14


 


 学食のざわめきはピークに達していた。混雑する学生たちの中、トレイを持ったままどこか空いてるところを探す。どうせひとりだし、どこだっていい。いつもは一緒に昼を食べることも多い成瀬も、今日は姿が見当たらないし。

「あー…、っと」

 見回していると、端の方で食事をとっていたグループががたがたと立ち上がった。5人分の席が一気に空いて、おれはそこにトレイを置いた。

「おー神崎」

 テーブルに座ろうとして、後ろから声を掛けられた。中途半端な姿勢のまま振り返れば、どこかで見た顔がおれを見て笑っていた。

 …誰?

「俺だよ、成瀬の合コンで一緒だった芝崎」

「あ」

 そういえばそんな名前だったか。

 こっち来いよ、と前の席を指差される。ちょうどひとり分空いていた。

「今日は成瀬は?」

「さあ? 午前は見当たらなかったけど」

「サボりか?」

「かも。なんかバイト掛け持ちやばいらしいし」

 会話の端々に聞きかじったことを話すと、柴崎はかき込んでいた丼をテーブルに置いた。

「あー、それで最近声掛かんねえのか。前は合コンの誘いしょっちゅうだったけど」

「ふーん、そうなんだ?」

 最後にそういう集まりの誘いで成瀬から声を掛けられたのは去年の終わりごろだった。もっとも、おれが遠亜と連絡を取り合っていることをあいつは知っていたから、掛けてこなかったのだろう。でも他の人にもそうだとは初耳だ。

「おれ去年行ったのが最後だよ」

 おれも、と柴崎は言った。あの合コンのとき、おれの隣に座っていたのが柴崎だった。成瀬の何かしらの友人で(詳しくは知らない)、学部が違うから普段約束でもしない限りは会うこともない。

 そもそも今まで思い出しもしなかったとはちょっと言えない。そういえばあのあとに行った食事会にはいなかったっけ。

「そういや神崎、おまえあの子と連絡取ってたんだって?」

「え」

「なんだっけ、ほらちょっと変わった名前の子」

 神崎のことずっと見てたよなあ、と味噌汁を啜りながら芝崎は言った。

「ああ…、三沢さん? 三沢遠亜」

「そうそう、かわいい子」

「うん。まあ会ってるけどさ」

「付き合ってんの?」

 付き合ってるか?

 おれは食べていたアジフライをゆっくり飲み込んだ。

「多分。最近連絡ねえけど…」

「はは、そうなんだ」

 首を傾げながら微妙な言い方をしたおれに、芝崎は小さく声を上げて笑った。

「まあ気にすることねえんじゃね? あの子、そういう子らしいしな」

「? え?」

 食べ終わった柴崎は、湯飲みの茶を啜って柴崎はおれを見た。

「俺あの合コンであの子の一緒の大学の子と付き合ってんだけどさ」

 ああ、と頷くと、柴崎は一拍間をおいて言った。

「あの子、誰でもすぐ好きになるっていうか、惚れっぽいらしい。そんですぐ飽きるわけ」

 がた、とトレイを持って柴崎は立ち上がった。

「知ってる子の彼氏とかすぐ横取りするっていうし、まあもう連絡ないなら終わりかもしれないよな」

「それ誰に聞いた?」

「俺の彼女」

 ああ、そっか。そうかよ。

 でもそれ、おれに言う必要あるか?

 なんとなく癪に触って、おれは柴崎を見返した。

「友達なのにそんなこと言うのかよ」

「友達じゃねえよ」

 ただ一緒の大学で一緒に来てただけ、と柴崎は続けた。

 なるほど、おれと柴崎みたいな感じか。

「あの子友達いないらしいぞ。いっつもひとりみたいだから」

 それだけ言って柴崎は行ってしまう。

 言い捨てられた言葉に何かを言い返す暇もなかった。

 なんだあれ。

「いや、友達いるだろ」

 現におれのバイト先にその友達ってのがいるし。

「お、立夏、おまえまだ食ってんの?」

 くしゃっと髪を掻き混ぜられて見上げれば、空いた向かいの席に成瀬が座った。テーブルに置いたトレイには親子丼が載っている。

 くそ、あいつと同じかよ。

 あのさあ、とおれは茶碗を手にご飯をかき込んだ。

「おれ今すげえ機嫌わりいから」

「…どしたん?」

「友達は選べって話っ」

「はあ?」

 きょとんとして箸を持った成瀬に、おれは八つ当たりのように言った。



 午後の講義が終わってすぐ、おれは大学を出て家に帰ることにした。今日はバイトは休みだ。試験も近いから帰って勉強して課題を済ませないと。バイトばかりしていると皆に遅れてしまう。留年は出来ればしたくない。

 あと片付けもあるし。

 通りに出てバスを待っていると、高校の制服を着た女の子たちが横に並んだ。

 楽しそうに喋る姿に楽しそうだな、と頬が緩みそうになる。何でもない会話、中身のない話こそがどんなものより楽しい時期だ。

『あの子──、いっつもひとりみたい』

 芝崎の言葉が不意に蘇ってきた。

 あんなに明るいのに友達がいないとかってあり得んの?

 おれといるときは、なにがしか携帯に連絡入ってたし、よく弄っていた。あれが友達からだったとは分からないけど、全くいないってないんじゃないだろうか。

 新しく入ったバイトの橋本咲は遠亜の話をおれにしてたし。

『神崎さん、私のこと覚えてたんだ』

『だって一緒に来たのこないだでしょ、覚えてるよ』

『ふふ、そうだね。こないだだもんね』

 橋本咲とは、仕事中は殆ど話をしない。もともと口数が少ないのだろう。そばにチーフがついているし、おれも慣れないことをするので手一杯だ。それでもちょっとした時間の隙間に互いに共通していることを話す。おれと橋本咲の間では遠亜の話題しかない。あとは──大学のこととか、勉強とか。彼女はおれと同じ学部だった。

『ああ、それは、こう考えると上手くいきますよ』

 同い年なのに時々敬語になるのが不思議で、タメ口でいいと言うと、橋本咲は一瞬目を丸くしてそれから困ったように笑った。

『ごめんなさい、これ私の癖なんだよね』

『へえ』

 おれは気をつけていないとすぐに口が悪くなるから、そういう癖があるのが少し羨ましい気がした。

 話すほど、はじめの印象が変わっていく子だった。

 誰かに似ていると思ったけれど、それも思い出せないままだ。

 おれはあのとき、誰と橋本咲を似ていると感じたんだろう。

 分からないな。

「あ、来た」

 横で声がした。

 見ればすぐ近くまで目的のバスは来ていた。

 乗り込むと一緒に待っていた女の子たちもおれの後ろから乗ってくる。車内は込んでいたので、おれと彼女たちはまた通路に並ぶように立った。何気なく目をやった彼女たちの制服が、高校の制服と重なる。男は上着を学生服──所謂詰襟かブレザーを選べるシステムだったけれど、女子は皆ブレザーだった。

 そう、こんな同じ濃紺の、似たようなブレザーに濃い緑と紫の縞のネクタイで…

 一瞬、何かが閃いては消えた。

「──」

 何だ?

 消えてしまったものが何だったのか、まるで分からない。

 見下ろしている制服の肩。そこにかかる髪は、今どきの子にしては珍しいほどに黒く、艶やかで──

 髪?

 髪──黒い…

「次は**町四丁目、**町四丁目です」

 はっ、として案内板を見た。今日は買い物して帰らないと。家には夕飯の材料が何もない。家の近くのスーパーに寄って帰るには、次で降りないと。また引き返してくるのはごめんだ。

 俊臣も多分早く帰ってくるだろうし。

 おれは急いで傍にあった降車ボタンを押した。


***

 

 あれ、と本庄は入った広い部屋の入り口に立ち、辺りを見回した。今日来ているはずの俊臣が見当たらない。

「ねえ、いつも僕と来てるやつ見なかった?」

 ちょうどこっちに歩いてきた見知った塾の生徒に尋ねると、さあ、と首を振られた。生徒はそのまま廊下を出て、休憩スペースの方へ消えていった。

 ふうん、と本庄はなんとなくそれを見送ってから、定位置になっている自分のお気に入りの場所に座る。窓を向くように配され区切られた、一人用のスペース。ここなら街がゆっくり夕闇色に染まるのをずっと見ていられるのだ。

「あー…、今日は来ないのか。ふーん」

 携帯を確認すると俊臣から断りの連絡が来ていた。多分学校の昼休みにでも寄越したのだろう。本庄の高校は携帯の持ち込みは許可されているが外部との通信は基本的に制限されてしまうので、メッセージの受け取りは放課後にしか確認出来ないことになっている。

 ついこの間までお互い同じシステムの高校に居たんだから、今の本庄の事情も、俊臣はもちろん知っていることだ。

 返信がすぐになくてもいいってことなんだろ。

「りっちゃん今日は早いんだ。ふーん」

 いいなあ、と本庄は鞄から教科書や参考書を出した。

 僕もあんなお兄ちゃんなら欲しい。

 立夏は本庄の憧れだ。男なのにどこか綺麗で気さくで、見た目に反して口が悪くてちょっと乱暴だったりして。あの俊臣があんなになってしまうのがよく分かる。

「……」

 さて、と気持ちを切り替えるように呟いて、本庄はノートを開いた。

 

***


「よいしょ…、と」

 思うよりちょっと買い過ぎてしまった荷物を廊下に置いて靴を脱いだ。

「ただいま」

 部屋の中は人の気配があるのに静かだった。耳を澄ますと、どこからか水の音が聞こえる。

 風呂?

 風呂入ってるの?

 洗面所の前を通り過ぎると、奥の風呂場から物音がした。やっぱり俊臣は風呂に入ってるみたいだ。

 こんな時間に?

 まだ十九時にもなってない。

「…?」

 どうしたんだろう。

 俊臣、と呼びかけても水の音で聞こえないのか返事はなかった。

 不思議に思いながらリビングに入り、キッチンに買って来たものを置いた。シンクで手を洗い、何気なく外を見ると、朝干していったバスタオルが風に揺れていた。二枚。

「あ」

 うちにバスタオルは二枚しかない。

 慌てておれはベランダの窓を開け、バスタオルを掴む。どっちも冷たいけどちゃんと乾いてるみたいだ。

 出て来るまえに脱衣所に放り込んどくか。

 おれはバスタオルをたたみながら、ドアを開けた。

 がちゃ、と音がした。

「────」

 同時に、奥の風呂場の半透明のドアが内側から開いた。

 濡れ髪から滴る水。

 目が合うと、俊臣が驚いた顔をした。

「りつ──」

「と…っ」

 俊臣、と言おうとして、声が上擦った。

「帰ってたのか、おかえり」

「かえ…、って、いま…っ」

 あああ、まずいまずいまずい!

 目の中に入ってくる全裸の俊臣に眩暈がした。

 なんでそんな、なんでなんだよお!

 なんで、そんな…想像以上なんだよ!

 見るな、見るなおれっ。

 見ちゃ駄目だって…っ

 かっ、と一気に体温が上がった。自分の顔が真っ赤なのが分かる。

 なんでおまえそんな平気そうな顔してんだよお!

 信じられない。

「バス、バスタオル! ほらっ」

「…ああ」

「もう、風呂入んなら、干してんのぐらい取り込んどけよ…っ!」

 目を逸らしてぐっと押し付けると、俊臣は今気づいたように受け取った。

 早く早くここから出ないと。

 おれは素早く踵を返した。

「じゃ、…っ、わ…っ!」

 その腕を、ぐっと掴まれて引き戻された。

「立夏」

 え、

 えっ、

 なっ──

「…っ、ちょ…っ」

 息が──

 息が出来ない。

 心臓が止まる。

 気がつけばおれは、濡れたままの俊臣の腕に、背中から抱き締められていた。

 

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