第三章
交錯 一
肥と掃き溜めの中で一昼夜、
昨夜からずっと、牢の脇にじりじりと勢いのある松明がその存在を誇示している。火の精霊は彼の眷属だ。
何故なら、火が彼の守護精霊だからだ。
人族にはそれぞれ『守護精霊』というものがある。
ただし
だが、獣の眷属である雷韋は違う。
彼の守護精霊は火。だから火の精霊を直接動かす事が出来るのだ。
これは
だからこそ、どうにかして封珠縛を解き、火の精霊の力を使ってこの汚泥の巣窟から逃れたかった。それなのにどう足掻こうと封珠縛の縛めは緩む気配すらなかった。反対に、腕に絡められた荒縄によって幾重にも重なる小さな傷が増えるばかり。そして封珠縛は身体に食い込んでくるようだった。時間が経てば経つほど、身体からどんどん力が抜けていく。
「くそっ。
眷属が近くにいる為に、余計苛立ったような声を雷韋は出した。だが、悔しそうなその声が薄汚い牢内に虚ろに響くだけだった。
「あ~ぁ、せめて火刑だったらどんなにいいだろ。俺、絶対に焼かれずにすむのになぁ」
守護精霊が火の雷韋には、どんなに激しい炎でさえ通じない。そして目論見通り火刑になれば、その時が逃げ出す絶好の機会にもなる。
だが反対に、絞首刑や斬首なら逃げ出す機会はないと言っていいだろう。多分にして封珠縛を解かれぬまま吊し首になるか、断頭台の露となって消え去るのみだ。
どちらにしても、そうなると彼には逃れる術などない。
どう考えても陪審員は雷韋の敵であり、彼を殺す算段を考えているに違いないのだ。
雷韋はこの領地での市民権を持っていない、一介の旅人にすぎなかった。しかも手配書まで配られている盗賊だ。雷韋の釈明は受け入れられず、それどころか、市民権を持っていないばかりに、弁明の機会すら与えられないだろう。
「くそっ」
言って、錆びてはいるが、堅牢な檻を今ある精一杯の力で蹴り付けた。
雷韋は楽観的に、どこかに逃げ出す機会が巡ってくるだろうと思っていたが、全く彼の思惑通りにはいかなかった。それどころか、時間が経てば経つほど彼にとっては最悪な事態が忍び寄りつつある。
「くそったれっ。親父の馬鹿野郎。何が『待てば好機は来る』だよ。全然こねぇじゃねぇか!」
頭の隅に、養父の熊のような顔がちらついて、余計に彼は面白くない気分になっていった。
「俺にもっと力があればこんな呪縛すぐ解けるのに。そうしたら簡単に逃げられるのになぁ」
そう独りごちる。こんな酷い目にあったのは生まれて初めてだ。そんな惨めさに、いつもはぴんと立った両耳が、まるで怖じ気づいた獣のように垂れ下がる。
その時、ふと何かが雷韋の耳に響いてきた。それは地下牢に続く扉の鍵を開ける音だった。
その音に耳を傾け、彼は最悪な運命が来たのだと悟った。
おそらく、雷韋に対する判決がおりたのだ。
どんどん複数の足音が近付いてくる。
そして、その足音の主が雷韋の放り込まれた牢獄の前に現れた。
数名の衛士を伴って現れたその人物は、グローヴ領領主、
普通、領主を名で呼ぶ事はない。領地の名を取って、『
だが雷韋はそんな呼び方はしない。そんな礼儀は什智に対して持ち合わせていない。でなければ、そもそも雷韋はこの男のもとからものを盗むような真似はしなかっただろう。
領民を虐げる領主など屑だというのが雷韋の持論だ。
「ここは酷い臭いのする場所だな」
そう言って貧相な髭を蓄えた、ひょろりと背の高い什智は鼻先に皺を作る。元々顔付きや体躯が貧相な男だった為、その様子は酷く哀れさを誘うものだった。服装が違えば、ただそれだけで貧民窟の浮浪者とでも勘違いしそうな容貌であり、
「おい、そこのガキよ」
「ガキじゃない。俺にはちゃんとした名前が……」
今まさに名乗りを上げようとした雷韋の言葉を遮って什智は言った。
「お前の処刑が決まった。私直々にそれをお前に伝えに来たのだ、哀れな盗人よ」
言うと、ひひひと猥雑な声音で笑ってみせた。そして続ける。
「そう、斬首だ。だが、断頭台は使わない。兵士による首切りだ。一体、斧の一撃目はどこに飛ぶかな。頭か? 背中か? それとも奇跡でも起きて、首を一撥ねされて終わってしまうかもなぁ。首を断たれるまで、じっくりと己の罪を顧みるがよい!」
「私も運がいい。我が財宝も全て取り戻せて、盗人も殺してやれる。まさに、一石二鳥というわけだ。早馬で手配書を回しただけの甲斐もあったわ」
貧相な領主は、勝ち誇ったような声を上げていた。
「手前ぇ!」
雷韋は思わず叫んでいた。
「一体あれはなんなんだよ? あの珠玉は。中に精霊が入ってたぞ。一体どこで手に入れた。あんなものを人間が持ってるなんて!」
「ほう。流石、異種族とでも言うべきか。あれの正体が分かるとはな。あれはある魔導士から譲り受けたものだ。私がこの世を支配する為にな。遠からず、私はこの世の王になるのだ」
什智は両腕を広げてそう言うが、雷韋には一体なんの事か分からなかった。
確かに珠玉には火の力が宿っていたが、それ一つあったところで世界をどうこうする事など出来るものではない。
精霊使いならば誰もが分かる理屈であり、道理だった。
「あんた……そんな事、マジで言ってんのか」
どこか呆然とした言葉を雷韋は返した。
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