第28話 収穫祭は賑やかに

 赤黒い夕焼けがわずかに西の空に消え残っている。夜の訪れを少しでも遅らせようと足掻あがいているかのようだ。

 城門から離れること約三百メートル。

 砦の城とは打って変わって、町は華やいでいた。

 民家の窓辺にも、辻に立つ木の枝にも。道沿いにはずうっとかぶをくり抜いて作ったランタンが吊るされて、夜を照らしている。


「こんなにたくさんのランタン、初めて見ました」


 エレインがうっとりと溜め息をついた。白い蕪には飾り彫りが施され、その中にオレンジ色の光がゆらゆらと揺れている。幻想的な風景である。


「この灯りを目印に、祖先の霊が帰ってくるんだ」

 フランが言うと、

「寄ってくるのは人の霊だけではありませんけどね」

 キアランが付け加える。


 オルフェンの白いマントとエレインの緑のマント。ポケットには、フランが作った魔除まよけがピンで留めてある。二本のナナカマドの小枝を十字の形に交差させ、赤いリボンで結んだだけのシンプルなものだ。

 シャトンも魔除けを付けたマントを着せられた。


「おそろいなの」


 オルフェンが白いマントを着込んだ猫を抱き上げ、いとおしげに頬ずりをする。シャトンのマントのフードには、ウサギの耳がついていた。


(なんで、猫のアタシがウサギをかぶらなきゃならないんだろう)


 不本意だし、邪魔っけだ。しかし、


「ダヌは白いウサギの姿で人の前に現れる、って言うじゃない。今日のシャトンは大いなる女神さまなのよ。すごく似合っているわ」


 あまりに王女が嬉しそうな顔をするので、その気持ちに水を差すのも無粋ぶすいか、とシャトンはおとなしくウサギ耳のマントをはおることにした。


「いいか、お姫さんたち」


 主にオルフェンに向けて、フランが強い口調で念を押す。


「その魔除けは力のある魔物には効かないからな。怪しいものには絶対近づかないこと。もちろん人間にも悪い奴がいるから、ふらふらとついて行ったりするなよ。それから……」

「わあ、見て! きれーい」


 きょろきょろと辺りを見回していたオルフェンがはしゃいだ声を上げる。つられてエレインもそちらに顔を向けた。


「聞いちゃいねえ」


 フランはがっくりと肩を落とした。

 オルフェンが駆けてゆく。その方向には、ゆうに樹齢五百年は超えるだろう、この町をずっと見守ってきた大きなイチイの木があった。大人二人でも抱えきれないほど太い幹。ぽっかりと空いたうろの中にも、大小さまざまなランタンが鎮座ちんざしている。

 レースで編んだかのような緻密ちみつな細工から、幼い子どもがたどたどしい手で彫ったのであろうものまで。ひとつひとつ模様の違う白いランタンが、内側に作り手の心を抱いて温かな色に染まっている。

 オルフェンの後を追って、エレインもイチイの大木のそばに駆け寄った。

 そっと幹に手を当てると、ごつごつした樹皮の下で命の脈打つ気配が感じられた。

 声なき声が語りかける。


  ――気をおつけ、小さな子。


 はっとエレインは大木を見上げた。古木はささやく。


  ――今日はすべての世界がつながる日。よく目を開いて見ることだ。

   思わぬところに落とし穴があるよ、どこに招かれるか分かったもんじゃない。


 それを聞いたシャトンは、親切なイチイの幹に爪を立てた。


「言いたいことがあるなら、もったいつけずにさっさと言いな。そうしないとここで爪を研ぐよ」


 イチイの木は身をよじった、ように見えた。


  ――おお、なんと凶暴な獣だろう。

   年老いたものへの敬いの心も持ち合わせないと見える。

   せっかく忠告してやったというのに。


「シャトン、どうしたの?」


 オルフェンにイチイの声は聞こえない。ひょい、とシャトンを抱き上げる。


「町の大切な木に傷をつけてはだめよ」


 イチイはもう二度としゃべろうとしなかった。

 シャトンはふん、と鼻を鳴らすと、おとなしくオルフェンの肩に前足をのせ、腕の中に収まった。

 町のあちらこちらから賑やかな音楽が聞こえる。

 大地の底までとどろけとばかりにドラムが打ち鳴らされる。そのリズムに合わせて陽気な旋律が奏でられ、夜空を満たす。

 オーボエ、パンフルート、手回しオルガン、アコーディオン。そしてフィドル。

 楽しげな舞曲を手拍子が盛り上げる。


「行きましょう。露店をひやかして、何か美味しいものを食べて、踊るの!」


 オルフェンは左手にシャトンを抱きかかえ、右手でエレインの手を引いて走り出した。


「おい、待て。勝手にどっかに行くな!」


 フランの制止は間に合わない。


「とろとろしていると置いていくわよ、騎士さまたち―――」


 あっという間に声が遠くなって、黄金と亜麻色の頭は人混みの中に消えた。


「やれやれ、お転婆てんばな王女さまたちだ。元気な女の子は大好きです」

 愉快そうに含み笑いをするキアランには構わず、フランは慌てて後を追った。

 

 季節柄、ワインもコーディアルも温めて。

 ケーキもプディングもほかほかのうちに。

 商売人たちは定められた場所で思い思いに敷物を広げ、自慢の品を並べている。

 一等地を陣取じんどるのは大きな釜だ。大人三人すっぽりと隠れられそうな年季の入った大釜を、体格の良いおかみさんたちが交代でかき回している。おかみさんたちの顔にはひげがあった。

 彼女らはオルフェンの金の髪を見ると、一瞬「おや?」という表情をしたが、すぐに何食わぬ顔で気さくに声をかけた。


「さあさ、そこの別嬪ぺっぴんさんたち。蕪のシチューを召し上がれ」


 エプロン姿のおかみさんが、野太い声ですすめてくれる。彼女らの黒いスカートには色とりどりの糸で花や小鳥が刺繍されていた。

 そっと近づいて覗いてみると、釜の中にはミルクがたっぷり。その中で大量の蕪とベーコンがぐつぐつと煮込まれている。

 なるほど。あの大量のランタンの中身はここにやってきたのか。


「これを食べなきゃ始まらない。お代はタダだ。さあ、どうぞ」


 今宵最初のごちそうが、男のおかみさんたちの手料理になるとは想像もしなかった。

 目の前に差し出された木のわんを、オルフェンはこわごわ受け取った。熱々のシチューを木のさじですくい、ふうふうと息を吹きかけてからそうっと口に運ぶ。


「おいしい!」

「おいしい、ですね」


 蕪の大きさは不揃ふぞろいだったが、しんまでとろとろ。口に入れるとすぐにほどけた。ミルクの優しさが心の奥まで温めてくれる。


「だろう?」


 料理人たちが相好そうごうを崩す。


「わあ、今年のシチューはベーコンがいっぱいだ」


 すぐ近くで甲高い子どもの声がした。どこからともなく、わらわらと子どもたちいてくる。オルフェンとエレインは大鍋と共に取り囲まれてしまった。


「すげえ!」


 小さな子は背伸びして、もっと小さな子は大きな子が抱え上げて。みんながみんな、釜の中を覗き込んで目を丸くする。釜をかき混ぜる大人たちは誇らしげだ。


「そうだろう、そうだろう」

「おっちゃん、これどうしたの?」

「おっちゃん、じゃねえ。今夜の俺は世にも名高い賢女ウィッカ、オールドレーンのコシカさまだ」

「コシカさま、すね毛がもじゃもじゃだよ」

「うるせえ、スカートをめくるな。蕪と一緒に煮込んじまうぞ」


 遠慮のない楽しい掛け合いに、ついついシチューを食べる手がお留守になる。

 オールドレーンの賢女さまが、こっそりとオルフェンとエレインに向けて片目をつぶって見せた。


「お城からの贈り物だよ。心優しい王子さまと王女さまに栄光あれ! ってな」


 二人の少女は顔を見合わせてにっこり笑った。子どもたちと一緒に蕪のシチューをお代わりする。シャトンも王女の肩の上でほどよく塩気の抜けたベーコンの端っこをじっくりと味わった。


(ふむ、悪くないね)

「さあ、今夜はとことんお祭りを堪能たんのうさせていただくわよ!」


 唇の端にミルクの皮をくっつけたオルフェンが、高らかに宣言した。

 

 護衛の男たちの気苦労など意にもかいせず、オルフェンはあちらへこちらへと忙しく動き回る。フランとキアランはまんまとかれてしまい、群衆の中に被保護者を見失った。


「しょうがないわねえ。護衛がそろって迷子になるなんて」

「ふふ……」


 オルフェンの勝手な言い草にエレインが笑う。

 踊りの輪に入って軽やかなステップを披露ひろうしてから、二人は一軒の店の前で足を止めた。きらきらと光るアクセサリーが並んだその露店はかなりの人だかりで、年頃の娘たちが品定めに余念がない。店の番をしているのはまだ若い男だったが、なかなかの如才じょさいなさで、売り上げは上々のようだ。

 ランタンの光の下できらきら輝くブレスレットにイヤリング。飾り石たちはさながら色とりどりのキャンディーだ。目のえたオルフェンにも魅力的に映る。

 〈サウィンの夜〉という特別な時間の魔法のせいかもしれない。


「ねえ、エレイン。あなたはどういうのが好み?」


 オルフェンの青い瞳も、色石に劣らずきらきらしている。しばらくはここに腰を落ち着けるつもりらしかった。

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