邂逅 四

 精霊魔法エレメントアというのは原則として、人間族には行使出来ぬ力だ。

 精霊は人間族には従わない。

 それは世界のことわりの一つである。


 かつて混沌の中から天地を分けた獣神けものがみ光竜こうりゅう)が創った人族──獣の眷属──でなければ、精霊達は従わないのだ。


 ただし例外として、風の精霊だけは人間族にも声を届ける。彼らは好奇心旺盛なのだ。それ故に、風の精霊だけは神世の昔から人間族にも従ってきた。

 いや、天慧てんけいの系譜にも、と言った方がよいか。更に正確に言えば、光の神・天慧と闇の神・羅睺らごうの系譜なのだが。


 天慧と羅睺は光と闇を司る兄弟神だ。

 原初、混沌の胡乱うろんな光しかなかったアルカレディア大陸に天慧が光を、羅睺が闇をもたらした。そして光竜が地上に人族を創るのを真似て、彼らも人族を創った。


 それが天使族、人間族である。


 けれども神世の時代が終わりを告げて人の世になった頃から、羅睺の存在は人々の中から徐々に消えていった。人間族は『天主神神義教てんしゅしんしんぎきょう』という宗教を創り上げ、天慧が自分達の絶対の創造主であると考えるようになったのだ。


 けれどもそれで、羅睺が天罰を下したと言う話は聞かない。羅睺が消えたという話も聞かない。


 少なくとも、今でも人々の中には『月』が羅睺の変わり身であるという意識がある。だから決して羅睺は完全に忘れ去られた神ではないのだ。ただ羅睺を祀る宗教がないと言うだけであって、天慧という太陽神の影には常に羅睺の姿があるのだから。


 そして、原初神である光竜は獣の眷属に崇められている。一部では人間族にも信仰されていた。


 その天慧、羅睺の系譜である天使族、人間族、そして惜しくも堕天してしまった堕天使の末裔すえである魔族には、唯一風の精霊だけが従っている。風の精霊は当然獣の眷属にも従うが、天慧、羅睺の系譜にも従う。


 そこまで好奇心の強い精霊なのだ。


 だから火の精霊を玉の中に封じる事など到底人間には出来ないと確信していた。

 これが風の力であったなら人間の魔導士が創ったものだと思ったかも知れないが。


 それでも今の雷韋らいにはそんな事はどうでもよかった。希有けうな珠玉が手に入った事に満足していた。


 小さな鼻歌を上せつつ雷韋は珠玉をもとの天鵞絨ビロードの中に収め、箱を持つ手を高々と掲げて眺め遣った。


 その時不意に、



「俺の刀は気に入らなかったようだな」



 聞いた事もない低音が背後から降り注いだ。同時に、ひたりと冷たいものが首筋に当たる。

 雷韋は全身の筋肉が硬直したようになった。さほど強くもないが、はっきりとした殺気が少年を押さえ付ける。



「っかしいなぁ。見つかっちゃったかなぁ、俺」



 雷韋は目だけをそろりと背後に移し、緊張した笑みを頬に張り付ける。けれどその声音には、態度とは裏腹に少しも強張った風はない。



「なぁ、あんた。やっぱし俺を追いかけてきたってわけ」

「お前を追ってきたんじゃねぇ。が俺を呼んだんだ」



 さも面白くなさそうに言って、男は手にした得物を軽く動かした。

 途端に雷韋の首に鋭い痛みが走り血の滲む感覚があった。

 辺りには不穏な空気が淀んでいる。



「お、俺が悪いわけじゃないじゃん。あんたがぼーっとしてんのが悪いんじゃん」



 雷韋は己の非を全く認めようとはしなかった。それどころか逆に、その口から出たのは被害者を攻撃するような言葉だった。


 その態度が酷く相手に不快感を覚えさせる事に、当の本人は毛の先程も気付いてはいないが。



「でもさぁ、それ本物だったんだな。一体どんな細工したのさ。俺が引き抜こうとしてもてんでかなわなかったぜ。じゅの気配もなかったのになぁ」

「相手を選ぶんだよ」



 男は何を考えているのか分からないが、雷韋をじっと見下ろしていた。が、不意に男の口の奥で小さな舌打ちが鳴るのが聞こえた。


 雷韋は今更ながらその音に過剰に反応した。ここまで来て、やっと恐怖心が芽生えたのだ。


「斬っちゃう? やっぱ俺の事、斬っちゃう? それ、やめようよ。俺なんか斬ったってなんにもならないじゃんか。なぁ、頼むよ。生命いのちだけは許してよ。その代わりにさ、俺の持ってるお宝全部あげるから」



 なぁ、ともう一度縋すがり付くように声を出す。首筋からは、ようやく溢れ出した血の滴が雨の湿気と混じって筋を描き始めたばかりだった。

 男は延々と言い訳めいた命乞いをする雷韋に、



「ガキ。囲まれてるぞ」



 唐突に注意を促す言葉をかけてきた。それに反応し、雷韋も辺りに目を馳せる。そして、



「うっそだろ、おい」



 愕然がくぜんとした声が小さく口をついた。


 少年の目は他の人族よりも優れた暗視能力を持っている。まるで猫が闇の中で鼠を見つけ出すように、雨の薄膜の向こうにいる見覚えのある者達を発見していた。

 それは衛士達だった。盗みに入ったグローグ領主の邸の衛士。胴鎧の形状でそれと分かる。しかも衛士達の顔に見覚えははっきりとあった。

 馬に騎乗しているのが厄介だが、そればかりはどうしようもない。



「奴ら、お前の知り合いか?」

「知り合いってほどじゃない。見かけた事があるだけ」



 雷韋は周りを見回して、思わず嘆息した。

 男はそれに小さく息をつくと言う。



「今回は見逃してやるが、次はねぇぞ、小僧」



 面倒に巻き込まれるのを拒絶してか、男は刀を鞘に収めた。そうして、それを腰に差し込んで踵を返した時だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る