第35話 巣立ち

 個人の指名客が私から離れていくときの常套句は

「君は僕のものにならない」

だった。

 そのたびに私は

「あー。また、お子ちゃまがお子ちゃまのまま離れていくのだな……」

と小さな無力感を味わった。

“もの”は“物”と同じだ。

 女性は物じゃない。

 本人の意思なく、右から左には動かない。

 なのに、厚かましくも、ちょっとした恨み節さえ残して彼らは去っていく。

『僕のものにならない君が悪い!』

とでも言いたげに。


 私が

『一人前の男性に育てられなかった……』

と思うのは傲慢か?

 それでも、ご縁あっての指名客。

『こいつモテねーだろーな』

と思ったら、おのずと軌道修正していた。

 あるとき

「女性に嫌われるのが目的なの!?」

遠まわしでは気づいてくれないので、直接的な物言いに出ると

「言い方がキツいんだよ。そんなこと思ってもみなかった……」

と目をまるくされた。

 鈍いだけで素直な人だった。

 モテ男への道も近い。

“モテる”とは自分が好いた人に好かれることだと思う。

 有象無象にではなく、たった一人にでいい。

 たった一人に深く好かれている人は、厚苦しくない自信をまとっており、言動にも余裕がある。

 本音のダメ出しをされる前に短期間で相手を乗りかえては逃げる“自称モテ男”のせせこましさは微塵もない。

「女性に迎合しろ!とは言ってない。それは逆に格好悪いから。ただ女性を知ってほしいだけ。それで納得できないなら一人で生きる道もある」

『女って面倒くせーな』

と思って敬遠するなら、それはそれでありじゃないか。

「男はバカだからハッキリ言ってくれないとわからないよ……」

 よく聞く台詞だ。

 男性全般がバカだとは思わないし、男女の思考パターンの相違だとは思うけれど、ハッキリ言わないとわからないのは、そうでしょうね(笑)。

 だが、女性の本音は金で買えない。

 思いやりからではなく、利益追求の観点から、キャバ嬢は本音を言わない。

 ならば、男性は一般女性の目に留まり、忌憚なき意見を貰ってブラッシュアップするほかないのだ。

 一般女性だって、どーでもいい男やイタい男に本音は漏らさない。

「ははは……」

と曖昧にほほえむ陰で

『気持ち悪いんだよ!勝手にやってろ!』

と突きはなすだけだ。

 それが勘違いモンスターを生むメカニズムだったりする……。

「指摘されても傷つかないで。それが目的じゃないから。否定じゃなくて『こっちのほうがうまくいくよ』って提案してるだけ」


 私は特殊なキャバ嬢だった。

 健全な水商売を貫いていただけだったが、色恋営業や枕営業が幅を利かせる昨今では、それこそ特殊だった。

 だが、そのお陰で指名客との痴情沙汰は回避できた。

 ポケットマネーで飲む指名客とは、いずれ、終わりがくると覚悟していた。

 遊びなれた客と接待目的の客が、私の主なターゲットだった。


 個人の指名客が私から離れていくとき

『パートナーができたのでもう君は不要になった』

と思ってもらえるのが理想だった。

 もちろん、パートナーは一般人だ。

 キャバクラ放浪者では元も子もない。

 希ではあったが、まるでモテなかった指名客が、ちょっとした荒療治で素敵な誰かの目に留まって巣立っていくのは、この上ない幸福だった。






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