紅(あか) 四

雪李せつりにも会って欲しい人がいるんだ」

「僕に?」

「その人はあんたにどこか似てるんだ。面影って言うか……確信はないけど、もしかしたらあんたの陰かも知れない」



 その言葉を聞いて、雪李の目が見開かれる。そのままわずかだけ雷韋を見詰めたあと、目をしばたたいた。


 それを眺めるように見てから、雷韋らいは言葉を継ぐ。



「それにあんた、人間族かと思ってたけど、ほんとは違うんだろ?」



 どこかいぶかしむ様子で上目遣いに言い、それを聞いた陸王りくおうの目が雷韋から雪李に向いた。

 だが、それに返った言葉は意外なものだった。



「実はよく分からないんだ」

「は? 分からない?」

「僕は二つに分かれてしまってから、自分の事がよく分からないんだよ。自分自身の事になると記憶が曖昧なんだ。本来の自分の事を思い出そうとしても記憶がぎみたいに断片的で、はっきりとしない。魔術の事や世界の理を知ろうとした事は覚えているのに」



 雪李の新たな告白に雷韋は言葉を失い、陸王は怪訝けげんそうに見遣っている。



「でも、雷韋は会ったんだね? もう一人の僕に」

「え……あ、あぁ、多分、そうなんじゃないかって。だって、髪の色も瞳の色も同じなんだ。ただ、その人は有翼族だったけど」

「有翼族? 僕が?」



 きょとんとして雷韋を見る。



「う、うん。とび色の翼を持ってた。ぱっと見、面影が似すぎてて、一瞬あんたかと思ったくらいだし。でも、よく見ると違うんだ。名前も違った。その人の名前は影香えいこう翠雅すいがの側近で、護衛役だとも言ってた。人間族も有翼族も守護精霊が『風』だから、俺はその点じゃ全く気付かなかった。だけど一応、翠雅にはあんたの事話してみた。二人に分かれちまってるって。影香にあんたの面影があったから、もしかしたらと思ってさ。それで、本当に二人が同一人物なら、影香の半身である雪李を迎えて、俺と陸王はそれに同行するって事にしたんだ。表向きはそうして、俺と陸王を匿おうってさ」



 その話を聞いて、雪李は考え込んでしまった。雷韋もそれ以上は何も言わず、馬車が先を急ぐように勢いを上げて揺れる中、三人の間に沈黙が落ちる。

 だがその沈黙も長くは続かなかった。馬車ががくんと揺れて急に止まったからだ。いきなりの振動に身体の均衡を崩した三人の耳に、馬のいななく声が届いた。


 陸王が窓から外を見ると、槍を手にした二十人ばかりの、グローヴの胴鎧を着た衛士達が馬車を取り囲もうと輪を作っているのが見えた。少し視線をずらすと、もう砦の目前にまで迫っている。跳ね橋も下りようかと言うところだ。



「馬車の中に罪人がいるな。引き渡せ」



 馬車の前方から男の声が聞こえてきた。おそらくは衛士だろう。



「無礼を申すな。この馬車に乗っている御仁ごじんらは影香様のお客人だ。貴公らこそ道を空けよ」



 言う声は従者の声らしかった。貴人の従者だけあって、その態度は全く堂々としたものだった。



「いいや、そうもゆかぬ。客人とやらの顔をあらためさせて貰おうよ。エウローン卿は、こちらに協力するとやくされているのだ」



 突然、高圧的な男の声音が響いた。その声が響いた途端、こつこつこつと三度馬車の壁が小さく叩かれる。雷韋はその音を耳にして、



「今の、御者の合図だ。闇の妖精族ダーク・エルフが出た」



 二人に囁きかける。

 砦はもう目の前だ。だと言うのに、やはり待ち伏せされていた。


 三人が黙っていると、従者と闇の妖精族の遣り取りが続く。従者は飽くまでも陸王達をこのまま砦へ連れて行こうとし、闇の妖精族は頑迷がんめいに馬車に乗車している者達の身元を検めようと迫ってくるばかりだ。


 陸王と雪李を見詰める雷韋の目が、どうする? と問うていだが、陸王は雷韋の目など見てはいない。彼の身体は自然と刀の鯉口を切っていた。



「やるしかねぇな。兵はただの雑兵にすぎん。魔術でどうにでもなるだろう」

「問題は闇の妖精族だね」

「闇の妖精族の相手は俺がする」



 陸王が言って、素早く馬車から飛び出した。



「雷韋、行くよ!」



 雪李があとに続いて、その声に励まされるように雷韋も馬車を飛び出した。

 その三人に気付いた従者が「お客人!」と声を上げるのも束の間、真っ先に陸王は緑色の外套がいとう身に纏った闇の妖精族目掛けて走った。


 が、瞬間、何かを感じて横に飛ぶ。と、飛んだ先には衛士達がいた。口々に「刀を帯刀しているぞ」「グローヴ卿の手配していた侍だ」と叫び、槍を構えて陸王に突っ込んでくる。陸王は反射的に身をかわして衛士の手にある槍の柄を一気に十本ほど叩き斬ると、それだけで衛士達は後退あとじさった。なのにまた何かを感じてその場から飛びずさると、陸王が目の前にしていた五、六人の衛士達が、全身を切り刻まれて吹っ飛んだ。顔などの露出している肌は深く裂け、金属製の鎧が木の板のようにずたずたになっている。


 その様を目にして、陸王は瞬間的に理解した。闇の妖精族が根源魔法マナティアの真空弾を放ったのだと。そして陸王は初めに立っていた場所に目を遣った。そこは地面が何かに抉られたように、円形に穴が開いている。


 さっきから闇の妖精族は言霊封ことだまふうじで術を発動していたのだ。その発動の瞬間、空気の微細な振動を感じ取り、陸王はそうとは知らずに攻撃を避けていたのだ。

 陸王が闇の妖精族に目を移すと、闇の妖精族は灰色の瞳を笑みに歪めた。本番はこれからだとでも言うかのように。


 そして闇の妖精族は周りの兵士に向けて言葉を放つ。



「お前達ではこの侍に勝機はない。私に任せろ。その間に残りの二人を捕らえるのだ。この侍の仲間だ」



 その時、跳ね橋が下ろされた。砦の中からエウローンの兵士達が群れをなして駆け出してくる。


 しかしそれを闇の妖精族が阻んだ。


 兵士一人一人を茨の蔦で絡め取ったのだ。動けば鋭い棘が鎧の隙間から突き刺さる。兵士達はなんとか剣で蔦を掻き切ろうと足掻いたが、それは叶わなかった。蔦は跳ね橋から伸び上がり、彼らの全身を絡め取って完全に動きを封じる。兵士達は身を動かす度に血を流し、その苦痛に顔を歪めた。


 その一方で、雷韋は火影ほかげを召喚し、目の前の衛士達に対して構えた。

 雪李も異空間より獣を召喚している。雪李の目の前には直径一メートルほどの召喚円陣が展開し、赤く白く光るその中に真っ黒な姿をした四つ足の召喚獣がいた。


 ヘルハウンドだ。


 ヘルハウンドが魔物化してしまうと、その姿や声を見聞きするだけで人は死に至ってしまう。現れる時も閃光と共に現れ、消え去る時は爆発音と共に姿を消す。魔物の一つとして、ヘルハウンドは恐れられているのだ。


 そんな恐ろしい存在だが、召喚士サモナーに使役されればきわめて優れた猟犬となってくれる。その奥底に秘めた凶暴性は同じだが、主である召喚士の命には決して逆らわない。

 ヘルハウンドの暗黒のような漆黒の毛色の中から覗く白く濁った瞳に睨め付けられて、衛士達は一様に怯んだ様を見せている。


 雷韋は雪李の操るヘルハウンドと共に、襲い掛かってくる衛士達を片っ端から薙ぎ倒し始めた。だがそれは、殺生をしようというわけではない。雷韋は衛士達が武器を持って戦う事が出来ないように、多少乱暴だとは承知の上で火影で腕や足、鎖骨の骨を折っていった。


 同時にヘルハウンドにも雪李に言って、死なない程度に手傷を負わせるよう差し向けていた。しかもヘルハウンドに向かっていく衛士の数は少ない。やはり召喚獣として使役されていても、魔物としての認識が強いのだ。だから必然的に攻撃は雷韋に集中する。ヘルハウンドも雪李を護りながら攻撃を仕掛けている為に、雷韋の援護にまで手が回らなかった。


 雷韋は次々と襲い掛かってくる衛士を相手に必死で戦った。その成果か、負傷者が増え、辺りは怪我人の呻きに満ちていたが、何故か衛士の数が減る事はなかった。どこからか衛士が次々と集まってくるのだ。


 それは什智じゅうちが帰り際にエウローン領に置いていった衛士達だった。おそらく誰かが知らせに走ったのだろう。でなければ、一遍いっぺんに十人も二十人も数が増えるわけがないのだ。そうしてまともに相対しているうちに、雷韋の身体は悲鳴を上げ始めた。真正面から幾十人もの衛士と遣り合っていれば、当然、小柄な雷韋の身体には簡単に疲労が蓄積されていく。手加減しつつ戦う事は体力的にきつい。かと言って、手加減なしに人の生命いのちを奪う事は出来ない。雷韋は盗みも働くし、時には魔物を殺したりもするが、人まで殺して平然としていられる神経は持ち合わせていなかった。少年の心はそこまですさんでいない。

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