護る者、滅ぶ者 五

          **********


「え、影香えいこう……?」



 雪李せつりが自分を庇うように上に重なっている影香に声をかけた。その影香の姿は無惨なものだった。

 鳶色の翼は真っ黒に焦げ付き、雪李の見ている前でもろもろと崩れていく。肌も皮膚が焼け爛れて、皮がだらりと剥けて垂れ下がっている始末だ。



「……無事、か?」



 そう言う影香のみどりの瞳に映る雪李は、火傷の一つも負っていなかった。それにほっとしたように、影香は弱々しく吐息を零す。



「私も、……よくも生き残ったものだ。辺りを、見て見ろ」



 影香がようよう言って視線を逸らすと、雪李もそれを追った。


 辺りに散らばるのは生き物の残骸だ。ふわっと風が舞っただけで、残骸である骨の表面は剥落はくらくして風にさらわれていく。


 そんな中で二人は生き残ったのだ。


 とは言え、影香はもう助からないだろうが。

 と、その影香が怠そうに身体を無理によじった。途端、雪李の隣に倒れ込む。それを見て雪李は慌てて起き上がり、影香の手を取った。



「影香!」



 半身の名を呼ばわった雪李の顔は、酷く悲壮なものになっていた。このまま失うわけにはいかないのだ。一つに戻らなければ、影香の持っている陰の魂は消えてしまう。それはそのまま雪李の死に直結しているものだったが、それよりも雪李の胸の中には自分を庇ってくれた半身に対する感謝と申し訳なさがあった。



「影香、何故、どうして僕を……?」



 その言葉に影香は唇の端を微かに笑みの形に持ち上げた。



「何故、かな。炎が、吹き上がった瞬間……自然と騎乗していたお前に、飛びかかっていた」



 それを聞いて雪李は、影香の焼け爛れて筋組織が剥き出しの手を力一杯握る。それで痛むかどうかなど頭になかった。ただ自然とそうしていた。

 否、そうする事しか出来なかった。


          **********



「影香! 雪李!」



 彼らの姿を発見した翠雅すいがが馬を駆る。


 それを目にして陸王りくおうの背筋には、ぞわりと悪寒が駆け抜けた。

 あの火柱に皆が焼かれた。ほとんど跡形もなくと言っていいほどの状態にまで。だと言うのに、雪李と影香は人の形を保ったままだ。


 見た限り、影香の生命いのちは長くはなさそうではあるが。

 それでも無事と言えるほどには人の形を保っている。


 だが、何故二人は無事なのか。人も騎馬も焼き尽くされ、召喚獣でさえ形を失くしたというのに。

 何故無事なのかは分からないが、さっきの光の原因だけは、彼らを目にしている陸王にはそれとなく分かった。


 雪李が影香の手を握っている。そこにあの光が小さく今も宿っていた。


 それだけではない。雪李は翠雅の姿を見て、慌てたように影香を抱き締めたのだ。まるで、誰にも渡したくないとでも言うかのように。


 途端、真っ白な光が辺り一帯を覆い、それと同時に強烈な風が吹きつけた。

 ほぼ爆風と言ってもいいほどの烈風が。


 雷韋らいは慌てて陸王の腰に抱きついた。抱きつかれた陸王は、両の足にしっかりと力を込めてその場に踏み留まる。

 けれど、二人に向かって行った翠雅は、騎馬と共に吹き飛ばされたのを陸王は目にしていた。


 生き残っていた周りの兵士達も、敵味方問わず宙に吹っ飛び、太い悲鳴が重なる。


 什智じゅうち達は風に煽られながら、白く柔らかい光に飲み込まれていった。


 光と風がどのくらいの時間、空間を支配したのか陸王には分からなかったが、やがて辺り一帯が静かになり風も光も徐々に空間に溶けていった。

 陸王はゆっくりと薄く瞼を開けて市門に目を遣ったが、そこには一つの人影があった。


 市門周辺にいた兵士達も、翠雅の姿もないのに。


 そして、市門の前に立っていたのは翼持つ者だった。白銀の髪を風に揺らめかせている。


 瞬間、影香かと思ったが、その背の翼はとび色ではない。


 夜の闇を切り抜いたような射千玉色ぬばたまいろだ。


 故に陸王は、それが雪李でも影香でもない事を知った。肌の上を静電気が通るような細かな痛みが走っていく。


 肌にぴりぴりくるこの感じは……。


 翼持つ者は、雪李によく似ていた。そしてゆらりと揺らめく。


 真っ黒な翼を背に負い、瞳は血を一滴垂らしたような深紅だった。雪李や影香であれば瞳はみどりの筈だが、違う。


 そこにいたのは、全くの別人だ。顔付きはほとんど雪李と言ってよかったが、しかし、雪李でも影香でもない。


 それを見て陸王は、雪李に路地で腕を引かれた時に怖気おぞけが走った事を思い出していた。今更ながら、あれはこういう事だったのか、と思う。


 あれは堕天使だ。翼ももう輝く白ではない。


 影香と雪李。いんようの二つに分かれた魂が一つになって、本来の姿に戻ったのだ。


 陸王は雪李を初めからいけ好かない奴だと思っていた。そしてその証拠をここに見つけた。

 堕天した天使はいずれ魔族になる。近く彼は、上位の魔族として転化するだろう。


 その事実が、陸王にはおぞましく感じられたのだ。

 さっきの光も、天使族だけが発する光。一つになった瞬間は、彼らは天使族だったのだろう。けれども今はもう違う。一つになった直後、堕天使としての姿に転化したのだ。


 果たして今の彼らは敵か味方か。既に魔族としての本性に目覚めているならば、敵も味方も彼には存在しない。全てが殺す対象だ。目に映るものは、全て破壊の対象でしかなかった。


 陸王は堕天使と化した彼らに己と似た匂いを感じながら、吐き気を催すほどの嫌悪を覚えていた。

 未だ腰にしがみついている雷韋の手を、とんとんと叩き、促す。



「雷韋、お前は下がっていろ」



 それまで雷韋は目を瞑っていたのか、ふと陸王を見上げた。



「陸王……」



 雷韋がそう声をかけた時、遠くから「ひっ」と甲高い声が上がった。

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