第41話 魂たちの行く先は

「少々長い話になるのだが」


 居住まいを正したオルフェンの前で、そう前置きをしてから男は語り始めた。


「私には、妖精の恋人がいた」


 ふとオルフェンの耳に、妖精の恋を歌う悲しいメロディが蘇る。砦の城でドウンが聞かせてくれた『風鈴草の歌』だ。


   私の太陽は遠くに行ったきり

   他の誰かを照らしている

   

「もともと世話好きな性質であったのか、行き届きすぎるほどよく尽くしてくれた。それは私が結婚してからも変わらなかった」


 あの歌詞と同じだ。オルフェンは眉をひそめた。


「恋人がいたのに、他の方と結婚なさったの?」

「ああ、私の妻は人間だ」

「それは、不実ではなくて?」


 男は「なにが?」と不思議そうに首をかしげる。


「あなたの恋人は自分以外の方と結婚するのを、悲しくお思いになったでしょう」

「いや、特にそのような様子はなかったが……」

「察しの悪い方ね」

 

   風鈴草の谷はずっと夜のまま

   花が咲く日は来ない


「もう、これだから男の方は!」


 影は困惑したようにゆらゆらと揺れている。なぜ怒られるのかさっぱり分からない、と思っているかのように。

 オルフェンは溜め息をついた。


「いいわ、その件は後でじっくりとお話ししましょう。続けてくださいな」

「分かった」


 ひとつ頷くと、男は再び語り始める。


「妻となった女性は、その周辺一帯を治める部族のおさの家系に生まれた娘だった。私は選ばれて、彼女の隣に座する栄誉を得たのだ」


 本人の実力というより、妖精の恋人のおかげで得た地位なのだろう、とオルフェンはひそかに思った。


「妻は統治者として優れた手腕を持っていた。人心を掴むことにも、また軍事にもけていた。妻が女王として君臨すると、領土は拡大していった」


(あの、オルフェンさま……)


 肩の上でイレーネが囁く。オルフェンは顔を男の方に向けたままゆっくり頷いた。

 思うところ、言いたいことはいろいろあるが、今は心のままに語ってもらおう。


「私は妻を愛していたが、同時に恐れてもいた。どこまで進めば彼女は満足するのだろうか、と。

 支配者としての彼女は貪欲どんよくだった。自分の国を富ませるためなら、己れの手を汚すこともいとわない。子が生まれれば、母として穏やかな生活を望むようになるのではと期待をかけたが、叶わなかった。

 私の人生は、このまま戦乱に明け暮れるのだろうか。歴戦の強者たちでさえ、死は避けてはくれない。自分の身は恋人に守られてはいるが、目の前で次々と人が死んでゆくのを見るのは心が痛かった。無辜むこの民も、多くが止むことの無い戦さに巻き込まれて失われていった。

 朝には元気だった者が、夜には冷たいむくろに変わる。そうして烏や野の獣たちの腹を満たす。このような世がいつまで続くのだろう。嘆きの声が耳から離れない。耐えられなかった」


 歴史書が語らない、当事者だけが知る事実だ。


(なるほど。そういう経緯いきさつがあったのね)


 妖精からの贈り物。癒しの祝福ギフト


「悪気があったとは思わない。善意から出た行為だと信じている。周囲の者たちはそうは思わなかったようだがね。

 幼い娘が癒しの手を持つことになったのは、素直に嬉しかった。相当のことがない限り娘の身は安全になったのだし、娘が怪我を負った兵士たちを気遣って日暮れの陣内じんないをちょこちょこと走り回っている姿は微笑ましく、見ると心が軽くなった。あの子が過酷かこくな運命を背負わされたことに、当時は全く気づいていなかったのだ」


 オルフェンの推測が確信に変わる。

 目の前にいる亡者は、間違いなく自分のご先祖だ。


「おかしいと気づいたのは、妻の方が早かった。

 同じ年頃の娘たちが女らしいまろみを帯びるようになっても、私たちの娘は華奢きゃしゃな少女のまま。それ以上おとなになることがなかった。そうしてあどけなさを残したまま二十歳の誕生日を迎えた日、私たちは大魔法使いの口から、彼女が不死の身であることを知らされたのだ」


 内心の苦悩を映して、影は身もだえするように揺れてねじれた。


「呪われた娘。人々はそう噂した。

 この国の者たちは死をもたらす苦痛は恐れても、死そのものはさほど恐れない。魂がまた転生することを知っているからだ。

 人の身でありながら『不死』となることは、この地に生きるものとしての道にそむくことだ。妖精の娘は呪いをかけたとがで追放され、娘は年老いた隣国の領主に嫁いだ。私はいつだってあの子の幸せを心から祈っていたが、自分の目の届かぬ遠くに行ってしまうと、正直なところほっとした。そのころにはもう、姿を見るのも辛くなっていたから」


 ここでオルフェンの我慢は限界に達した。


「あなたねえ!」


 敬意も敬語もかなぐり捨てて、語気荒く先祖である男に詰め寄る。男はびくっと身を縮め、背後の木に張り付いた。


「自分が情けないと思わないの? 何ひとつ自分で決めていないじゃないの。みんな周りにお膳立ぜんだてしてもらって、助けられているのが当たり前みたいになってて、自分から恋人や女王さまに何ひとつしてあげていないじゃないの!」


 勢いにされて、男の影はぴたりと木の幹にくっついたまま、どんどん平たく小さくなってゆく。

 人の形を保つのが精一杯の亡者に、オルフェンはさらに追い打ちをかけた。


「呪われた娘ですって? 見ているのが辛いって、本人の方が辛いに決まってるわよ。でも文句ひとつ言わずに、親の都合を受け入れて、愛せるかどうかも分からない相手との政略結婚にのぞんだのでしょう? エレインが可哀そうよ!」

「私は平凡な男なんだ。大それた望みは持っていなかった。愛する家族との穏やかな暮らしを望むちっぽけな人間で……」


 ぶるぶると震えながら言い訳を試みた影は、はっと視線を上げた。


「エレイン? お嬢さんは娘を知っているのか? それとも、私が娘の名を教えたんだったか」


 とぼけた言い様に、オルフェンは溜め息をついた。


「知っているわよ。お友達になったんだもの」

「あの子が、呪われた娘だと知って?」

「だから、その呪われた、って言うのやめなさいよ。最初は知らなかったけど、今は知っているわよ。だからどうだっていうの? エレインはエレイン。それだけよ」


 両腕を胸の下で組み、右のつま先でとんとんと地面を叩きながら、オルフェンはかつて王であった男をめつける。

 男はそんな娘を、珍しいものでも見るように、つくづくと眺めた。


「ひとつ尋ねたいのだが」

「なあに?」

「お嬢さんは、何者かな?」


 おずおずとうかがう影を見下ろすように顎を上げ、手を腰に当てて、オルフェンは尊大に答えた。


「わたしの名はオルフェン。父はダナンの王、母は女王。つまりわたしは、あなたの子孫ってことよ。ご挨拶がまだだったわね。初めまして、ご先祖様」


 クネド王は何も言わなかった。

 赤茶けた土の上、枯れ木の根元にぺたんと座り込んでいる。ややあって、恐る恐る、といった風情で尋ねる。


「子孫?」

「そうよ」

「お嬢さんが、私の?」

「ご不満かしら」

「とんでもない!」


 王はぶんぶんと手と頭を振り、勢い込んで否定する。


「こんなに立派な子孫に恵まれるとは、なんという僥倖ぎょうこうだろうか。妻が知ったら喜ぶだろう。ああ、よく見ればその見事な金髪と勝気そうな青い瞳は妻によく似て……」


 卑屈、と表現しても差し支えのない伝説の王の姿に、すうっとオルフェンの怒りがさめた。


「もう、いいわ」


 イレーネはくすくすと忍び笑いを洩らしている。


「それで、ご先祖様はどうして二百年もここに留まっておられるの?」

「二百年? そんなになるのか。あの日、あの子が湖の女王の島で……」


 今度は遠くを懐かしむ口調になる。放っておいたら、また話がどこかに行ってしまいそうだ。


「わたしの問いに答えていただけるかしら」


 オルフェンはばっさりと切り捨てた。

 子孫の剣幕に、いにしえのダナン王はびくっと身をすくませた。


「い、いや。その。あ、何故私がここに留まっているかというと、娘が心配だったからだ」


 慌てて話を戻す。


「心から愛し、愛される者と出会うことができなければ、あの子は永遠に一人ぼっちだ。あの子の行く末を見届けない限り、私は次の世へと旅立つことができないのだ」

「それじゃ、エレインのそばにいってあげたらどう? さっきの人にも言ったけど、今夜はサウィンなのよ。死者が地上に帰ってもいい日なのに」

「合わせる顔がなくて。それに、嫌われていたらどうしようか、と」


 これが年頃の娘と喧嘩をした直後の父親の言葉だったら、オルフェンは微笑ましいと思っただろう。

 しかし―――


「一度くらい試してみなさいよ! 今までに何度サウィンの夜があったと思っているの!」

「い、いや。たまに、気が向いた時に冥界の王が消息を教えてくれるし、機を見計らって――」

「その機はいつ来るの? ああ、もう。情けないったら!」

「す、すまない」

「オルフェンさま、そのへんで」

「そうね。取り乱して悪かったわ。それではダナンが誇る偉大なる王へ、子孫から有難い助言を差し上げましょう」


 息を整え、ひとつ咳払いをしてから噛んで含めるように話す。


「エレインが永遠に一人ぼっち、だなんて。そんな心配はしなくていいわ。エレインにはエレインの人生があるの。あの子を愛する人はいる。今は口に出さなくてもね。エレインがその人を愛するようになるかどうかは、その人の努力次第ね。

 それから、嫌われている、ってこともないと思う。現在のあの子が、王女だったころの記憶を失っているのは、当然ご存じよね。兄さまからの又聞きだけれど、それでも眠っているときに泣きながら『お父さま』って口にすることがあったそうよ。聞いたのは猫のシャトン。猫の耳は鋭いから間違いないと思うわ」

「ほ、本当か?」


 うろたえるご先祖に、鷹揚おうように頷いて見せると、最後の一言を言い放つ。


「彼女なら今、ケイドンの森の端っこ、隠者の庵にいるはずよ。さっさと会いに行ってあげなさい。ほら、ぐずぐずしないの。今、すぐに。じゃないと蹴り飛ばすわよ!」


 ひゅうっ、という音が聞こえそうな勢いで、影は逃げるようにどこかへと流れて行った。


「お手柄ですね」


 イレーネの褒め言葉も、なぜかむなしく聞こえる。


「あの人の血を継いでいるのね。兄さまも、わたしも」


 オルフェンは盛大に溜め息をついた。


「なんだかとても疲れたわ。もうひとつだけ仕事をしたら、ドウンさまのお城に帰りましょう」

「お仕事、ですか。どのような?」

「イレーネ、『安らぎの野』がどちらにあるか、分かる?」

「はい。ここからそう遠くはありませんよ」

「そこに目印をつけたらどうか、と思って。大体、この重苦しい雰囲気が良くないのよ。ここに長い間留まっていたら気が滅入めいるのも当然よ」

「あら、オルフェンさまでもそう思われますか」


 亡者たちの抱える暗い思いが、この地によどむ。その澱みにまた亡者たちが囚われる。悪循環だ。


「ええ。たとえ一時的に道を見失っても、『安らぎの野』への入り口に分かりやすい目印があれば、迷える亡者の数も減るんじゃないかしら」

「分かりました。でも、ドウンさまの許可をいただいてからですよ。まずは仮の印だけにしてくださいね」

「ええ。そうするわ」


 オルフェンは金の帯の結び目から、十字に組んだナナカマドの枝を取り出した。

 カエル・モリカの町に出かける前にもらった、大魔法使いマクドゥーンお手製の魔除けだ。


「それじゃ、案内をお願いね。キアラン、フラン、行くわよ」


 二匹の犬がしっぽを振って後を追いかける。

 獣たちの毛並みは、冥王ドウンの城を出る時に比べると見違えるほどに変化していた。

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