第五章

第27話 蕪のランタンは道しるべ

 十月三十一日。

 日没と共に日付が変わる。


 十一月一日、サウィンの夕べ。

 収穫祭の始まりだ。

 太陽が西の国へと去り、夜のとばりが地上を覆うと、この世とあの世をへだてる扉が開く。そして開いた扉の向こうから、亡者もうじゃたちがかつての我が家に帰ってくる。

 

 あの世から帰ってくる親族たちが迷わぬよう、人々は目立つところに手作りの灯りをともす。

 白いかぶをくりぬいて作ったランタンだ。

 大陸の西に浮かぶ小さな島、イニス・ダナエは朝早くからそわそわとした空気に包まれる。

 この日ばかりは、誰も飢えることを許されない。

 秋の実りを全ての人が分かち合わなくてはならない。

 王や領主たち、それなりの財をたくわえた者たちは自らの住まいを開放し、訪れるもの全てにふるまいをする。例え相手がみすぼらしい野良犬であろうとも。

 家々の出窓や玄関に飾られた無数のランタンが夜を照らし、広場や通りには露店が並ぶ。どんな小さな村でもそれは同じだ。音楽が奏でられ、人は集い、踊りの輪ができる。

 賑わいは夜通し途切れることがない。


  ――気をおつけ。

   いつも通る道が、いつもと同じ場所に通じているとは限らないのだから。


 古老ころうの忠告はすぐに忘れ去られてしまう。

 生ある者たちは、思い思いの扮装ふんそうをして、日常を離れたこの時を楽しむ。ふっくらとした酒場の女将は冬の女王だし、靴屋のせがれの頭にはヤギの角が生えている。

 おふざけが過ぎる、と眉をひそめる者もないではないが、それも祭りが始まるまでのことだ。

 灯火と、賑やかな気配に惹かれて集まってくるのは死者の霊ばかりではない。

 お菓子の入った籠を提げて歩いている老婆は、妖精女王かもしれない。自分の隣で踊っている美しい娘は、魔法で姿を変えた小人かもしれない。

 木の下では水辺にむいたずら好きの精霊が黒い馬に化け、気に入った人間を連れてゆこうと待ち構えている。


  ――自分の目が映すものをそっくり信じてはいけない。

   異界の扉が全て開く日。

   いつもは距離をおいて暮らしているものたちが、同じ場所に集うのだから。


 * * *


 サウィンの夜、砦の城はわりと穏やかだった。


(これは、当たりだったかもしれない)

 広間を見渡しながら、アリルは満足そうに頷いた。


 カエル・モリカの城は、何年振りかに門戸もんこを開いた。去年までは訪れる者たちを迎え入れたくとも、この時期に限って、毎年何かしらの差し支えがあってできなかったのだという。


「決して、昔ながらの慣わしを軽んじてのことではありません」


 単に祝祭に限ったことではない。

 この城は町を守るという立場にありながら、城主に恵まれず、久しく重要な責を果たすことができないでいた。それが負い目になり、城の者たちはずっと肩身の狭い思いを味わっていたらしい。


「ですから、アリル殿下にはぜひ、城主としてこちらで客人の饗応きょうおうをお願いいたしたいのです」 


 そのように家令に懇願こんがんされて、オルフェンは兄を連れ出すのを諦めた。

 アリルとしては願ったり叶ったりだ。

 ごった返す町に出て妹たちに振り回されるより、ここで過ごす方が楽に決まっている。


 砦の城にダナンの王子と王女が揃っているとあって、昼を少し過ぎたあたりからぞろぞろと客が押し寄せてきた。

 不足があってはならぬという配慮から、王都からは早々に焼き菓子や大量の食材、上等のワインが何樽も運ばれてきた。

 酒樽とベーコンは町の広場に移され、焼き菓子は可愛らしく包まれて城を訪れる客への土産になった。どちらも王子の名義で下賜かしされたが、誰もがその出所を承知していた。


『王さまも、王子さまに任せっきりにするのは不安なのだろうさ』


 人々はこっそりささやき合った。 

 風は弱く、空にはうっすらと雲がかかっている。小さな星は隠されてしまうだろうが、まずまずの祭り日和だ。

 日没が近づくと、大勢いた客たちも波が引くように城から町へと流れていった。

 後に残ったのは、祭りに出かけて人混みにもまれる体力はないが、家でひとり留守番をするのもつまらないという老人や、たきぎや灯りに使う油代を浮かそうと考えるちゃっかり者たちだった。

 

 広間では楽師がゆったりとした曲を奏でている。

 踊りたいものは踊り、そうでなければごちそうとおしゃべりを楽しむ。暖炉のそばで編み物をする老婆、静かな場所を探して書を読む学者風の男性。それぞれが好きなように楽しんでいる。まったく手がかからない。

 城で働く者たちも交代で町に出ることができる。

 城に長居する客の中に若い女性が一人もいないという事実に、ダナンの王子が抱える深刻な問題が露呈ろていしてしまったが、当の本人はまるで気にしていなかった。お年寄りの話し相手は苦痛ではないし、何よりずっと椅子に座っていられるのがいい。立ち上がるのは新たな客が到着したときと、客が帰るときだけ。

 今ごろ、エレインはオルフェンに振り回されているのだろう。


(気の毒に)


 戸惑いながらも、一生懸命オルフェンの後ろを追いかける彼女の姿が目に浮かぶ。

 アリルも一応は若い男ではあるから、人並みに女性と仲良くなりたいという願望はある。

 エレインは魅力的な女性だ。あの輝く笑顔を思い出すだけで胸がきゅうっと締め付けられる。恋というのはこのような気持ちをいうのだろうか、と考えることもある。

 しかし、それ以上心が傾くことはない。


(彼女は二百年も前のご先祖、なんだから)


 自分には劇的な恋など似合わない、とも思う。

 ともあれ、オルフェン王女出現以来、久しぶりにアリルは自由と安息を手に入れた。

 今はそれを満喫まんきつすることにした。

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