細雪の過客
樫亘
前編
「ふぅ……」
銃剣を抱えながら壁に寄りかかる。
誰かが走ってきて敬礼をする。
「あっ。お疲れ様です。その……、作戦は順調ですかね」
「ああ、問題ない」
「そうですか……。南の方は問題ないです。物資が足りるか微妙だったのですが、その……、行かせました」
「そうか」
「はい。……あの」
「なんだ」
「その……、ほんとに実行するんですか」
「ああ。作戦に変更はない。合図があるまで待機だ。準備をしとけ」
「……了解しました」
銃を少しいじる。ポケットから写真を一枚取り出す。
「家族のか」
「はい。疎開中の……」
「しまっとけ、集中しろ」
「すみません」
そそくさと写真をしまう。
「…………新潟か」
「え?」
「その写真。加賀の方か」
「えっ、ああ、そうです。よくわかりましたね、こんな写真で」
「俺も実家がそこにあった」
「そ、そうなんですか。初めて聞きました」
「だろうな。誰も俺の噂なんかしない」
「……」
再びこっそりと写真を取り出す。
「俺にも、同じくらいのがいる」
「えっ」
すかさずまたしまう。
「俺に似て可愛げのない性格になっちまったが」
「あはは……」
雪が降り始める。
「雪?」
「厄介だな。通信が悪くなる」
無線機の方へ目をやる。
「布ってどこにありましたっけ?」
「ああ、防水のやつなら確かそっちの箱の……」
轟音が響く。
「まだ早いはずだが!繰り上げられたのか」
「自分、行ってきます!」
「ああっ、待て!俺が……」
「誰かはここに残って連絡を待たなきゃダメでしょう。自分が行ってきます」
「……わかった」
両者敬礼をする。
一人が走って去る。
「はぁ……」
壁にもたれかかり座り込む。
「すまない、すまない……」
目を瞑る。
誰かが歩み寄ってくる。
「……ちょっと!」
「ん?」
「ほら!あなた。こんな所で寝てたら風邪ひきますよ」
「あ?あぁ。すまん」
縁側に座り直そうとして酒瓶を倒す。
「あらあら、まったく……。こんな……」
雑巾を持ってきて拭く。
「またこんなに飲んで……。この前止められたばっかりでしょう。まったく……」
手際よくかたずける。
「ちょっと酔いを、さましていただけだ」
「こんな冬の夜にですか。……今度あの子が男の人と挨拶に来るっていうんですから、こんなみっともない姿、見せないでくださいよ」
「今いつだ?」
「はい?」
「普段ろくに顔も見せねえ癖によ、ぐだぐだしてる間に、何年経ったのかって聞いてんだよ」
乱暴に下駄を履こうとしてつまずく。
「…………」
妻は膝立ちで縁側に座り込む。
「ったく……、ろくでもない男だったら……くそっ」
「……あの子もね、あなたに認めて欲しいのよ、もう大丈夫ですって。口ではあんな事言ってたけど心の中ではあなたのこと、尊敬して……。それにこの前ちょっと会ってみたけど、相手の人、とても誠実そうな方でしたよ。だからそろそろ……」
「どこがだ」
「それは……、例えば……」
「こんな人殺しのどこに尊敬してるんだ」
着崩れた服をけだるそうに自分で直す。
「あなた……」
「あいつも言ってただろ」
「そんな言い方……」
「お前も分かってるだろ。だから伝えとけ、来るなって。結婚したかったら好きにしろ。もう知らん」
「そんな……、せっかくあの子が……」
「黙れっ!次にその得体の知れない男とツラ見せに来たらっ……何するか分らんからなっ!」
ずかずかと去ろうとする。
「いつまで、一体いつまでそうやって逃げるの?」
歩みを止める。
「もういいじゃない。もう、許してあげて……」
「だから言っただろ!あいつの顔はもう二度と……」
「ちがう!もう許してあげて、あなた自身を」
下駄を履き直して傘を手に取る。
「次の月に挨拶に来るから、きちんと話せばあの子がだってあなたが……」
そして手にした傘を力任せに地面に叩きつける。
「ちょっとどこに行くの?」
「酔いをさましてくる」
「雪ですよ!ちょっと……」
足早に去って行く。
一人で台所へ戻る。
「はぁ……」
両手を顔を覆う。
ドンドン、戸を叩く音が聞こえる。
「お母さん。いるの?」
手を払いながら玄関へ向かう。
「どうしたの?いきなり」
「いや、ちょっと様子見に来ただけ」
「今日は一人?」
「うん。別に大した用事じゃないから。ほんとに」
「わざわざこんな雪の日に。いいから入んなさい、お父さんに挨拶してきて」
「うん」
居間の奥に座り、仏壇の前で手を合わせる。
「お茶飲む?」
「うん」
向き合ってお茶を啜る。
「お母さん、最近どう?」
「なによそれ」
「いや、最近本当に寒いからさ、体気を付けてね」
「……あなたの方こそ、最近上手くいってるの?今日もこんな中一人で来て」
「ほら、あの人は銀行の仕事で色々忙しいから。今日だって休み返上で……、私も家の事とかちゃんと頑張ってるし」
「そう」
「そのおかげでね、もう少しで昇進できそうなんだって。私にはよくわかんないんだけど、あの人が、これも私のおかげだって」
「そう。でもあんまり根を詰め過ぎないようにね」
「うん。あとね、子供たちのことなんだけどね。えっと、池上さんってこの前話したじゃない?今日もそこの家で遊ばせてもらってるんだけど」
「ええ」
「そこの家の人と話してて知ったんだけど、池上さんの旦那さん新潟出身なんだって!確かお父さんも新潟だったよね」
「そうね」
「すごい偶然じゃない?そのせいかも分からないけど、あの子たちすっかり仲良くなっちゃって」
「よかったわね」
「近所の人と仲良くなれるか不安だったんだけど……、本当に良かった」
「今度、また皆で遊びに来なさいね」
「うん。仕事が一段落ついたらね、子供たちも連れて来るよ」
窓の外を見る。
「この頃ずっと降ってるね。洗濯とか困っちゃうけど、子供たちが毎日楽しそうにしてるから、悪い事ばかりじゃないね」
「でもあなた、風邪ひかないように注意しなさいね。子供っていうのは加減を知らないから」
「分かってるよ。今日は家の中で遊ぶって言ってたし、それに……あっ、そうそう、私あの子たちに手袋作ってあげたのよ。ほら、お母さんに教えてもらったやつ。ちょっといびつになっちゃったかもしれないけど」
「……私そんなの教えたかしら?」
「えぇ、忘れちゃったの?ほらまだ私が子供だった時に、友達の手袋を見て、私も欲しい!って。それで確かお父さんが……」
「あぁ、思い出したわ。そんな昔の……」
「私記憶はいい方だから。ちゃんと覚えてるよ」
「そうですか……」
お茶を啜る。
「あの時のお父さんの顔もちゃんと覚えてる」
「………ねぇえ、それじゃあこれは覚えてるかしら。あなたがお父さんと最後に話した事」
「忘れるわけないでしょ。私が初めて挨拶しに行ってそれで、ああ、もう思い出したくもない」
「そうねえ、あれは酷かったわね」
「お父さんが刀持ち出してきて、私殺されるかと思ったわ」
「ふふっ、そんな事もあったわ。……新しいお茶淹れてくるわね」
「うん」
台所の奥へ入っていく。
一人でお茶を啜りながらテレビをつける。
「お母さん!」
二階からどたどたと足音が響いてくる。
「ヤバい!」
制服を着た娘が階段を駆け下りてくる。
「あら、ずいぶん早いのね。何かあるの?」
「今日朝練あるの忘れてた」
「あら!ちょっと待ってなさい、すぐに作るから」
「ああ、もう、いいや!ご飯いらない」
「だめよ。ちゃんと朝ご飯食べてかないと。すぐにできるから」
「もう間に合わないから!」
「わかった、じゃあおにぎり作るから。向こうで食べなさい」
慌ただしく支度をする。
「今日は何の朝練なの?」
「部活の。今度の卒業式で演奏するやつ」
玄関へ向かう。
「もう行くよ!」
「待って!ほらこれ」
靴を履きながら受け取る。
「うん。行ってきます!」
駆け出していく。
「あっ、待って!これ傘、持って行きなさい。気を付けてね、本当に。あんまり急いじゃだめよ!」
見送って、家の中へ戻る。
少し走った所で立ち止まる。
「えっ、雪?……まあいっか」
そのままバスの停留所に走りこむ。
「あっ」
「あっ、おはよう」
「おはよう。早いね」
偶然居合わせた友人に挨拶をする。
「今日なんかあるの?」
「ああ……、うん、待ち合わせしてるの。そっちは?」
「サークルの集まりだって。こんな土曜の朝にさ。まだ一限始まってすらない時間に」
「……すごいね。一人暮らしなんでしょ」
「ああ……、まあね」
「私にはできないな……」
「そんな、たいしたことじゃないって。田舎にいるのが嫌で飛び出してきて、それで……まあ、こんな感じになってるだけ」
「ふーん……」
二人で車が通り過ぎるのを眺める。
「親とは喧嘩とかしなかったの?」
「そりゃまあ、多少は。特に父親がね、厳しくって。お母さんは割と尊重してくれたんだけど。最後には、あんたの自由にしなさいって」
「いいお母さんだね」
「まあ、実家を出た理由も、あのお節介焼きから逃げるためなんだけどね」
「あははっ」
「ねえ。誰を待ってるの?」
顔を近づけて声のトーンを落とす。
「え?ああ……」
「待ち合わせしてるんでしょ。だれだれ?彼氏?デートの約束?」
「違うよ、別に……。吹部の友達と……」
「なんで顔背けるの、ねえ……。あ、バス来たかも」
バスが到着する。
「来ちゃったかあ」
財布を取り出す。
「それじゃあね!」
「うん。じゃあね」
「今度、彼氏の写真見せてね」
「だから違うって……」
互いに手を振って別れる。
バスに乗り込む。
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