第30話 罠

   可愛いあの子を捕まえたいなら

   教えてやろうか、おまじない

   糸の切れっ端を用意して

   呪文を三回唱えるんだ


    ――この糸は蜘蛛の糸

      綺麗なちょうちょは俺のもの


   そうして、あの子の服につけるのさ

   なあに、簡単なこと。

   すれ違いざま、袖になすりつけ

   「おや、ごめんなさい。失礼しました」  

   それでおしまい、はい幸せに

  

 * * *   

 

 水上に無数の光が見える。

 半分は熱を持った本物の火の光。あとの半分は水面に映る命を持たない影である。

 ジェムドラウ川にはたくさんの船が浮かんでいた。

 小さなボートには、ささやかな灯りと恋人たち。大きめの船にはさかなあぶるための火と酔客すいきゃく

 歌と手拍子、さざめく笑い声。

 船はご機嫌な人々を乗せて川の上を行ったり来たり。

 水が跳ねて飛沫しぶききらめく。


 シャトンが橋の束柱つかばしらの間に顔をつっこんで、熱心に下を覗き込んでいる。


「キレイなもんだねえ」


 こんなおりでなければ、いつまでも眺めていたい幻想的で幸せな風景だ。

 川の両岸に立ち並ぶ木々には、ずらりとランタンが吊るされている。

 それは、今宵限りの占い通り。

 辺鄙な田舎町にダナン中の占い師が集まったかと思うほどである。商売が成り立つからこそ、この数なのだろうが。


「人間の欲というのは、恐ろしいですね」


 キアランが半ば呆れたように、半ば楽しげに嘆息する。

 幕屋作りの小屋を構える者がいれば、粗末な椅子を置いたきりの者もいる。もちろん、占いの腕は単純に小屋の大きさと比例するものではない。

 二人の娘が向かったという占い師の小屋は、向こう岸にあるらしい。

 橋の真ん中で立ち止まったフランは、対岸をにらんだきり何も言わない。

 右へ行くか、左へ行くか。どちらも、ずっと先まで小屋が立ち並んでいる。


「ちょっとした運試しですね。さあ、どちらから探しますか」


 キアランが気楽な調子で声をかけた。


 * * *

  

 何もさえぎるもののない川べりを、風が吹き抜けてゆく。

 お守り役がようやく橋の中央にたどり着いたころ。オルフェンとエレインは、ちょうどお目当ての占い師を見つけ出したところだった。


「あれじゃないかしら」


 多くの小屋が四方を厚手の幕で囲い、その中で火を焚いている。どれも同じように見えて、よく見るとそれぞれに個性があった。


「ほら、あそこよ」


 オルフェンが一軒の小屋を指差す。

 他のものより一回り大きいその小屋の入り口の前には、かぶが二つ、ごろりと地面に置かれていた。

 それを見て、エレインはぎょっと立ちすくんだ。

 中身をえぐり取られた白く大きな蕪。それが一瞬、に見えた。

 目を閉じてゆっくりとひと呼吸。

 次に目を開いたときには、しゃれこうべはただの蕪に戻っていた。中に赤い火を灯したサウィンのランタンだ。


(そうよね、見間違いよね)


 両手の指を組み合わせ、口の中で祈りの言葉を唱える。

 顔をしたランタンは多い。それを不気味だとは思わなかった。

 まるっとした蕪に目と口を彫っただけのランタンには、それぞれの表情があって、愛嬌あいきょうがある。

 蕪の大きさと形、彫りの深さや穴の配置。

 そういうさまざまな要素が組み合わさった、バランスのせいなのだろう。

 エレインはそうやって自分を納得させようとしたが、やはり違和感はぬぐえなかった。


「どうしたの?」


 はっと気づくと、オルフェンの顏がすぐ近くにあった。心配そうにエレインを覗き込んでいる。


「ごめんなさい。わたし、はしゃぎすぎたかしら。疲れたのだったら、そう言ってね」

「いいえ、平気です」


 エレインはぎこちなく微笑んだ。

 青ざめた顔の色を夜が隠す。頬の陰りは、ランタンの光が作る影に紛れてしまう。


「なら、いいのだけれど」


 オルフェンの方は、まるで蕪を気にする様子はない。関心は幕屋の中に向けられている。


「ねえ、何を占ってもらうか、もう決めた?」


 快活な声でそう尋ねると、返事を待たずに話し続けた。


「わたしはね、やっぱり兄さまのことにしようと思うの。もういい年なんだから、きちんとお妃さまを決めて、家族を持って、落ち着いて欲しい。今が落ち着いていないというわけじゃないけれど、あれはダメでしょう。落ち着いているっていうより枯れているんだもの。あんなお年寄りみたいな落ち着きじゃなくて、もっと年相応の落ち着きをね」


 話しながらエレインの両手を取ると、ぎゅっと握りしめた。


「それにはまず、女の方とお近づきになって――」

「あ、あの……」

「どうしたの?」

「やめた方が、いいと思います」

「何を?」 


 きょとん、とオルフェンが首をかしげる。


「ここ、何かおかしいです。あの、なんとなくですけど」


 エレインは口ごもった。

 はっきりと「何が」、「どのように」と説明できないのがもどかしい。


「そう? 怖いくらいに当たるって評判だから、ここにしようと思ったのだけれど。気が進まないなら別のところにしてもいいわよ」

「うちの前で何をごちゃごちゃ言ってるんだい」


 ばさっと布をかき分ける音がして、小屋の主が顔を出した。年季の入った女占い師だ。


「用がないなら小屋の前からどいてくれないか。商売の邪魔だよ」


 老占い師がめくった幕の隙間から、こそこそと若い女性が出てきた。

 後ろめたさを抱えているのか。背中を丸め、マントの合わせをぎゅっと握り、フードで顔を隠している。そうして、ちらっと少女たちに目を走らせると、そそくさと逃げるように去っていった。彼女がそばを通り過ぎるとき、すうっと、湿った匂いが鼻をかすめた。

 不機嫌そうに娘たちを眺めていた老婆が、ふと気づいたようにしわと見分けのつかないまぶたを上げた。


「あんた、〈金のオルフェン〉かい?」


 薄い色の目でオルフェンを見、ついでエレインを見る。


「おやおや、若草のエレインもご一緒で」

「わたしたちを知っているの?」

「ダナンの王女さまが兄君を慕ってカエル・モリカにやって来た、ってのは国中の者が知っているからね。さては、と思っただけさ。ファリアスのお城に戻る気配がまるでない、ともっぱらの噂だよ。それにそっちの娘は聖女さまと同じ髪と目の色をしている。そういう娘の名前はエレインだと相場が決まってるもんだ」


 お入り、と女占い師が手招きをする。

 この流れでは、断りづらい。

 ちらっとエレインの方を気遣わしげ見て、先にオルフェンが垂れ幕をかき分けて中に入った。その後にエレインが続いた。


 小さな四角いテーブルの上に置かれた香炉から、白く細い煙が立ち上っている。

 空気は乾いているのに、なぜか湿っぽい匂いがした。


 森の奥深く――

 積もったち葉の匂い。

 こけの匂い。

 沼に生えるの匂い。


「さあ、金のオルフェン。あんたは何が聞きたいんだい」


 しわがれた声がたずねる。占い師はテーブルにひじをついて指を組んだ。

 向かいの席に、ふわりと軽やかに、オルフェンが座った。


「その呼び名、もともと兄さまのものだったのよね。金のアリル。太陽のアリル。何年か前までは非の打ち所のない方だったのに、あの若さですっかり老け込んでしまって」


 ほっほっほ、と占い師が笑った。また目が皺の中に隠れた。


「あんたの悩みは、兄君のことかね。さしずめ、王子殿下がすんなりと王位を継いでくれるかどうか。あんたにおはちが回ってこないか心配だ。そんなところかい?」

「そうなの!」


 オルフェンが身を乗り出した。ぎしっと木の椅子がきしんだ音を立てる。


「このままだとわたし、女王になって、長老たちがどこかで見つくろってきた男と結婚する羽目になりそうなの」

「その可能性は高いねえ。ひと昔前のイニス・ダナエでは、それが正当なやり方だった。それではいけないのかね?」

「いけないのよ!」


 オルフェンが向きになる。


「わたしは自分で結婚相手を決める。その前にきちんと恋もしたいの。野望だってあるの。だから、教えて。兄さまを支えて、王にしてくれる女性はいつ現れるの? いえ、どこにいるか分かれば、すぐにでも迎えに行くわ」


 占い師は黙って首を振った。そうして枯れ枝のような指を組み直すと、じっとオルフェンの額を見つめた。


「もしそれが、あんたが王冠から逃れるためならば、やめておきな。無駄な足掻あがきさ」

「どうして?」

「あんたの額には、はっきりと女王の冠が見える。いつ、どこでそれをいただくのか。この婆には分からない。なにしろ、今まで見たこともないようなしるしなのでね」

「そんなあ……」

「王子殿下については何とも言えないね。もし本人がここにいれば、話してやれることもあるだろうが」


 占い師は素っ気なく手を振った。


「あんたについて占えるのは、ここまでだ。次は亜麻色の髪のお嬢さんだね」


 しょんぼりとうなだれ、彼女らしくもなくのろのろとした動きで、オルフェンはエレインに席を譲った。

 少しためらって、エレインは椅子に座った。


「まさか、再びあんたにまみえようとは。思ってもみなかったよ」


 正面に座ったエレインの顔を真っ直ぐに見据みすえて、老婆はにいっと笑った。


「どれだけ時が過ぎようと、見間違いようもない。ねえ、不死の乙女。クネドの娘」

 

  ――クネドの娘。

 占い師がそう口にしたとき、異変は起こった。


 柳の木の下の占い小屋は、どこも客足が絶えることがない。

 若い娘は集団で、金回りの良さそうな男は取り巻きをつれて、ここはと思う小屋を訪れる。いくつかの小屋をはしごする者もいる。


「嫌な予感がするな」


 あちこちに目を配りながら、フランがぼそっと呟く。

 その足元で、シャトンがひくひくと鼻をうごめかした。


「生臭い匂いがする」

「どんな?」

「泥の底にむ魚の匂い。雨の日のかえるの匂い。じっとりと湿った落ち葉の匂い」

「それはあまりいい予兆では……」


 キアランが言い終わる前に、三人の目に白い光が飛び込んできた。

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