魏書倭人伝の探究〜カクヨム版〜

岡上 佑

第一章 : 魏書倭人伝の探究

第1話 三国志と陳寿

 正史、「三国志」の魏志東夷伝倭人条に登場する「邪馬壹国」。史料批判に基づくことで、一般に結論が出ないとされる位置論争に結論を導くことが出来たので報告する。詳細な検討は拙著「魏書倭人伝の探究」にあるが、ここでは論証を分かりやすく提示することを重視し、簡潔に筋道を立てながら進める。


さて、何はともあれ、三国志の著者である陳寿とその編纂物である「三国志」の成り立ちを検討しなければ、史料批判は始まらない。


「陳寿は不遇の歴史家であり、時の皇室である司馬氏におもねる必要があり、様々な曲筆を魏志東夷伝倭人条でも行った」と言われることがある。西晋の実質的開祖である司馬懿が、遼東に割拠した公孫氏政権を打倒したことと、倭国が朝貢に至ったことには、時間的にも濃密な直接的関係が予想される。それ故、陳寿は司馬懿の功績をより大きく見せるため、邪馬台国を東方、万二千里の彼方の国として誇張したのだという主張である。


 もし魏志における陳寿の曲筆の上に邪馬台国の位置があるのだとすると、文献的な探究行為自体が無意味となるので、このことは重大である。ここでは、まず、論証の第一歩として、上記のように如何にももっともらしく、合理的であるような主張が、実は全くの的外れであることを確認する。「陳寿曲筆論」というのは、非常に根強いものがあるが、次に挙げる数点を勘案すると、まったく成立しないことがわかる。


 ① 実際には陳寿は、西晋のエリート官僚である。

 陳寿は、詔勅を起草することで、政権を実質的に運営した中書省の長官である中書令・張華に推挙され、中書系統として代表的な清官である「著作佐郎」として出仕し、魏志の成立ごろまでは、順調に出仕していた。また、陳寿自身が確実に筆をとった呉書にもあるとおり、孫皓の暴虐を許した武帝の政策を非難するなど、陳寿の著作態度として、佞臣的な記述とは正反対の傾向が随所に見出される。陳寿にとっては、正史の末節にすぎない東夷伝にて司馬氏を殊更ことさらに称揚する必要性はない。


 ② 魏志東夷伝に残る倭国への「万二千里」の旅程については、魏志に先行する魏略に既に記述がある。陳寿が参照したと思われる魏略逸文に「自帯方至女王国万二千余里」とあり、陳寿の三国志もこの一文を参照したと思われる。魏略の作者である魚豢ぎょかんは、魏の下級官僚で、八品相当の郎中と、ほぼ在野の立場で曹魏にも批判的、露悪的な記事も残した人物である。魚豢には、倭国を「万二千里」の彼方に曲筆して配置する政治的な動機などは見つけることはできない。


 以上の二点を勘案すると、陳寿曲筆論が成立しないことは明らかである。「万二千里」の文責は、陳寿ではなく、少なくとも魚豢に(もしくは魚豢も何らの史料を参照したのだろうからその人物に)求めるべきである。「万二千里」という表現が行われた由来を考えると、淮南子の東方の極みについて、万二千里とあるので、その辺りの誇張を単に継承したのであろう。「不遇なる歴史家による曲筆」という色眼鏡を外してみて初めて、万二千里の正体が見えてくる。


 さて、上記の論述は、三国志を「史料として考える」ことの実例にもなっている。つまり、歴史編纂にあたっては、実質的に書いた原資料の作者を出来る限り追うことが重要であり、先行する史料を最終的に「編纂」しただけの陳寿を表層的に理解しても、間違った推論を正しいと考えてしまう危険があると言うことである。


 三国志は、「魏志」「呉志」「蜀志」の三国の歴史を鳩合したものであるが、実際に本文をあたってみると、陳寿がゼロベースから書き起こしたと思われる部分というのは、却って比率としては非常に少ない。例を「呉志」にとってみると、その本文の多くは、ほとんど、先行して呉国で編纂されていた韋昭いしょうによる「呉書」を引き写して成立したことがわかる。「呉志」においては、陳寿が書き換えたところもあるが、「呉書」の性格がそのまま「呉志」に継承されている点も少なくない(例えば、孫呉の初代丞相である孫邵の記述に欠けることなど)。おそらく呉志において陳寿自らが書き起こしたと可能性が高いと言えるのは、韋昭その人が死んだ記事を含む呉末期のものが殆どだろう。


 この韋昭の「呉書」と陳寿の「呉志」の参照関係を魏志にも当てはめることができる。すなわち、陳寿の魏書は、主には先に挙げた魚豢の「魏略」と、王沈の「魏書」を参照していたものと推測される。次節では、この魏略と魏書について確認する。

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