後記:ハシビロコウ

ハシビロコウ

第1話 野球・政治・宗教

「客前で野球、政治、宗教の話はするな!」

とは、長らく水商売の世界で、まことしやかに囁かれてきた掟だ。

 嘘でも客の感受性や価値観に寄りそうのが仕事の玄人が、議論を白熱させてしまっては元も子もないからだ。

『こいつ、バカだな……』

『見識の狭い奴……』

 腹の中で何を思おうと、特別非道徳的なことでも言われない限り、頷いてやるのが嬢の仕事だ。

 お姉ちゃんのいる飲み屋のお代が高いのは、お姉ちゃんの我慢料が経費に加算されているからだ。

 私も若かりしころ黒服(水商売の従業員。黒いスーツを着用している)に禁句を指導されたものだ。

 だが、それは嬢も客も粋でいなせな玄人だった遠い昔の話。

 今では、オンシーズンには営業中でもカラオケモニターに野球中継が映しだされるし、心得のない嬢が終始それに乗じる始末。


「君は政治の話はできるの?」

 客に打診される。

 表層的な政治論を展開したいなら、つき合ってやる。

「うちの家系は〇〇派でね」

 宗派をさらしたいなら、つき合ってやる。

「話がわかる人だね。指名するよ」

 政治や宗教の話につき合ってやるだけで、ほかの嬢と差別化され、知性派だと勘違いされて一目置かれる。

 ど素人客には、ど素人まがいの接客でちょうどいいのだ。


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