かくのごとくして年月を経歴するに、塩官の会より一僧きたりて、山にいりて拄杖をもとむる、ちなみに、迷、山路して、はからざるに師の庵所にいたる。

不期のなかに師をみる。

すなわち、とう、

和尚、この山に住してより、このかた、多少、時、也?

師、いわく、

只、見、四山、青、又、黄。

この僧、また、とう、

出山、路、向、什麼所、去?

師、いわく、

随流、去。

この僧、あやしむこころあり。

かえりて塩官に挙似するに、塩官、いわく、

そのかみ、江西にありしとき、一僧を曾、見す。

それよりのち消息をしらず。

莫、是、此僧? 否?


ついに僧に令( or 命)じて、師を請するに出山せず。

偈をつくりて答するに、いわく、

摧残枯木、倚、寒林。

幾度、逢、春、不変、心。

樵客、遇、之、猶、不顧。

郢人、那、得、苦、追尋?


ついに、おもむかず。

これよりのち、なお山奥へいらんとせしちなみに、有頌するに、いわく、

一池、荷葉衣、無尽。

数樹、松華、食、有、余。

剛、被、世人、知、住所。

更、移、茅舎、入、深居。


ついに、庵を山奥にうつす。

あるとき、馬祖、ことさら僧をつかわして、とわしむ、

和尚、そのかみ、馬祖を参見せしに、得、何道理、便、住、此山なる?

師、いわく、

馬祖、われにむかいて、いう、即心是仏。すなわち、この山に住す。

僧、いわく、

近日、仏法、また別なり。

師、いわく、

作麼生、別なる?

僧、いわく、

馬祖、いわく、非心非仏とあり。

師、いわく、

這老漢、ひとを惑乱すること、了期あるべからず。

任、他、非心非仏。

我、祗管、即心是仏。


この道をもちて馬祖に挙似す。

馬祖、云、

梅子、熟、也。

この因縁は、人、天みな、しれるところなり。

天龍は、師の神足なり。

倶胝は、師の法孫なり。

高麗の迦智は、師の法を伝持して本国の初祖なり。

いま、高麗の諸師は、師の遠孫なり。

生前には一虎、一象、よのつねに給侍す。

あいあらそわず。

師の円寂ののち、虎、象、石をはこび、泥をはこびて師の塔をつくる。

その塔、いま、護聖寺に現在せり。

師の行持、むかし、いまの知識とあるは、おなじく、ほむるところなり。

劣慧のものは、ほむべしとしらず。

貪名愛利のなかに仏法あらましと強為するは小量の愚見なり。


五祖山の法演禅師、いわく、

師翁、はじめて楊岐に住せしとき、老屋敗椽して、風雨の敝はなはだし。

ときに、冬暮なり。

殿堂ことごとく旧損せり。

そのなかに、僧堂、ことにやぶれ、雪霰満牀、居不遑処なり。

雪頂の耆宿、なお澡雪し、厖眉の尊年、皺眉のうれえ、あるがごとし。

衆僧、やすく坐禅することなし。

衲子、投誠して修造せんことを請ぜしに、師翁、却、之、いわく、

我仏、有、言、

時、当、減劫、高岸、深谷、遷変、不常。

安、得、円満如意、自、求、称、足?


古往の聖人、おおく、樹下、露地に経行す。

古来の勝躅なり、履空の玄風なり。

なんだち、出家、学道する、做手脚なおいまだ、おだやかならず。

わずかに、これ、四、五十歳なり。

だれが、いたずらなる、いとま、ありて豊屋をこととせん?


ついに、不従なり。

翌日に、上堂して、衆にしめして、いわく、

楊岐、乍、住、屋、壁、疎、満牀尽、撒、雪珍珠。

縮、却項、暗、嗟嘘、翻、憶、古人、樹下居。


ついに、ゆるさず。

しかあれども、四海五湖の雲衲霞袂、この会に掛錫するを、ねがうところとせり。

耽道の人、おおきことをよろこぶべし。

この道、こころにそむべし。

この語、みに銘ずべし。

演和尚、あるとき、しめして、いわく、

行、無越、思。

思、無越、行。


この語、おもくすべし。

日夜、思、之、朝夕、行、之。

いたずらに東西南北の風にふかるるがごとくなるべからず。

いわんや、この日本国は、王臣の宮殿なお、その豊屋、あらず。

わずかに、おろそかなる白屋なり。

出家、学道の、いかでか、豊屋に幽棲する、あらん?

もし豊屋をえたるは、邪命にあらざるなし、清浄なる、まれなり。

もとより、あらんは論にあらず。

はじめて、さらに、経営することなかれ。

草庵、白屋は、古聖の所住なり、古聖の所愛なり。

晩学、したい参学すべし、たがゆることなかれ。

黄帝、堯、舜、等は、俗なりといえども、草屋に居す、世界の勝躅なり。

尸子、曰、

欲、観、黄帝之行、於、合宮。

欲、観、堯、舜之行、於、総章。

黄帝、明堂、以、草蓋、之、名、曰、合宮。

舜之明堂、以、草蓋、之、名、曰、総章。


しるべし。

合宮、総章は、ともに、草を(もって)ふくなり。

いま、黄帝、堯、舜をもって、われらにならべんとするに、なお天地の論にあらず。

これ、なお、草蓋を明堂とせり。

俗、なお、草屋に居す。

出家人、いかでか高堂、大観を所居に擬せん?

慚愧すべきなり。

古人の樹下に居し、林間にすむ、在家、出家、ともに、愛する所住なり。

黄帝は、崆峒道人、広成の弟子なり。

広成は、崆峒という巌のなかに、すむ。

いま、大宋国の国王、大臣、おおく、この玄風をつたうるなり。

しかあれば、すなわち、塵労中人、なお、かくのごとし。

出家人、いかでか塵労中人よりも劣ならん? 塵労中人よりも、にごれらん?

向来の仏祖のなかに、天の供養をうくる、おおし。

しかあれども、すでに得道のとき、天眼およばず、鬼神たよりなし。

そのむね、あきらむべし。

天衆神道もし仏祖の行履をふむときは、仏祖にちかづくみちあり。

仏祖、あまねく天衆神道を超証するには、天衆神道、はるかに見上のたよりなく、仏祖のほとりにちかづきがたきなり。

南泉、いわく、

老僧、修行のちからなくして鬼神に覰見せらる。


しるべし。

無修の鬼神に覰見せらるるは、修行のちからなきなり。


太白山、宏智禅師、正覚和尚の会に、護伽藍神、いわく、

われ、きく、覚和尚、この山に住すること、十余年なり。

つねに寝堂にいたりて、みんとするに、不能前なり、未之識也。


まことに、有道の先蹤にあいあうなり。

この天童山は、もとは小院なり。

覚和尚の住裏に、道士観、尼寺、教院、等を掃除して、いまの景徳寺となせり。

師、遷化の後、左朝奉、大夫、侍御史、王伯庠、因に、師の行業記を記するに、ある人、いわく、

かの道士観、尼寺、教院をうばいて、いまの天童寺となせることを記すべし。

御史、いわく、

不可なり。此事、非、僧徳、矣。

ときの人、おおく、侍御史をほむ。

しるべし。

かくのごとくの事は、俗の能なり、僧の徳にあらず。


おおよそ、仏道に登入する最初より、はるかに三界の人、天をこゆるなり。

三界の所使にあらず、三界の所見にあらざること、審細に咨問すべし。

身口意、および、依正をきたして功夫、参究すべし。

仏祖、行持の功徳、もとより、人、天を済度する巨益ありとも、人、天、さらに仏祖の行持にたすけらるると覚知せざるなり。

いま仏祖の大道を行持せんには、大隠、小隠を論ずることなく、聡明、鈍痴をいとうことなかれ。

ただ、ながく名利をなげすてて、万縁に繋縛せらるることなかれ。

光陰をすごさず、頭燃をはらうべし。

大悟をまつことなかれ。

大悟は、家常の茶飯なり。

不悟をねがうことなかれ。

不悟は髻中の宝珠なり。

ただ、まさに、

家郷あらんは、家郷をはなれ、

恩愛あらんは、恩愛をはなれ、

名あらんは、名をのがれ、

利あらんは、利をのがれ、

田園あらんは、田園をのがれ、

親族あらんは、親族をはなるべし。

名利、等なからんも、また、はなるべし。

すでにあるをはなる、なきをもはなるべき道理あきらかなり。

それ、すなわち、一条の行持なり。

生前に名利をなげすてて一事を行持せん、仏寿長遠の行持なり。

いま、この行持、さだめて、行持に行持せらるるなり。

この行持あらん身心、みずからも愛すべし、みずからも、うやまうべし。


大慈寰中禅師、いわく、

説得、一丈、不如、行取、一尺。

説得、一尺、不如、行取、一寸。


これは、時人の行持、おろそかにして仏道の通達をわすれたるがごとくなるをいましむるににたりといえども、一丈の説は不是とにはあらず。

一尺の行は一丈の説よりも大功なり、というなり。

なんぞ、ただ、丈、尺の度量のみならん。

はるかに須弥と芥子との論功もあるべきなり。

須弥に全量あり、芥子に全量あり。

行持の大節、これ、かくのごとし。

いまの道得は、寰中の自為道にあらず、寰中の自為道なり。


洞山、悟本大師、道、

説取、行不得底。

行取、説不得底。


これ、高祖の道なり。

その宗旨は、行は説に通ずるみちをあきらめ、説の行に通ずるみちあり。

しかあれば、終日とくところに、終日おこなうなり。

その宗旨は、行不得底を行取し、説不得底を説取するなり。


雲居山、弘覚大師、この道を七通八達するに、いわく、

説時、無行路。

行時、無説路。


この道得は、行、説なきにあらず。

その説時は、一生、不離、叢林なり。

その行時は、洗頭、到、雪峰前なり。

説時、無行路。行時、無説路。さしおくべからず。みだらざるべし。


古来の仏祖、いいきたれることあり。

いわゆる、

若、人、生、百歳、

不会、諸仏機、

未、若、生、一日、而、能、決了、之。


これは、一仏、二仏のいうところにあらず、諸仏の道取しきたれるところ、諸仏の行取しきたれるところなり。

百、千、万劫の回生回死( or 同生同死)のなかに、行持ある一日は、髻中の明珠なり、同生同死の古鏡なり、よろこぶべき一日なり、行持力、みずから、よろこばるるなり。

行持のちから、いまだいたらず、仏祖の骨髄うけざるがごときは、仏祖の身心をおしまず、仏祖の面目をよろこばざるなり。

仏祖の面目、骨髄、これ、不去なり、如去なり、如来なり、不来なりといえども、かならず、一日の行持に稟受するなり。

しかあれば、一日は、おもかるべきなり。

いたずらに百歳いけらんは、うらむべき日月なり、かなしむべき形骸なり。

たとえ百歳の日月は声色の奴婢と馳走すとも、そのなか一日の行持を行取せば、一生の百歳を行取するのみにあらず、百歳の他生をも度取すべきなり。

この一日の身命は、とうとぶべき身命なり、とうとぶべき形骸なり。

かるがゆえに、いけらんこと一日ならんは、諸仏の機を会せば、この一日を曠劫多生にも、すぐれたりとするなり。

このゆえに、いまだ決了せざらんときは、一日をいたずらに、つかうことなかれ。

この一日は、おしむべき重宝なり。

尺璧の価直に擬すべからず、驪珠にかうることなかれ。

古賢、おしむこと、身命よりも、すぎたり。

しずかに、おもうべし。

驪珠は、もとめつべし、尺璧は、うることもあらん。

一生の百歳のうちの一日は、ひとたび、うしなわん、ふたたび、うること、なからん。

いずれの善巧方便ありてか、すぎにし一日をふたたび、かえし、えたる?

紀事( or 記事)の書にしるさざるところなり。

もし、いたずらに、すごさざるは、日月を皮袋に包含して、もらさざるなり。

しかあるを、古聖、先賢は、日月をおしみ、光陰をおしむこと、眼睛よりも、おしむ、国土よりも、おしむ。

その、いたずらに蹉過するというは、名利の浮世に濁乱しゆくなり。

いたずらに蹉過せずというは、道にありながら、道のために、するなり。

すでに決了することをえたらん、また一日をいたずらにせざるべし。

ひとえに道のために行取し、道のために説取すべし。

このゆえに、しりぬ。

古来の仏祖、いたずらに一日の功夫をついやさざる儀、よのつねに観想すべし。

遅遅、華日も明窓に坐して、おもうべし。

蕭蕭、雨夜も白屋に坐して、わするることなかれ。

光陰、なにとしてか、わが功夫をぬすむ?

一日をぬすむのみにあらず、多劫の功徳をぬすむ。

光陰と、われと、なんの怨家ぞ?

うらむべし。

わが不修の、しかあらしむるなるべし。

われ、われと、したしからず。

われ、われをうらむるなり。

仏祖も恩愛なきにあらず。

しかあれども、なげすてきたる。

仏祖も諸縁なきにあらず。

しかあれども、なげすてきたる。

たとえ、おしむとも、自他の因縁、おしまるべきにあらざるがゆえに。

われ、もし恩愛をなげすてずば、恩愛かえりて、われをなげすつべき云為あるなり。

恩愛をあわれむべくば、恩愛をあわれむべし。

恩愛をあわれむ、というは、恩愛をなげすつるなり。


南嶽、大慧禅師、懐譲和尚、そのかみ、曹谿に参じて、執侍すること、十五秋なり。

しこうして、伝道受業すること、一器水、瀉、一器なることをえたり。

古先の行履、もっとも慕古すべし。

十五秋の風霜、われをわずらわす、おおかるべし。

しかあれども、純一に究弁す。

これ、晩進の亀鏡なり。

寒炉に炭なく、ひとり虚堂にふせり。

涼夜に燭なく、ひとり明窓に坐する。

たとえ一知、半解なくとも、無為の絶学なり。

これ、行持なるべし。

おおよそ、ひそかに貪名愛利をなげすてきたりぬれば、日日に行持の積功のみなり。

このむね、わするることなかれ。

説、似一物、即、不中は、八箇年の行持なり。

古今、まれなりとするところ、賢、不肖、ともに、こいねがう行持なり。


香厳の智閑禅師は、大潙に耕道せしとき、一句を道得せんとするに数番、ついに道不得なり。

これをかなしみて、書籍を火にやきて、行粥飯僧となりて年月を経歴しき。

のちに武当山にいりて、大証の旧趾をたずねて結草為庵し、放下、幽棲す。

一日、わずかに道路を併浄するに、礫のほとばしりて竹にあたりて声をなすによりて、忽然として悟道す。

のちに香厳寺に住して、一盂、一衲を平生に不換なり。

奇巌、清泉をしめて、一生偃息の幽棲とせり。

行跡、おおく、本山にのこれり。

平生に山をいでざりける、という。


臨済院、慧照大師は、黄檗の嫡嗣なり。

黄檗の会にありて三年なり。

純一に弁道するに、睦州、陳尊宿の教訓によりて、仏法の大意を黄檗にとうこと、三番するに、かさねて六十棒を喫す。

なお、励志、たゆむことなし。

大愚にいたりて大悟することも、すなわち、黄檗、睦州、両尊宿の教訓なり。

祖席の英雄は臨済、徳山、という。

しかあれども、徳山、いかにしてか臨済におよばん?

まことに、臨済のごときは群に群せざるなり。

そのときの群は、近代の抜群よりも抜群なる。

行業、純一にして、行持、抜群せりという。

幾枚、幾般の行持なりとおもい擬せんとするに、あたるべからざるものなり。


師、在、黄檗、与、黄檗、栽、杉、松、次、黄檗、問、師、曰、

深山裏、栽、許多樹、作麼?

師、曰、

一、

与、山門、為、境、致。

二、

与、後人、作、標榜。


乃、将、鍬、拍、地、両下。

黄檗、拈、起、拄杖、曰、

雖然如是、汝、已、喫、我三十棒、了、也。


師、作、嘘嘘声。

黄檗、曰、

吾宗、到、汝、大興、於、世。


しかあれば、すなわち、得道ののちも杉、松などをうえけるに、てずから、みずから鍬柄をたずさえける、としるべし。

吾宗、到、汝、大興、於、世、これによるべきものならん。

栽松道者の古蹤、まさに、単伝直指なるべし。

黄檗も臨済とともに栽樹するなり。

黄檗のむかしは、捨衆して、大安精舎の労侶に混迹して、殿堂を掃灑する行持あり。

仏殿を掃灑し、法堂を掃灑す。

心を掃灑する、と、行持をまたず。

ひかりを掃灑する、と、行持をまたず。

裴相国と相見せし、この時節なり。


唐、宣宗、皇帝は、憲宗皇帝、第二の子なり。

少而より敏黠なり。

よのつねに結跏趺坐を愛す。

宮にありて、つねに坐禅す。

穆宗は、宣宗の兄なり。

穆宗、在位のとき、早朝罷に、宣宗、すなわち、戯而して、龍牀にのぼりて、揖、群臣の勢をなす。

大臣、これをみて、心風なり、とす。

すなわち、穆宗に奏す。

穆宗、みて、宣宗を撫而して、いわく、

我弟、乃、吾宗之英冑、也。

ときに、宣宗、とし、はじめて十三なり。

穆宗は、長慶四年、晏駕あり。

穆宗に三子あり。

一は敬宗、二は文宗、三は武宗なり。

敬宗、父位をつぎて、三年に崩ず。

文宗継位するに、一年というに、内臣、謀而、これを易す。

武宗、即位するに、宣宗、いまだ即位せずして、おいのくににあり。

武宗、つねに宣宗をよぶに痴叔という。

武宗は、会昌の天子なり。

仏法を廃せし人なり。

武宗、あるとき、宣宗をめして、昔日、ちちのくらいにのぼりしことを罰して、一頓打殺して、後華園のなかにおきて、不浄を灌するに、復生す。

ついに、父王の邦をはなれて、ひそかに香厳禅師の会に参じて、剃頭して沙弥となりぬ。

しかあれども、いまだ不具戒なり。

志閑禅師をともとして、遊方するに、盧山にいたる。

因に、志閑、みずから瀑布を題して、いわく、

穿崖透石、不辞、労。

遠地方、知、出処、高。


この両句をもって、沙弥を釣他して、これ、いかなる人ぞ? とみんとするなり。

沙弥、これを続して、いわく、

谿澗、豈、能、留、得、住?

終、帰、大海、作、波濤。


この両句をみて、沙弥は、これ、つねの人にあらず、としりぬ。

のちに、杭州、塩官斉安国師の会にいたりて書記に充するに、黄檗禅師、ときに、塩官の首座に充す。

ゆえに、黄檗と連単なり。

黄檗、ときに、仏殿にいたりて礼仏するに、書記いたりて、とう、

不著、仏、求、

不著、法、求、

不著、僧、求、

長老、用、礼、何、為?


かくのごとく問著するに、黄檗、便、掌して、沙弥書記にむかいて、道す、

不著、仏、求、

不著、法、求、

不著、僧、求、

常、礼、如是事。


かくのごとく道しおわりて、又、掌すること、一掌す。

書記、いわく、

太麤生なり。

黄檗、いわく、

這裏、是、什麼、所在、更、説、什麼、麤、細?

また書記を掌すること、一掌す。

書記、ちなみに、休去す。

武宗ののち、書記、ついに還俗して即位す。

武宗の廃仏法を廃して、宣宗、すなわち、仏法を中興す。

宣宗は、即位、在位のあいだ、つねに坐禅をこのむ。

未即位のとき、父王のくにをはなれて、遠地の谿澗に遊方せしとき、純一に弁道す。

即位ののち、昼夜に坐禅す、という。

まことに、父王、すでに崩御す、兄弟、また、晏駕す、おいのために打殺せらる。

あわれむべき窮子なるがごとし。

しかあれども、励志、うつらず、弁道、功夫す。

奇代の勝躅なり。

天真の行持なるべし。


雪峰山、真覚大師、義存和尚、かつて発心より、このかた、掛錫の叢林、および、行程の接待、みち、はるかなりといえども、ところをきらわず日夜の坐禅、おこたることなし。

雪峰草創の露堂堂にいたるまで、おこたらずして坐禅と同死す。

咨参のそのかみは九上、洞山、三到、投子する。

奇世の弁道なり。

行持の清厳をすすむるには、いまの人、おおく、雪峰高行という。

雪峰の昏昧は諸人と、ひとしといえども、雪峰の伶俐は、諸人の、およぶところにあらず。

これ、行持の、しかあるなり。

いまの道人、かならず、雪峰、澡雪をまなぶべし。

しずかに雪峰の諸方に参学せし筋力をかえりみれば、まことに、宿有霊骨の功徳なるべし。

いま、有道の宗匠の会をのぞむに、真実に請参せんとするとき、そのたより、もっとも難弁なり。

ただ、二十、三十箇の皮袋にあらず、百、千人の面面なり。

おのおの実帰をもとむ。

授手の、日、くれなんとす。

打春の夜、あけなんとす。

あるいは、師の普説するときは、わが耳目なくして、いたずらに見聞をへだつ。

耳目そなわるときは、師、また、道取おわりぬ。

耆宿尊年の老古錐、すでに拊掌、笑呵呵のとき、新戒、晩進の、おのれとしては、むしろのすえを接するたより、なお、まれなるがごとし。

堂奥にいると、いらざると、師決をきくと、きかざると、あり。

光陰は、矢よりも、すみやかなり。

露命は、身よりも、もろし。( or 身命は、露よりも、もろし。)

師は、あれども、われ、参、不得なる、うらみあり。

参ぜんとするに、師、不得なる、かなしみあり。

かくのごとくの事、まのあたり、見聞せしなり。

大善知識、かならず、人をしる徳あれども、耕道、功夫のとき、あくまで親近する良縁、まれなるものなり。

雪峰の、むかし、洞山にのぼれりけんにも、投子にのぼれりけんにも、さだめて、この事煩をしのびけん。

この行持の法操、あわれむべし。

参学せざらんは、かなしむべし。


真丹、初祖の西来東土は、般若多羅尊者の教勅なり。

航海、三載の霜華、その風雪、いたましきのみならんや?

雲煙、いくかさなりの嶮浪なりとかせん?

不知のくににいらんとす。

身命をおしまん凡類、おもいよるべからず( or おもいたつべからず)。

これ、ひとえに伝法救迷情の大慈より、なれる、行持なるべし。

伝法の自己なるがゆえに、しかあり。

伝法の遍界なるがゆえに、しかあり。

尽十方界は真実道なるがゆえに、しかあり。

尽十方界、自己なるがゆえに、しかあり。

尽十方界、尽十方界なるがゆえに、しかあり。

いずれの生縁か、王宮にあらざらん?

いずれの王宮か、道場をさえん?

このゆえに、かくのごとく西来せり。

救迷情の自己なるゆえに、驚疑なく、怖畏せず。

救迷情の遍界なるゆえに、驚疑せず、怖畏なし。

ながく父王の国土を辞して、大舟をよそおうて、南海をへて広州にと、つく。

使船( or 便、船)の人、おおく、巾瓶の僧、あまたありといえども、史者、失録せり。

著岸より、このかた、しれる人なし。

すなわち、梁代の普通八年丁未歳、九月二十一日なり。

広州の刺史、蕭昂というもの、主礼をかざりて迎接したてまつる。

ちなみに、表を修して武帝にきこゆる、蕭昂が勤恪なり。

武帝、すなわち、奏を覧じて、欣悦して、使に詔をもたせて迎請したてまつる。

すなわち、そのとし、十月一日なり。

初祖、金陵にいたりて、梁武と相見するに、梁武とう、

朕、即位已来、造寺、写経、度僧、不可、勝、紀。

有、何、功徳?


師、曰、

並、無、功徳。


帝、曰、

以、何、無、功徳?( or 何、以、無、功徳?)


師、曰、

此、但、人、天、小果。

有漏之因。

如、影、随、形。

雖、有、非、実。


帝、曰、

如何、是、真功徳?


師、曰、

浄智、妙円。

体、自、空寂。

如是、功徳、不、以、世、求。


帝、又、問、

如何、是、聖諦、第一義諦?


師、曰、

廓然、無聖。


帝、曰、

対、朕、者、誰?


師、曰、

不識。


帝、不領悟。

師、知、機、不契。

ゆえに、この十月十九日、ひそかに江北にゆく。

そのとし、十一月二十三日、洛陽にいたりぬ。

嵩山、少林寺に寓止して、面壁、而、坐、終日、黙然なり。

しかあれども、魏主も不肖にして、しらず、はじつべき理も、しらず。

師は、南天竺の刹利種なり。

大国の皇子なり。

大国の王宮、その法、ひさしく慣熟せり。

小国の風俗は、大国の帝者に為見の、はじつべきあれども、初祖、うごかしむる、こころあらず。

くにをすてず、人をすてず。

ときに、菩提流支の訕謗を救せず、にくまず。

光統律師が邪心をうらむるにたらず、きくにおよばず。

かくのごとくの功徳おおしといえども、東地の人物、ただ、尋常の三蔵、および、経論師のごとくにおもうは、至愚なり。

小人なるゆえなり。

あるいは、おもう、禅宗とて一途の法門を開演するが、自余の論師等の所云も初祖の正法も、おなじかるべき、とおもう。

これは仏法を濫穢せしむる小畜なり。

初祖は、釈迦牟尼仏より二十八世の嫡嗣なり。

父王の大国をはなれて東地の衆生を救済する。

だれの、かたをひとしくするか、あらん?

もし祖師、西来せずば、東地の衆生、いかにしてか、仏正法を見聞せん?

いたずらに名相の沙、石にわずらうのみならん。

いま、われらがごときの辺地、遠方の披毛戴角までも、あくまで正法をきくことをえたり。

いまは、田夫、農父、野老、村童までも見聞する。

しかしながら、祖師、航海の行持にすくわるるなり。

西天と中華と、土風、はるかに勝劣せり、方俗、はるかに邪正あり。

大忍力の大慈にあらずよりは、伝持、法蔵の大聖、むかうべき所在にあらず。

住すべき道場なし。

知人の人、まれなり。

しばらく、嵩山に掛錫すること、九年なり。

人、これを壁観婆羅門という。

史者、これを習禅の列に編集すれども、しかにはあらず。

仏仏、嫡嫡、相伝する正法眼蔵、ひとり祖師のみなり。


石門林間録、云、

菩提達磨、初、自梁之魏、経行、於、嵩山之下、倚杖( or 倚仗)、於、少林。

面壁、燕坐、而已、非、習禅、也。

久、之人、莫、測、其、故、因、以、達磨、為、習禅。

夫、禅那、諸行之一、耳。

何、足、以、尽、聖人?

而、当時之人、以、之、為、史者、又、従、而、伝、於、習禅之列、使、与、枯木死灰之徒、為、伍。

雖然、聖人、非、止、於、禅那。

而、亦、不違、禅那。

如、易、出、于、陰陽、而、亦、不違、乎、陰陽。


梁武、初見達磨之時、即、問、

如何、是、聖諦、第一義?


答、曰、

廓然、無聖。


進、曰、

対、朕、者、誰?


又、曰、

不識。


使、達磨、不通、方言、則、何、於、是時、使、能、爾、耶?


しかあれば、すなわち、梁より魏へゆくこと、あきらけし。

嵩山に経行して少林に倚杖す。

面壁、燕坐す、といえども、習禅にはあらざるなり。

一巻の経書を将来せざれども、正法、伝来の正主なり。

しかあるを、史者、あきらめず、習禅の篇につらぬるは、至愚なり。

かなしむべし。

かくのごとくして、嵩山に経行するに、犬あり、堯をほゆ。

あわれむべし。

至愚なり。

だれのこころあらんが、この慈恩をかろくせん?

だれのこころあらんが、この恩を報ぜざらん?

世恩、なお、わすれず、おもくする人、おおし。

これを人という。

祖師の大恩は、父母にも、すぐるべし。

祖師の慈愛は、親子にも、たくらべざれ。

われらが卑賤、おもいやれば、驚怖しつべし。

中土をみず、中華にうまれず。

聖をしらず、賢をみず。

天上にのぼれる人、いまだなし。

人心、ひとえに、おろかなり。

開闢より、このかた、化、俗の人、なし。

国をすますときをきかず。

いわゆるは、いかなるが清? いかなるが濁? としらざるによる。

二柄三才の本末にくらきによりて、かくのごとくなり。

いわんや、五才の盛衰をしらんや?

この愚は、眼前の声色にくらきによりてなり。

くらきことは、経書をしらざるによりてなり、経書に師なきによりてなり。

その師なしというは、この経書、いく十巻ということをしらず、この経、いく百偈、いく千言としらず、ただ文の説相をのみ、よむ。

いく千偈、いく万言ということをしらざるなり。

すでに古経をしり古書をよむがごときは、すなわち、慕古の意旨あるなり。

慕古のこころあれば、古経、きたり、現前するなり。

漢高祖、および、魏太祖、これら、天象の偈をあきらめ、地形の言をつたえし帝者なり。

かくのごときの経典あきらむるとき、いささか三才、あきらめきたるなり。

いまだ、かくのごとくの聖君の化にあわざる百姓のともがらは、いかなるを事君とならい、いかなるを事親とならう、としらざれば、君子としても、あわれむべきものなり。

親族としても、あわれむべきなり。

臣となれるも子となれるも、尺璧も、いたずらにすぎぬ、寸陰も、いたずらにすぎぬるなり。

かくのごとくなる家門にうまれて、国土のおもき職、なお、さずくる人なし、かろき官位、なお、おしむ。

にごれるとき、なお、しかあり。

すめらんときは、見聞も、まれならん。

かくのごときの辺地、かくのごときの卑賤の身命をもちながら、あくまで如来の正法をきかん、みちに、いかでか、この卑賤の身命をおしむこころあらん?

おしんでのちに、なにもののためにか、すてんとする?

おもく、かしこからん、なお、法のために、おしむべからず。

いわんや、卑賤の身命をや?

たとえ卑賤なりというとも、為道、為法のところに、おしまず、すつることあらば、上天よりも貴なるべし、輪王よりも貴なるべし、おおよそ、天神地祇、三界衆生よりも貴なるべし。

しかあるに、初祖は、南天竺国、香至王の第三皇子なり。

すでに、天竺国の帝胤なり、皇子なり。

高貴の、うやまうべき、東地、辺国には、かしづきたてまつるべき儀も、いまだ、しらざるなり。

香なし、華なし、坐褥おろそかなり、殿台つたなし。

いわんや、わがくには、遠方の絶岸なり。

いかでか、大国の皇をうやまう儀をしらん?

たとえ、ならうとも、迂曲して、わきまうべからざるなり。

諸侯と帝者と、その儀、ことなるべし。

その礼も軽重あれども、わきまえしらず。

自己の貴賤をしらざれば、自己を保任せず。

自己を保任せざれば、自己の貴賤、もっとも、あきらむべきなり。

初祖は、釈尊、第二十八世の付法なり。

道にありてより、このかた、いよいよ、おもし。

かくのごとくなる大聖至尊、なお、師勅によりて、身命をおしまざるは、伝法のためなり、救生のためなり。

真丹国には、いまだ、初祖西来よりさきに嫡嫡、単伝の仏子をみず、嫡嫡、面授の祖面を面授せず、見仏、いまだしかりき。

のちにも、初祖の遠孫のほか、さらに西来せざるなり。

曇華の一現は、やすかるべし。

年月をまちて算数しつべし。

初祖の西来は、ふたたびあるべからざるなり。

しかあるに、祖師の遠孫と称するともがらも、楚国の至愚にようて玉石いまだわきまえず、経師、論師も斉肩すべき、とおもえり。

少聞薄解によりて、しかあるなり。

宿殖般若の正種なきやからは、祖道の遠孫とならず、いたずらに名相の邪路に跉跰するもの、あわれむべし。

梁の普通よりのち、なお西天にゆくものあり。

それ、なにのためぞ?

至愚の、はなはだしきなり。

悪業の、ひくによりて、他国に跉跰するなり。

歩歩に謗法の邪路におもむく、歩歩に親父の家郷を逃逝す。

なんだち、西天にいたりて、なんの所得か、ある?

ただ山水に辛苦するのみなり。

西天の、東来する宗旨を学せず、仏法の東漸をあきらめざるによりて、いたずらに西天に迷路するなり。

仏法をもとむる名称ありといえども、仏法をもとむる道念なきによりて、西天にしても正師にあわず、いたずらに論師、経師にのみあえり。

そのゆえは、正師は西天にも現在せんとも、正法をもとむる正心なきによりて、正法、なんだちが手にいらざるなり。

西天にいたりて正師をみたる、という、だれか、その人、いまだ、きこえざるなり。

もし正師にあわば、いくそばくの名称をも自称せん。

なきによりて自称、いまだ、あらず。

また、真丹国にも、祖師西来よりのち、経論に倚解して、正法をとぶらわざる僧侶、おおし。

これ、経論を披閲すといえども、経論の旨趣に、くらし。

この黒業は今日の業力のみにあらず、宿生の悪業力なり。

今生、ついに、如来の真訣をきかず、如来の正法をみず、如来の面授にてらされず、如来の仏心を使用せず、諸仏の家風をきかざる。

かなしむべき一生ならん。

隋、唐、宋の諸代、かくのごときのたぐい、おおし。

ただ宿殖般若の種子ある人は、不期に入門せるもあるは、算沙の業を解脱して、祖師の遠孫となれりしは、ともに、利根の機なり、上上の機なり、正人の正種なり。

愚蒙のやから、ひさしく経論の草庵に止宿するのみなり。

しかあるに、かくのごとくの嶮難ある、さかいを辞せずといわず( or 辞せず、いとわず)、初祖、西来する玄風、いまなお、あふぐところに、われらが臭皮袋をおしんで、ついに、なににか、せん?

香厳禅師、いわく、

百計千方、只、為、身。

不知、身、是、塚中、塵。

莫、言、白髪、無、言語。

此、是、黄泉、伝、語、人。


しかあれば、すなわち、おしむに、たとえ百計千方をもってす、というとも、ついに、これ、塚中、一堆の塵と化するものなり。

いわんや、いたずらに小国の王民につかわれて東西に馳走いるあいだ、千辛万苦、いくばくの身心をか、くるしむる。

義によりては、身命をかろくす。

殉死の礼、わすれざるがごとし。

恩につかわるる前途、ただ暗頭の雲霧なり。

小臣につかわれ民間に身命をすつるもの、むかしより、おおし。

おしむべき人身なり。

道器となりぬべきゆえに。

いま、正法にあう。

百、千、恒沙の身命をすてても正法を参学すべし。

いたずらなる小人と、広大深遠の仏法と、いずれのためにか、身命をすつべき?

賢、不肖、ともに、進退にわずらうべからざるものなり。

しずかに、おもうべし。

正法、よに流布せざらんときは、身命を正法のために抛捨せんことをねがうとも、あうべからず。

正法にあう今日のわれらをねがうべし。

正法にあうて身命をすてざる、われらを慚愧せん。

はずべくば、この道理をはずべきなり。

しかあれば、祖師の大恩を報謝せんことは、一日の行持なり。

自己の身命をかえりみることなかれ。

禽獣よりも、おろかなる、恩愛、おしんで、すてざることなかれ。

たとえ愛惜すとも、長年のともなるべからず。

あくたのごとくなる家門、たのみて、とどまることなかれ。

たとえ、とどまるとも、ついの幽棲にあらず。

むかし、仏祖の、かしこかりし、みな、七宝千子をなげすて、玉殿、朱楼をすみやかに、すつ。

涕唾のごとく、みる。

糞土のごとく、みる。

これら、みな、古来の仏祖の、古来の仏祖を報謝しきたれる知恩、報恩の儀なり。

病雀、なお、恩をわすれず。

三府の環、よく、報謝あり。

窮亀、なお、恩をわすれず。

余不の印、よく、報謝あり。

かなしむべし、人面ながら、畜類よりも愚劣ならんことは。

いまの見仏聞法は、仏祖、面面の行持より、きたれる、慈恩なり。

仏祖もし単伝せずば、いかにしてか、今日にいたらん?

一句の恩、なお、報謝すべし。

一法の恩、なお、報謝すべし。

いわんや、正法眼蔵、無上大法の大恩、これを報謝せざらんや?

一日に無量、恒河沙の身命すてんこと、ねがうべし。

法のために、すてん、かばねは、世世の、われら、かえりて礼拝、供養すべし。

諸天、龍神、ともに、恭敬、尊重し、守護、讃歎するところなり。

道理、それ、必然なるがゆえに。

西天竺国には、髑髏をうり髑髏をかう婆羅門の法、ひさしく風聞せり。

これ、聞法の人の髑髏、形骸の功徳、おおきことを尊重するなり。

いま、道のために身命をすてざれば、聞法の功徳いたらず。

身命をかえりみず聞法するがごときは、その聞法、成熟するなり。

この髑髏は、尊重すべきなり。

いま、われら、道のために、すてざらん髑髏は、他日に、さらされて野外にすてらるとも、だれが、これを礼拝せん? だれが、これを売買せん?

今日の精魂、かえりて、うらむべし。

鬼の先骨をうつ、ありき。

天の先骨を礼せし、あり。

いたずらに塵、土に化するときをおもいやれば、いまの愛惜なし、のちの、あわれみあり。

もよおさるるところは、みん人の、なみだのごとくなるべし。

いたずらに塵、土に化して、人に、いとわれん髑髏をもって、よく、さいわいに、仏正法を行持すべし。

このゆえに、寒苦をおづることなかれ。

寒苦、いまだ、人をやぶらず。

寒苦、いまだ、道をやぶらず。

ただ不修をおづべし。

不修、それ、人をやぶり、道をやぶる。

暑熱をおづることなかれ。

暑熱、いまだ、人をやぶらず。

暑熱、いまだ、道をやぶらず。

不修、よく、人をやぶり、道をやぶる。

麦をうけ、蕨をとるは、道俗の勝躅なり。

血をもとめ、乳をもとめて、鬼畜にならわざるべし。

ただ、まさに、行持なる一日は、諸仏の行履なり。


真丹、第二祖、大祖、正宗普覚大師は、神、鬼、ともに嚮慕す。

道、俗、おなじく尊重せし高徳の師なり。

曠達の士なり。

伊洛に久居して群書を博覧す。

くにの、まれなりとするところ、人の、あいがたきなり。

法高徳重のゆえに、神物、倏見して、祖にかたりて、いう、

将、欲、受、果、何、滞、此、耶?

大道、匪、遠。

汝、其、南、矣。


あくる日、にわかに頭痛すること刺がごとし。

其師、洛陽、龍門、香山宝静禅師、これを治せんとするときに、空中、有、声、曰、

此、乃、換、骨。

非、常痛、也。


祖、遂、以、見、神、事、白、于、師。

師、視、其頂骨、即、如、五峰、秀、出、矣。

乃、曰、

汝相、吉祥。

当、有、所証。

神、(令、)汝、南、者、斯、則、少林寺、達磨大士、必、汝之師、也。


この教をききて、祖、すなわち、少室峰に参ず。

神は、みずからの久遠修道の守道神なり。

このとき、窮臈、寒天なり。

十二月、初九夜、という。

天、大雨雪ならずとも、深山、高峰の冬夜は、おもいやるに、人物の窓前に立地すべきにあらず。

竹節、なお、破す。

おそれつべき時候なり。

しかあるに、大雪、帀地、埋山没峰なり。

破雪して道をもとむ、いくばくの嶮難なりとかせん?

ついに祖室にと、つくといえども、入室ゆるされず、顧聘せざるがごとし。

この夜、ねむらず、坐せず、やすむことなし。

堅立、不動にして、あくるをまつに、夜雪、なさけなきがごとし。

やや、つもりて腰をうずむあいだ、おつる、なみだ、滴滴こぼる。

なみだをみるに、なみだをかさぬ。

身をかえりみて、身をかえりみる。

自、惟すらく、

昔人、求、道、

敲、骨、取、髄。

刺、血、済、飢。

布、髪、淹、泥。

投、崖、飼、虎。

古、尚、若此。

我、又、何人?


かくのごとく、おもうに、志気、いよいよ励志あり。

いま、いう、古、尚、若此。我、又、何人? を晩進も、わすれざるべきなり。

しばらく、これをわするるとき、永劫の沈溺あるなり。

かくのごとく自、惟して、法をもとめ、道をもとむる志気のみ、かさなる。

澡雪の操を操とせざるによりて、しかありけるなるべし。

遅明のよるの消息、はからんとするに、肝膽も、くだけぬるがごとし。

ただ身毛の寒怕せらるるのみなり。

初祖、あわれみて、昧旦に、とう、

汝、久立、雪中、当、求、何事?

かくのごとく、きくに、二祖、悲涙、ますます、おとして、いわく、

惟、願、和尚、慈悲、開、甘露門、広、度、群品。

かくのごとく、もうすに、初祖、曰、

諸仏、無上、妙道、曠劫、精勤、難行、能行、非忍、而、忍。

豈、以、小徳、小智、軽心、慢心、欲、冀、真乗、徒労、勤苦。


このとき、二祖、ききて、いよいよ誨励す。

ひそかに利刀をとりて、みずから左臂を断て、置、于、師前するに、初祖、ちなみに、二祖、これ、法器なり、としりぬ。乃、曰、

諸仏、最初、求、道、為、法、忘、形。

汝、今、断、臂、吾前、求、亦、可、在。


これより堂奥にいる。

執侍、八年。

勤労、千万。

まことに、これ、人、天の大依怙なるなり、人、天の大導師なるなり。

かくのごときの勤労は、西天にもきかず、東地はじめて、あり。

破顔は古をきく、得髄は祖に学す。

しずかに観想すらくば、初祖、いく千万の西来ありとも、二祖もし行持せずば、今日の飽学措大、あるべからず。

今日、われら、正法を見聞するたぐいとなれり、祖の恩、かならず、報謝すべし。

その報謝は、余外の法は、あたるべからず。

身命も不足なるべし。

国城も、おもきにあらず。

国城は、他人にも、うばわる、親子にも、ゆずる。

身命は、無常にも、まかす、主君にも、まかす、邪道にも、まかす。

しかあれば、これを挙して報謝に擬するに不道なるべし。

ただ、まさに、日日の行持、その報謝の正道なるべし。

いわゆるの道理は、日日の生命を等閑にせず、わたくしに、ついやさざらんと行持するなり。

そのゆえは、いかん?

この生命は、前来の行持の余慶なり、行持の大恩なり。

いそぎ報謝すべし。

(かなしむべし、はずべし、)仏祖、行持の功徳分より生成せる形骸をいたずらなる妻子のつぶねとなし、妻子のもちあそびにまかせて、破落をおしまざらんことは。

邪狂にして身命を名利の羅刹にまかす。

名利は、一頭の大賊なり。

名利をおもくせば、名利をあわれむべし。

名利をあわれむ、というは、仏祖となりぬべき身命を、名利にまかせて、やぶらしめざるなり。

妻子、親族、あわれまんことも、また、かくのごとくすべし。

名利は、夢幻、空華、と学することなかれ。衆生のごとく学すべし。

名利をあわれまず、罪報をつもらしむることなかれ。

参学の正眼、あまねく諸方をみんこと、かくのごとくなるべし。

世人の、なさけある、金、銀、珍玩の蒙恵、なお、報謝す。

好語、好声のよしみ、こころあるは、みな、報謝のなさけをはげむ。

如来、無上の正法を見聞する大恩、だれの人面か、わするるときあらん?

これをわすれざらん、一生の珍宝なり。

この行持を不退転ならん形骸、髑髏は、生時、死時、おなじく、七宝塔におさめ、一切、人、天、皆、応、供養の功徳なり。

かくのごとく、大恩あり、としりなば、かならず、草露の命をいたずらに零落せしめず、如山の(功)徳をねんごろに報ずべし。

これ、すなわち、行持なり。

この行持の功は、祖仏として行持する、われありしなり。


おおよそ、初祖、二祖、かつて精藍を草創せず、薙草の繁務なし。

および、三祖、四祖もまた、かくのごとし。

五祖、六祖の、寺院を自草せず。

青原、南嶽も、また、かくのごとし。


石頭大師は、草庵を大石にむすびて石上に坐禅す。

昼夜に、ねむらず、坐せざるときなし。

衆務を虧闕せずといえども、十二時の坐禅、かならず、つとめきたれり。

いま青原の一派の天下に流通すること、人、天を利潤せしむることは、石頭、大力の行持、堅固の、しかあらしむるなり。

いまの雲門、法眼の、あきらむるところある、みな、石頭大師の法孫なり。


第三十一祖、大医禅師は、十四歳の、そのかみ、三祖大師をみしより、服労、九載なり。

すでに仏祖の祖風を嗣続するより、摂心、無寐にして脇、不至、席なること、僅、六十年なり。

化、怨、親にこうむらしめ、徳、人、天にあまねし。

真丹の(第)四祖なり。

貞観癸卯歳、太宗、嚮師道味、欲、瞻、風彩、詔、赴京。

師、上表、遜謝、前後三返、竟、以、疾、辞。

第四度、命、使、曰、

如、果、不赴、即、取、首、来。

使、至、山、諭、旨。

師、乃、引、頸、就、刃、神色儼然。

使、異、之、回、以、状、聞。

帝、弥加、歎、慕。

就、賜、珍、以、遂、其志


しかあれば、すなわち、四祖禅師は身命を身命とせず、王、臣に親近せざらんと行持せる行持、これ、千歳の一遇なり。

太宗は有義の国主なり、相見の、ものうかるべきにあらざれども、かくのごとく先達の行持はありける、と参学すべきなり。

人主としては、引、頸、就、刃して身命をおしまざる人物をも、なお、歎、慕するなり。

これ、いたずらなるにあらず。

光陰をおしみ、行持を専一にするなり。

上表、三返、奇代の例なり。

いま、澆季には、もとめて帝者にまみえんとねがう、あり。

高宗、永徽辛亥歳、閏九月四日、忽、垂、誡、門人、曰、

一切諸法、悉皆、解脱。

汝等、各自、護念、流化、未来。

言、訖、安坐、而、逝。

寿七十有二。

塔、于、本山。

明年、四月八日、

塔、戸、無、故、自、開、儀相、如、生。

爾後、門人、不敢、復、閉。


しるべし。

一切諸法、悉皆、解脱なり。

諸法の、空なるにあらず。

諸法の、諸法ならざるにあらず。

悉皆、解脱なる諸法なり。

いま、四祖には、未入塔時の行持あり、既在塔時の行持あるなり。

生者、かならず、滅あり、と見聞するは小見なり。

滅者は無思覚、と知見せるは小聞なり。

学道には、これらの小聞、小見をならうことなかれ。

生者の、滅なきも、あるべし。

滅者の、有思覚なるも、あるべきなり。


福州、玄沙、宗一大師、法名、師備、福州、閩県人、也。

姓、謝、氏。

幼年より垂釣をこのむ。

小艇を南台江にうかべて、もろもろの漁者になれきたる。

唐の咸通のはじめ、年甫、三十なり。

たちまちに出塵をねがう。

すなわち、釣舟をすてて、芙蓉山、霊訓禅師に投じて落髪す。

豫章、開元寺、道玄律師に具足戒をうく。

布衲。

芒履。

食、纔、接、気。

常、終日、宴坐。

衆、皆、異、之。

与、雪峰義存、本、法門、昆仲、而、親近、若、師資。

雪峰、以、其苦行、呼、為、頭陀。

一日、雪峰、問、曰、

阿那箇、是、備頭陀?

師、対、曰、

終、不敢、誑、於、人。

異日、雪峰、召、曰、

備頭陀、何、不、遍参、去?

師、曰、

達磨、不来、東土。

二祖、不往、西天。

雪峰、然、之。

ついに、象骨山にのぼるにおよんで、すなわち、師と同力締搆するに、玄徒、臻萃せり。

師の入室、咨決するに、晨昏にかわることなし。

諸方の玄学のなかに、所未決あるは、かならず、師にしたがいて請益するに、雪峰和尚、いわく、

備頭陀にとうべし。

師、まさに、仁にあたりて不譲にして、これをつとむ。

抜群の行持にあらずよりは、恁麼の行履あるべからず。

終日、宴坐の行持、まれなる行持なり。

いたずらに声色に馳騁することは、おおしといえども、終日の宴坐は、つとむる人、まれなるなり。

いま、晩学としては、のこりの光陰の、すくなきことをおそりて、終日、宴坐、これをつとむべきなり。


長慶の慧稜和尚は、雪峰下の尊宿なり。

雪峰と玄沙とに往来して参学すること僅二十九年なり。

その年月に蒲団二十枚を坐破す。

いまの人の坐禅を愛するあるは、長慶をあげて、慕古の勝躅とす。

したうは、おおし。

およぶ、すくなし。

しかあるに、三十年の功夫むなしからず、あるとき、涼簾を巻起せしちなみに、忽然として大悟す。

三十年来かつて郷土にかえらず、親族にむかわず、上下肩と談笑せず、専一に功夫す。

師の行持は、三十年なり。

疑滞を疑滞とせること三十年、さしおかざる利機というべし、大根というべし。

励志の堅固なる、伝聞するは或、従、経巻なり。

ねがうべきをねがい、はずべきをはじとせん、長慶に相逢すべきなり。

実を論ずれば、ただ、道心なく、操行つたなきによりて、いたずらに名利には繋縛せらるるなり。


大潙山、大円禅師は、百丈の授記より、直に潙山の峭絶にゆきて、鳥獣、為、伍して結、草、修練す。

風雪を辞労することなし。

橡、栗、充、食せり。

堂宇なし、常住なし。

しかあれども、行持の見成すること、四十年来なり。

のちには、海内の名藍として龍象、蹴踏するものなり。

梵刹の現成を願ぜんにも、人情をめぐらすことなかれ。

仏法の行持を堅固にすべきなり。

修練ありて堂閣なきは古仏の道場なり、露地、樹下の風、とおくきこゆ(るなり)。

この所在、ながく結界となる。

まさに、一人の行持あれば、諸仏の道場につたわるべきなり( or つたわるる)。

末世の愚人、いたずらに堂閣の結搆につかるることなかれ。

仏祖、いまだ堂閣をねがわず。

自己の眼目、いまだあきらめず、いたずらに殿堂、精藍を結搆する、まったく諸仏に仏宇を供養せんとにはあらず、おのれが名利の窟宅とせんがためなり。

潙山の、そのかみの行持、しずかに、おもいやるべきなり。

おもいやる、というは、わが、いま潙山にすめらんがごとく、おもうべし。

深夜のあめの声、こけをうがつのみならんや?

巌石を穿却するちからもあるべし。

冬天のゆきの夜は、禽獣も、まれなるべし。

いわんや、人煙の、われをしる、あらんや?

命をかろくし法をおもくする行持にあらずば、しかあるべからざる活計なり。

薙草すみやかならず、土木いとなまず。

ただ行持、修練し、弁道、功夫あるのみなり。

あわれむべし。

正法、伝持の嫡祖、いくばくか山中の嶮岨にわずらう。

潙山をつたえきくには、池あり、水あり、こおり、かさなり、きり、かさなるらん。

人物の堪忍すべき幽棲にあらざれども、仏道と玄奥と、化、成ずること、あらたなり。

かくのごとく行持しきたれりし道得を見聞す、身をやすくしてきくべきにあらざれども、行持の勤労すべき報謝をしらざれば、たやすくきくというとも、こころあらん晩学、いかでか、そのかみの潙山を目前の、いまのごとく、おもいやりて、あわれまざらん?

この潙山の行持の道力、化功によりて、風輪うごかず、世界やぶれず、天衆の宮殿おだやかなり、人間の国土も保持せるなり。

潙山の遠孫にあらざれども、潙山は祖宗なるべし。


のちに、仰山きたり、侍奉す。

仰山、もとは、百丈先師のところにして、問十答百の鶖子なりといえども、潙山に参侍して、さらに看、牛、三年の功夫となる。

近来は、断絶し、見聞することなき行持なり。

三年の看、牛、よく道得を人にもとめざらしむ。


芙蓉山の楷祖、もっぱら行持、見成の本源なり。

国主より定照禅師号、ならびに、紫袍をたまうに、祖、うけず、修表具辞す。

国主、とがめあれども、師、ついに、不受なり。

米湯の法味つたわれり。

芙蓉山に庵せしに、道俗の川湊するもの、僅、数百人なり。

日、食、粥一杯なるゆえに、おおく、引去す。

師、ちかうて、赴斎せず。

あるとき、衆にしめすに、いわく、


夫、出家、者、為、厭、塵労。

求、脱、生死、休心息念、断絶、攀、縁。

故、名、出家。

豈、可、以、等閑、利養、埋没、平生?

直、須、両頭、撒開、中間、放下。

遇、声、遇、色、如、石上栽華。

見、利、見、名、似、眼中著屑。

況、従、無始、已来、不是、不曾、経歴。

又、不是、不知、次第。

不過、翻、頭、作、尾。

止、於、如此、何、須、苦苦、貪恋?

如今、不歇、更、待、何時?

所以、先聖、教、人、只、要、尽却。

今時、能、尽、今時、更、有、何事?

若、得、心中無事、仏祖、猶、是、冤家。

一切世事、自然、冷淡、方、始、那辺、相応。


不見?

隠山、至、死、不肯、見、人。

趙州、至、死、不肯、告、人。

匾担、拾、橡、栗、為、食。

大梅、以、荷葉、為、衣。

紙衣道者、只、披、紙。

玄太上座、只、著、布。

石霜、置、枯木、堂、与、衆、坐臥。只、要、死了、爾心。

投子、使、人、弁、米、同煮共餐。要、得、省、取、爾事。

且、従上、諸聖、有、如、此榜様。

若、無、長所、如何、甘、得?

諸仁者、

若、也、於、斯、体究、的、不虧人。

若、也、不肯、承当、向後、深、恐、費、力。


山僧、行業、無取、忝、主、山門。

豈、可、坐、費、常住、頓忘、先聖、付属。

今、者、輙、欲、略、学、古人、為、住持、体例。

与、諸人、議、定、更、不、下山、不、赴斎、不、発化主。

唯、将、本院、荘、課、一歳、所得、均、作、三百六十分、日、取、一分、用、之、更、不随人、添、減。

可、以、備、飯、則、作、飯。

作、飯、不足、則、作、粥。

作、粥、不足、則、作、米湯。

新、到、相見、茶湯、而、已、更、不、煎点。

唯、置、一茶堂、自、去、取、用。

務、要、省、縁、専一、弁道。

又、況、活計、具足。


風景、不、疎。

華、解、笑。

鳥、解、啼。

木馬、長鳴。

石牛、善、走。

天外之青山、寡色。

耳畔之鳴泉、無声。

嶺上猿、啼。

露、湿、中霄之月。

林間、鶴、唳。

風、回、清暁、之、松。

春風起時、枯木龍吟。

秋、葉、凋。

而、寒林、華、散。

玉階、鋪、苔蘚之紋。

人面、帯、煙霞之色。


音塵、寂爾。

消息、宛然。

一味、蕭条。

無、可、趣向。


山僧、今日、向、諸人、面前、説、家門。

已、是、不著便。

豈、可、更、

去、陞堂、入室、拈、槌、竪、払、

東、喝、西、棒、

張眉怒目、

如、癇病発、相似?

不、唯、屈沈、上座、

況、亦、辜、負、先聖。


爾、不見?

達磨西来、到、少室山下、面壁、九年。

二祖、至、於、立雪、断臂。

可、謂、受、艱辛。

然而、

達磨、不、曾、措了、一詞。

二祖、不、曾、問著、一句。

還、喚、達磨、作、不、為人、得、麼?

喚、二祖、做、不、求、師、得、麼?


山僧、毎至説著、古聖、做、処、便、覚、無、地、容、身。

慚愧、後人、軟弱。

又、況、百味珍𩙿差、逓相、供養、道、(「𩙿差」は一文字の漢字とみなしてください。)

我、四事、具足、方、可、発心。


只、恐、做、手脚、不迄、便是、隔生、隔世、去、也。

時、光、似、箭。深、為、可、惜。

雖然、如是。

更、在、他人、従、長相、度。

山僧、也、強、教、不得。


諸仁者、

還、見、古人偈、麼?

山田、脱、粟飯。

野菜、淡黄、齏。

喫、則、従、君、喫。

不喫、任、東西。


伏、惟、同道、各自、努力。

珍重。


これ、すなわち、祖宗、単伝の骨髄なり。

高祖の行持、おおしといえども、しばらく、この一枚を挙するなり。

いま、われらが晩学なる、芙蓉高祖の芙蓉山に修練せし行持、したい、参学すべし。

それ、すなわち、祇園の正儀なり。


洪州、江西、開元寺、大寂禅師、諱、道一、漢州、十方県人なり。

南嶽に参侍すること、十余載なり。

あるとき、郷里にかえらんとして半路にいたる。

半路より、かえりて焼香、礼拝するに、南嶽、ちなみに偈をつくりて馬祖にたまうに、いわく、

勧、君、莫、帰、郷。

帰、郷、道、不行。

並、舎老婆子、説、汝、旧時、名。


この法語をたまうに、馬祖、うやまいたまわりて、ちかいて、いわく、

われ、生生にも、漢州にむかわざらん。

と誓願して、漢州にむかいて一歩をあゆまず。

江西に一住して、十方を往来せしむ。

わずかに、即心即仏を道得するほかに、さらに一語の為人なし。

しかありといえども、南嶽の嫡嗣なり、人、天の命脈なり。

いかなるか、これ、莫、帰、郷?

莫、帰、郷とは、いかにあるべきぞ?

東西南北の帰、去来、ただ、これ、自己の倒起なり。

まことに、帰、郷、道、不行なり。

道、不行なる帰、郷なりとや? 行持する。

帰、郷にあらざるとや? 行持する。

帰、郷、なにによりてか道、不行なる?

不行にさえらるとやせん?

自己にさえらるとやせん?

並、舎老婆子は、説、汝、旧時、名なりとは、いわざるなり。

並、舎老婆子、説、汝、旧時、名なりという道得なり。

南嶽、いかにしてか、この道得ある?

江西、いかにしてか、この法語をうる?

その道理は、われ向、南、行ずるときは、大地、おなじく、向、南、行ずるなり。

余方も、また、しかあるべし。

須弥、大海を量として、しかあらずと疑殆し、日月星辰に格量して猶、滞するは、小見なり。


第三十二祖、大満禅師は、黄梅人なり。

俗姓は、周、氏なり。

母の姓を称なり。

師は無、父、而、生なり。

たとえば、李、老君のごとし。

七歳伝法よりのち、七十有四にいたるまで、仏祖、正法眼蔵、よく、これを住持し、ひそかに衣、法を慧能行者に付属する、不群の行持なり。

衣、法を神秀にしらせず、慧能に付属するゆえに、正法の寿命、不断なるなり。


先師、天童和尚は、越上人事なり。

十九歳にして教学をすてて参学するに、七旬におよんで、なお、不退なり。

嘉定の皇帝より紫衣、師号をたまわるといえども、ついに、うけず、修表辞謝す。

十方の雲衲、ともに、崇重す。

遠近の有識、ともに、随喜するなり。

皇帝、大悦して、御茶をたまう。

しれるものは、奇代の事、と讃歎す。

まことに、これ、真実の行持なり。

そのゆえは、愛名は、犯禁よりも、あし(し)。

犯禁は、一事の非なり。

愛名は、一生の累なり。

おろかにして、すてざることなかれ。

くらくして、うくることなかれ。

うけざるは、行持なり。

すつるは、行持なり。

六代の祖師おのおの師号あるは、みな、滅後の勅謚なり、在世の愛名にあらず。

しかあれば、すみやかに生死の愛名をすてて、仏祖の行持をねがうべし。

貪愛して禽獣にひとしきことなかれ。

おもからざる吾我をむさぼり愛するは、禽獣も、そのおもいあり、畜生も、そのこころあり。

名利をすつることは人、天も、まれなりとするところ、仏祖、いまだ、すてざるはなし。

あるが、いわく、

衆生、利益のために貪名愛利す。

という。

おおきなる邪説なり。

付仏法の外道なり。

謗、正法の魔党なり。

なんじ、いうがごとくならば、不貪名利の仏祖は利、生なきか?

わらうべし、わらうべし。

又、不貪の利生あり。いかん?

又、そこばくの利生あることを学せず、利生にあらざるを利生と称する、魔類なるべし。

なんじに利益せられん衆生は、堕獄の種類なるべし。

一生のくらきことをかなしむべし。

愚蒙を利生に称することなかれ。

しかあれば、師号を恩賜すとも、上表辞謝する、古来の勝躅なり、晩学の参究なるべし。

まのあたり、先師をみる、これ、人にあうなり。

先師は十九歳より離、郷、尋師、弁道、功夫すること、六十五載にいたりて、なお、不退不転なり。

帝者に親近せず、帝者にみえず。

丞相と親厚ならず、官員と親厚ならず。

紫衣、師号を表辞するのみにあらず。

一生、まだらなる袈裟を搭せず。

よのつねに、上堂、入室、みな、くろき袈裟裰子をもちいる。

衲子を教訓するに、いわく、

参禅、学道は、第一、有道心、これ、学道のはじめなり。

いま、二百年来、祖師道すたれたり。

かなしむべし。

いわんや、一句を道得せる皮袋すくなし。

某甲、そのかみ、径山に掛錫するに、光仏照、そのときの粥飯頭なりき。

上堂して、いわく、

仏法、禅道、かならずしも他人の言句をもとむべからず。

ただ、各自、理、会。

かくのごとく、いいて、

僧堂裏、都、不管なりき。

雲水兄弟、也、都、不管なり。

祗管、与、官、客、相見、追尋するのみなり。

仏照、ことに、仏法の機関をしらず、ひとえに貪名愛利のみなり。

仏法もし各自、理、会ならば、いかでか尋師訪道の老古錐あらん?

真箇、是、光仏照、不、曾、参禅、也。

いま、諸方、長老、無道心なる、ただ光仏照箇児子、也。

仏法、那、得、他手裏、有?

可、惜、可、惜。


かくのごとく、いうに、仏照児孫、おおく、きくものあれど、うらみず。

又、いわく、

参禅、者、身心脱落、也。

不用、焼香、礼拝、念仏、修懺、看経。

祗管、打坐、始、得。


まことに、いま大宋国の諸方に、参禅に名字をかけ、祖宗の遠孫と称する皮袋、ただ一、二百のみにあらず、稲麻竹葦なりとも、打坐を打坐に勧誘するともがら、たえて風聞せざるなり。

ただ四海五湖のあいだ、先師、天童のみなり。

諸方も、おなじく、天童をほむ。

天童、諸方をほめず。

又、すべて天童をしらざる大刹の主もあり。

これは、中華にうまれたりといえども、禽獣の流類ならん。

参ずべきを参ぜず、いたずらに光陰を蹉過するがゆえに。

あわれむべし。

天童をしらざるやからは、胡説乱道をかまびすしくするを仏祖の家風と錯認せり。

先師、よのつねに、普説す、

われ、十九載より、このかた、あまねく諸方の叢林をふるに、為人師なし。

十九載より、このかた、一日一夜も、不礙、蒲団の日夜あらず。

某甲、未住院より、このかた、郷人と、ものがたりせず。

光陰、おしきによりてなり。

掛錫の所在にあり、庵裏、寮舎、すべて、いりて、みることなし。

いわんや遊山、翫水に功夫をついやさんや?

雲堂、公界の坐禅のほか、あるいは、閣上、あるいは、屏所をもとめて、独子ゆきて、穏便のところに坐禅す。

つねに袖裏に蒲団をたずさえて、あるいは、巌下にも坐禅す。

つねに、おもいき、金剛座を座破せん、と。

これ、もとむる所期なり。

臀肉の爛壊するときどきもありき。

このとき、いよいよ坐禅をこのむ。

某甲、今年六十五載、老骨、頭、懶、不会、坐禅なれども、十方兄弟をあわれむによりて、住持、山門、暁諭、方来、為衆、伝道なり。

諸方、長老、那裏、有、什麼、仏法? なるゆえに。


かくのごとく上堂し、かくのごとく普説するなり。

又、諸方の雲水の人事の産をうけず。


趙提挙は、嘉定聖主の胤孫なり。

知、明州軍、州事、管内、勧農使なり。

先師を請して州府につきて陞座せしむるに、銀子一万鋌を布施す。

先師、陞座了に、提挙にむかうて謝して、いわく、

某甲、依、例、出山、陞座、開演、正法眼蔵、涅槃妙心、謹、以、薦、先公、冥府。

但、是銀子、不敢、拝領。

僧家、不要、這般物子。

千、万、賜恩、依、旧、拝、還。


提挙、いわく、

和尚、

下官、悉、以、皇帝陛下、親族、到所、且、貴、宝貝、見多。

今、以、先父冥福之日、欲、資、冥府。

和尚、

如何、不納?

今日、多幸。

大慈大悲、卒、留、小、嚫。


先師、曰、

提挙、

台、命、且、厳、不敢、遜謝。

只、有、道理。

某甲、陞座、説法。

提挙、聡、聴、得? 否?


提挙、曰、

下官、

只、聴、歓喜。


先師、いわく、

提挙、聡明、照鑑山語。

不勝、皇、恐。

更、望、台、臨、鈞候、万福。

山僧、陞座時、説、得、甚麼、法?

試、道、看。

若、道得、拝領、銀子一万鋌。

若、道不得、便、府使、収、銀子。


提挙、起、向、先師、曰、

即、辰、伏惟、和尚、法候、動止、万福。


先師、いわく、

這箇、是、挙来底。

那箇、是、聴得底?


提挙、擬議。

先師、いわく、

先公、冥福、円成。

嚫、施は、且、待、先公、台、判。


かくのごとく、いいて、すなわち請、暇するに、提挙、いわく、

未、恨、不領。

且、喜、見、師。


かくのごとく、いいて、先師をおくる。

浙東、浙西の道、俗、おおく、讃歎す。

このこと、平侍者が日録にあり。

平侍者、いわく、

這老和尚、不可得人。

那裏、容易、得見?


だれが、諸方にうけざる人あらん、一万鋌の銀子?

ふるき人の、いわく、

金、銀、珠玉、これをみんこと糞土のごとくみるべし。


たとえ金、銀のごとくみるとも、不受ならんは、衲子の風なり。

先師に、この事あり。

余人に、このことなし。

先師、つねに、いわく、

三百年より、このかた、わがごとくなる知識、いまだ、いでず。

諸人、

審細に弁道、功夫すべし。


先師の会に、西蜀の綿州人にて、道昇とてありしは道家流なり。

徒党五人、ともに、ちかうて、いわく、

われら、一生に仏祖の大道を弁取すべし。

さらに、郷土にかえるべからず。


先師、ことに随喜して、経行、道業、ともに、衆僧と一如ならしむ。

その排列のときは、比丘尼のしもに排立す。

奇代の勝躅なり。


又、福州の僧、その名、善如、ちかいて、いわく、

善如、平生、さらに一歩をみなみにむかいて、うつすべからず。

もっぱら仏祖の大道を参ずべし。


先師の会に、かくのごとくのたぐい、あまたあり。

まのあたり、みしところなり。

余師のところに、なしといえども、大宋国の僧宗の行持なり。

われらに、この心、操なし。

かなしむべし。

仏法にあうとき、なお、しかあり。

仏法にあわざらんときの身心、はじても、あまりあり。

しずかに、おもうべし。

一生、いくばくにあらず。

仏祖の語句、たとえ三三両両なりとも、道得せんは仏祖を道得せるならん。

ゆえは、いかん?

仏祖は身心如一なるがゆえに、一句、両句、みな、仏祖のあたたかなる身心なり。

かの身心きたりて、わが身心を道得す。

正当道取時、これ、道得きたりて、わが身心を道取するなり。

此生、道取、累生身なるべし。

かるがゆえに、ほとけとなり、祖となるに、仏をこえ、祖をこゆるなり。

三三両両の行持の句、それ、かくのごとし。

いたずらなる声色の名利に馳騁することなかれ。

馳騁せざれば、仏祖、単伝の行持なるべし。

すすむらくは、大隠、小隠、一箇、半箇なりとも、万事、万縁をなげすてて、行持を仏祖に行持すべし。


正法眼蔵 行持

仁治三年壬寅、四月五日、書、于、観音導利興聖宝林寺。

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