紅(あか) 五

 その様が目に入っている筈なのに、闇の妖精族ダーク・エルフは一向に陸王りくおうから目を離さなかった。雷韋らいもその眼中にない。見目が違うだけで、追う筈の鬼族だと分からなかったのだろうか。


 何故なら、その闇の妖精族はフォルスではなかったからだ。フォルスが連れてきた仲間だ。


 それでも確かな事は、今の闇の妖精族にとっての獲物は、無謀にも己に刃向かってきた陸王只一人と言う事だ。


 肌の色、耳の形、美しい顔の造作、そして瞳と髪の色を見て、その種族がなんであるか分からない者はいない。


 けれど陸王は挑む。しかも言霊封ことだまふうじは印契も詠唱も必要としない為、普通なら発動した術を避ける事は不可能だ。先を読む事さえ、同じ魔導士であっても難しい。それを陸王はけたのだ。その技量、流石侍といったところか。いや、死地を潜り抜けた陸王だからこそ出来た事だ。


 闇の妖精族は陸王を嬲るように地から茨の鞭を何本もあらわし、叩き付けていった。時には真空弾を撃ち込んでくる事さえあった。それをかわし、茨を切り落とししつつ、陸王は少しずつ闇の妖精族に近付こうとした。なのに少しでも距離を縮めると、それを阻むように茨の束が地から吹き出して、陸王を捕らえる檻を作ろうと襲い掛かってくる。退けば、今度は茨を切り裂く真空弾が飛んできた。陸王がそれを真正面から叩き斬って消滅させたり、躱したりすれば、また茨の蔦が襲い掛かってくる。


 闇の妖精族はそれを繰り返し、その繰り返し自体を楽しんでいた。さながら猫が追い詰めた獲物をいたぶる様に、それはよく似ている。

 一息に突っ込んでいけない事に、陸王は徐々にれていった。思わず「くそっ」と小さく毒づく。



らちがあかん」



 忌々しげな声音だった。

 このままいたぶられ続けるのなら、いっそ、と思った。相手はたかが人族ひとぞく。抗しうる手などいくらでもある。


 思い立った途端、陸王は闇の妖精族に向かって一息に突っ込んだ。


 闇の妖精族もその姿を見止めて、これで何度目になるか分からない茨の束を眼前に展開した。今度こそは陸王を捕らえる為に。


 今までならこれで陸王は退いていた。だと言うのに、ふっと眼前から消え失せたのだ。


 慌てて闇の妖精族は己の周りに結界を張った。鋭い鎌鼬の壁に、天からは無数の稲光を呼び寄せた。雷鳴と共に、それは闇の妖精族を取り囲む。そして辺りに目を馳せた。

 陸王の姿を捜して。


 と瞬間、背後に突き刺さっていた稲妻が轟音を立てて消し飛び、同時に闇の妖精族を護っていた風の刃が消し飛んだ。


 背後を振り返ると、その先にいたのは陸王。


 陸王の目の前だけ、そこに突き立っていた稲妻がぽっかりと口を開け、その姿を晒している。


 刀を握る陸王の両手は手から肘にかけて、黒くげ付いていた。様子を見ても、存外平気そうな顔をしている。


 闇の妖精族はその陸王から逃げ出すようによろよろと後退あとじさった。二百年を生きてきたが、いくらなんでも稲妻を切り払った者など見た事がなかった。


 そして陸王の瞳に一瞬、変化が起きた。


 闇の妖精族をめ付けている陸王の黒い瞳が瞬間、あかく変じたのだ。それはすぐにもとの黒い色に戻ったが、その変貌を目にして、闇の妖精族は勝機がない事を思い知らされた。



「きさ、ま……。まさか」



 譫言うわごとのように口にしてそのままじりじりと後退っていくと、突然、闇の妖精族の身体が硬直し、辺りに轟音が轟き渡った。


 自分で張った稲妻の結界に触れたのだ。声を出す間もなく、闇の妖精族の身体は燃え上がり、炭化した。それと同時に術が解け、弾けるような音を立てて稲妻の結界が解かれる。


 それを見届けて、陸王はその場に片膝をついた。刀を地面に突き立てて肩で大きく息をつく。闇の妖精族は雷韋が言うほどに恐ろしくはなかったが、面倒な相手だとは思った。


 それでも流石に稲妻を斬るのには勇気がいったが。


 下手を打てば、闇の妖精族が自滅したような結果になってもおかしくはなかったのだから。


 陸王はもう一度大きく息を吐き出し、その時になってようやく砦の中から現れた兵士に肩を貸されて立ち上がる。兵士達にかけられていた術も解かれたのだろう。彼らは多かれ少なかれ、皆、血を流していた。


 そうして陸王を立ち上がらせると、今度は雷韋らい雪李せつりに向かっていた衛士達の前に立ち塞がる。雷韋は傷だらけになり、身体全体で息をしていた。雪李自身に怪我はないものの、召喚獣を操っていた為に精神的な疲労を見せている。



「待て! これ以上の狼藉ろうぜきは許さん。この方々は影香えいこう様のお客人だ。その方々を害そうとするとは……!」



 それに対して、衛士も言葉を返した。



「あの侍はグローヴ卿に手配されている罪人だ。そしてこの二人もその仲間。引き渡すのが筋というものだろう」

「いいや、この方々は客人だ。客人を引き渡すわけにはいかぬ。しかも貴様らは迎えの馬車を襲った。この馬車がエウローン卿の馬車であると知っての事か。もしそれを承知の上で襲ったのであれば、礼をしっしているのはどちらか」



 その言葉に、衛士達の間にざわりと動揺の声が広がる。



「道理が分かったら退け。エウローン卿は何もグローヴ卿と事を構えたいわけではない。ただ客人を迎えたいだけの事。卿の馬車を襲ったその責は追って伝える。さぁ、退け!」



 兵士の言葉の影で雷韋は他の兵士に肩を貸して貰って砦へと歩き出し、雪李はヘルハウンドを送還していた。

 そして衛士達は不承不承ふしょうぶしょうといった風に、傷つき倒れている大勢の仲間を連れてその場を立ち去っていった。

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