第69話 ハイコンテクスト
「来週旅行なんですぅー♪」
オバサンが言う。
戦力外なので、彼女一人欠勤したところで店はまわる。
言うだけ言って、いつも土産なしなので
「そうなんだー」
『勝手にしろ』
と思う。
“旅行宣言”したら、土産は必須だ。
そこそこの戦力が休暇をとるなら
『穴埋めありがとうございました』
の意味を込め、嬢や従業員の人数分の菓子等をあがなう。
誰もがそうしている。
同僚への気配りも仕事のうちだ。
あるとき、私は紅葉狩りに出た。
“旅行宣言”したわけではないが、通常の出勤日に休暇をいただいたので、嬢や従業員の人数分のダクワーズを購入して帰京した。
休暇中、店の様子を報告してくれた仲よしの嬢には、別途土産を購入した。
“私の指名客の来店はなく、不穏な動きをする嬢もいなかった”とのこと。
これが、ときに、いるんだな。
指名嬢の居ぬ間に来店した指名客にアプローチする、ハイエナみたいな嬢が。
キャバ嬢は指名客の売上で食べているのだ。
越権行為を赦すほど、のんきではない。
それが発覚すれば、即クビだ。
「おはようございまーす。キッチンにお菓子あるから食べてね」
私は待機席で待機していた嬢に声かけした。
『旅行土産です。皆で食べてね!○○(私の源氏名)』
キッチンカウンターに付箋を貼った箱がふたつ、並んでいる。
苺味とチョコレート味だ。
皆、それぞれ、好みがある。
好きなほうをどうぞ、という意味だ。
店長に作ってもらった○崎ハイボールで一杯ヤっていると、小娘(……と言っても熟キャバなので三十代)が出勤してきた。
「おはようございまーす」
あいさつはできる子だ。
「おはようございまーす」
返す、私。
「わー!これなんですか?」
目ざとい、小娘。
「お土産。食べて食べて」
「いいんですか?わー!二種類あるー!両方貰っちゃおー!ごちそうさまでーす!」
そう言うと、小娘はさっさと更衣室に消えた。
『しまった!“このタイプ”だったか!』
話しという話しをしたことがなかったので、気づかなかった。
彼女はダクワーズの数を、嬢や従業員の人数と照らしあわせることをしなかった。
まいどまいどの“土産はひとり、ひとつルール”も忘れてしまうのだろう。
“このタイプ”は飴の袋を未開封で渡すと、袋ごと持って帰ってしまう。
昼職で大手企業に勤めるオバチャンがそうだった(※トラブルメーカーと化し、二週間でクビになった)。
先に開封し
「皆にまわしてねー」
と断りを入れなければならない。
確かに。
日本語は曖昧で省略的だ。
ダクワーズにしても
『ひとり、ひとつ』
と文面につけ足すのが親切なのかもしれない。
いや、わざわざ?
水商売の世界では特にだが、日常でも、日本語は明文化されていない。
そもそも、ほとんどの日本人は日本語を話せない。
“食べれる問題”に始まり“させていただく”などの重複表現。
口語における文語使いや、尊敬語と謙譲語の混同……。
個人的には差別発言も話せないうちだと思う。
日本語は本当に難しい。
だからこそ魅惑的でもあるが、駆使できるのは言語学者ぐらいだろう。
言い訳になるが、曖昧で省略的な日本語を、親しくない相手にいちいち説明するのは面倒だ。
ローコンテクストは愛をもってのみ、面倒でなくなる。
それ以外の場面では“察する”という“普通”に呑みこまれているほうがらくだ。
彼女に理解の機会を与えるのは、家族や友人やパートナーだろう。
案の定、小娘はトラブルメーカーと化してクビになった。
感情労働を避け、適材適所でうまくやってくれ、と思う。
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