イメージ試行

@Mrs-Peanut-Butter

第1話「妄想」

俺は都内の私立大学に通っている男。サークルや合コンでブイブイ言わせてもいなければ勉強も大してせず単位は落としたり落とさなかったりの大学内では空気にすらならない無とでも例えるのが適切であろう人間だ。すでに俺にとって過去になった高校生たちのキラキラの青春に憧れを持ったが最後このままただ何も起きず死ぬまで生きる未来のシルエットが見えている。彼女も出来ず友達もできず、大学に行き課題をやり、アルバイト先で老人相手に業務連絡をするだけで一週間があっという間に過ぎ、街の人々もついこの前まで半袖を着ていたが気づけばダウンジャケットを着ている。時間を無駄にしている自覚も、失われた時間の貴さもわかっているが、そんなことを考えても改善するために行動しても変わらないものは変わらないのだ。所詮俺はモブキャラ、顔も名前も知らない主役を引き立てるために空白を埋めているにすぎないのだ。


そんな憂鬱なある日のこと、俺は自慰行為をしていた。最近はスマホで動画や漫画を漁るのにも飽き、どんなに人気があるものだろうと新鮮さを欠いているように感じて、手も陰部も力が抜けた。オカズのマンネリ化というやつだ。脳に浮かんだ理想をそのまま写せる能力があればそんな悩みは無くなるだろうが、俺の絵のセンスは酷く、猫を描けばブタと言われ、猿を描けば犬と言われ、リンゴを描けばカボチャと言われるレベルだ。しかし俺は気づいた。「目を閉じて浮かぶ理想をなぜ紙に描く必要がある?もうすでに頭に映像があるならばそれを見ればいいのだ」と。

俺は迷った。それはあまりに見苦しくないだろうか。童貞の虚無大学生が言わば“妄想”をして楽しむなどどう考えても見るに堪えない。


良く考えてみれば、俺、いや全ての人間は妄想をして楽しむなどすでにしているのだ。いい例がヒーローごっことおままごとなどの子どもがよくやる遊びだ。ヒーローごっこは自分を既存あるいはオリジナルのヒーローに見立て敵を倒す妄想(フリ)をして楽しむ、おままごとは自分や友達と一緒に夫婦あるいは家族の妄想(フリ)をして楽しむのだ。俺は開き直って童心に帰ると自分に言い訳をしてやってみることにした。


「おかえり!ご飯にする?お風呂にする?それとも...?」「いや、その先は言わなくてもいいよ。まずは夕飯を食べよう。」「もう!何のことかまだ言ってないでしょ!」「僕は好きなものは最後に戴くタイプなんだ。さぁてと、今日のメニューは何かな?」「まったく...今日は鯖の味噌煮よ。」「お、いいね。もちろん熱燗も?」「はいはい。」


ああ、楽しいじゃないか。美人な奥さんと付き合って3年くらいたってまだ若さと元気のある大人でこの後はきっと夜の営みを、いやそれを想像することまでは難しいが、とにかく楽しい気分だ。そう感じたのだがなんだか胸の奥が痛む。子どもみたく現実が見えなければよかった。大人になってからの妄想遊びにこんな代償があるとは。

この妄想遊びは想像力豊かで現実を知らない純粋無垢な子どもだからできる遊びなのだ。

イメージの再生による快楽は現実を忘れることで更なる高みを目指せるのではないか。そう感じ次のステップを踏むことを決めた。

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