『ショート伊達巻』

N(えぬ)

料理研究家の軌跡

 黒川ソフィー女史は30代半ばの料理研究家。

彼女は研究家の名にふさわしく、料理を研究し、そして世の中に新しい発見や提案をしている。彼女が世に発表する料理は斬新でユニークと評されることも多い。つまりちょっと突飛な提案が料理界や家庭では受け入れられづらいのだ。けれどすごくマズイというわけでもない。「初めて見たときは、どうかと思っていたけど、実際に食べると以外にイケるんだよ」というような評判が彼女の料理には多いのだ。



 ソフィーの料理に対する考え方には根底に独特の合理性が宿っていて、そのためか今まで聞いたこともないような食材の融合を狙った新料理も多い。

 その新料理の真骨頂が『ショート伊達巻』だった。これは世界を震撼させた。

 ショートというのは『ショートケーキ』のショートからとった。伊達巻はその名の通りのものだ。勘のいいひとならここでわかるだろう。伊達巻をスポンジケーキ代わりにしてショートケーキを作ったのだ。

 最初に彼女が作った原型としての『ショート伊達巻』は、まず伊達巻を集めの輪切りにして、それを円柱形に立てる。実はこれをケーキ用のグラシンペーパーなどに取って上から粉砂糖をかけただけでも世界が一変して、和食の代表から洋菓子へ生まれ変わるきっかけになる。

 横にして立てた伊達巻の上のふちに中心部はやや薄めにして生クリームを絞る。この時の形は好き好きでかまわない。生クリームを絞ったら、てっぺんの真ん中に『真っ赤な海老』。

最初に彼女がこれを作って人に見せたとき。

「上には海老なんだ?!」と、これが一番驚かれ、違和感を示されたという話だ。まぁ、ケーキに海老という取り合わせは少ないから。

 だが、この『真っ赤な海老』は、小エビを甘辛く煮たもので、味付けは、日本の老舗せんべい店の甘辛いおせんべいを想定して作ったものだった。その味は、甘さ控えめの生クリームの上に載って光る味付けだった。いわゆるショートケーキの赤はイチゴによるものだが、黒川ソフィーは、ケーキの見た目のその赤いアクセント部分に海老を選んだ。つまり、彼女がこの『ショート伊達巻』で実現しようと試みたのは、「伊達巻のケーキ化」ではなく、「クリスマスケーキと正月料理の融合」あるいは「お節料理へのクリスマスケーキの取り込み」だったと考えられた。

 やがて、半分冗談のように『ショート伊達巻』を作って食べてみる人間が現れ、ケーキ店で商品化されるようにもなった。さらに、お節料理の中にこのショート伊達巻を組み入れる人々が現れた。ホールのケーキ形にご飯を成型して、その上にお節料理を載せて飾る「お節料理のクリスマスケーキ化」という逆スタイルを提案する人も出てきた。ここまでくると、文化の融合は加速し、『クリスマスケーキ』という習慣はお節料理に吸収され、ついに消失してしまった。



 黒川ソフィーがその後どこへ行ったのかは、明らかにされていない。だが、それから後もどこかの国のどこかの町から、料理の動画を上げ続けた。彼女がここで料理を作っているのを見たという人の話は世界の方々にあります。彼女は、自分が作りたい料理を思うがままに研究し、発表し続けた「さすらいの料理研究家」として名を残しました。けれど彼女自身の詳しいデータはわかっていないのです。生きていれば165歳になるはずですが、それはないでしょう。だから没年は不明。自分の家族を持ったかなどもわかりません。ですが、彼女が発表した料理は、今も世界をさまよい続けているのです。


―2145年刊 『日本のクリスマスケーキ興亡史』より抜粋

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