第23話 エリウの問わず語り

 つまらない夜になった。

 イレーネよ、たまには私のごとに付き合ってはくれぬか。

 不死の乙女が冥界に下った経緯いきさつは、前に話したことがあっただろうか。今宵はそれを語るとしよう。


 あれは、あの娘がコーンノート王に嫁いで間もないころだった。クネドに臣従しんじゅうすることをよしとしない王の息子たちが、父に反旗をひるがえした。その第一歩が、老父ろうふの年若き新妻を殺すことだった。

 もちろん、『不死の乙女』の名は知っていたさ。信じていなかったようだがね。

 老王とその老臣たちの目の前で、王妃の胸を剣で貫いた。王にはどうすることもできなかっただろうよ。重いやまいのために、枕から頭も上がらぬ状態だったと聞く。

 そのとき、マクドゥーンはクネドの王宮にいた。異変を察知してその場に駆けつけた。ヤツの魔力なら、王都ファリアスからカエル・モリカまではひと飛びだ。それでも間に合わなかった。

 胸に剣が刺さったままの娘を、ヤツは『湖の島』に運んだ。

 そう、緑玉ジェイドの島。

 あそこは特殊な魔の地。湖の貴婦人、ニムの領域だ。

 常に霧に包まれ、彼女が認めない限り、何者も島にたどり着くことはできぬ。人であろうと、なかろうと。

 、だ。

 認めるのは悔しいが、あそこ以上に安全な場所はないだろう。それに、あの娘に不死の呪いをかけたのは、他ならぬニムの妹だ。そのせきは負ってもらわねばならぬ。

 

 ニムには九人の妹がいる。

 末の妹が、若かりし日のクネドに関心を持った。名はフィニ。

 そのころのクネドは英雄でもなければ、名の知れた戦士でもなかった。

 平凡な一地方領主の、四番目の子だった。すでに長姉ちょうし婿むこをとって領地を継ぐことが決まっており、二人の兄はすでに他の地でおのが主と見込んだ人物に仕えていた。

 一方クネドは、行く末を決めかねて、父の家の近辺をぶらぶらしていた。

 ある日クネドは一人で狩りに出かけ、獲物を追いかけて森の奥に踏み込み、怪我をして動けなくなった。そこに偶然フィニが行き会った。

 初めて見る人間の男に、年端としはもいかぬ妖精は興味を引かれた。それが始まりだ。

 このあたりも、吟遊詩人が好んで語る場面だな。


 フィニは愛しい男のために、世に出る手助けをしてやった。クネドは大小問わず各地で開かれる武芸の大会に出場しては勝利し、着々と名を上げていった。もちろん、妖精の魔法の働きのおかげだ。


 ――卑怯? 

 そのような自覚は、クネドには無かったであろうな。

 主導権を握っていたのはフィニの方だったからな。言われるがままに剣や槍を振るっていただけさ。さして思慮深い男でもなかったよ。


 名声はミースの王の耳にまで届き、クネドは宮廷に招かれた。

 イニス・ダナエで王位継承権を持つのは女だ。

 女王の娘が多くの候補者の中から会議で選ばれた男と結婚し、その男が次代の王となる。大陸育ちの者の目には、奇異きいに映るかもしれんな。

 果たしてクネドはお眼鏡にかなって王女の婿となった。そのようにして、フィニはクネドをミースの王に仕立て上げてやったのだ。

 自分の恋人を他の女に譲ったわけじゃない。人間の女などに眼中になかっただろうさ。

 

 しかし先にも言ったが、いたってクネドは平凡な人間だった。王女と結婚してしまうと、妻を愛し家族を思いやる誠実な夫となった。そうして次第に妖精の娘をうとんじるようになった。

 フィニには恋人の心変わりが理解できない。

 これほど尽くしているのに、どうしてつれない態度をとるのか。なぜ自分から離れていってしまうのか。まだ何か足りないものがあるのだろうか。

 恋に迷うと、妖精も人間も、正常な判断ができなくなってしまうものさ。

 クネドの娘に尽きせぬ癒しの力を与えたのも、純粋にクネドを思ってのことだ。クネドに万が一のことがないように、と。深い考えなどあるものか。単にクネドを癒やすための力だった。


 ああ、浅はかだな。


 エレインが死ぬことができなくなったのは、その贈り物の副作用だ。呪いなどというものではない。

 癒やしの力がダナン統一に大きな役割を果たしたことは事実だが、次の世への道が閉ざされることは人間にとってこれ以上はないほどの悲劇だ

 さしも優柔不断なクネドも、ついに決断を下した。

 宮廷に仕える魔法使いたちによって、フィニは追い払われた。

 そして、姉のニムにも厳しく叱責されて、湖からも追放された。

 フィニはエレインを憎んでいる。あの娘のせいでクネドの愛を失ったと思い込んでいる。あの娘をどうにかすれば、クネドが自分のところに戻ってくるのではないかと、はかない望みを抱いている。

 そう、今も。

 恋しい男は、もうこの世にいないというのに。哀れなことだ。

 エレインを害した愚かな男も、もしかしたらフィニに利用されたのやもしれぬ。

 あの時点で不死の乙女、ミース王の娘を手にかけても何のえきももたらさない。大勢たいせいはとうに決していたのだから。


 話を戻そう。

 フランがエレインを連れて湖の島に渡ったところからだ。

 出迎えた人間たちの中に、戦で婚約者を失った女がいた。その女が、エレインを見るなり金切り声を上げて掴みかかったそうだ。

 

 ――あなたはあの人を見殺しにした! 

 あなたが癒しを与えてくれていれば、今頃私たちは幸せに暮らしていたはずなのに!


 逆恨み、というやつだな。

 同じ戦に加わりながら、同じ隊にいた隣家の老人は助かり、その女の婚約者は死んだ。

 癒しの力は、死者には届かない。

 手を差し伸べる前に息を引き取った者は、助けようがないのだ。


 すまない、イレーネ。

 そなたも戦で婚約者を亡くしていたのだったな。辛いことを思い出させた。しかし賢明なそなたなら、エレインを責めることはすまい。

 若い者、年老いた者。戦場にあって死は対象を選ばない。そこに立つ者すべてに等しく近しい。

 屈強な若者が死に、老兵が生き残るのもまた、なるべくしてそうなるのだ。若い命の方が尊いなどということもない。癒やしの力を持つ者に限らず、負傷した戦士たちの治療に当たる者は、その者の若さゆえに優先する、などという分けへだてはしない。

 戦場を知らぬ者には分かるまい。いや、頭では分かっているのだろうが、理不尽だと感じてしまうのも自然な心の動きなのだろう。


 女の言葉は、弱っていたエレインの心を砕いた。

 エレインの魂はその女にとどめを刺されて、肉の器を離れた。死なぬ体は我らが保護したわけだが、彼女の魂は冥界に向かい、そこでドウンに逢った。

 知っての通り、ドウンとニムは仲が悪い。

 理由? さあ。聞いたかもしれないが……、忘れた。昔の話だ。

 あいつはよく女を敵に回すんだ。

 ともかく、そのせいでドウンの領土は水の恵みに見放されている。ニムは泉や川、すべての水に関わる女神や妖精たちの上に君臨する女王だから。

 もともと不毛な世界だった。『死者の国』は人間の魂が最終的にたどり着くべき『安らぎの園』への通り道でもある。入り日が指し示す方に向かって、魂は飛翔する。軽やかに冥界の空の上を駆け抜ける。

 かの地をさまようのは、行く先を見失った哀れな迷いだまばかり。冥界の王としては、初めて出会う瑞々みずみずしい乙女だ。惹かれない方がおかしい。


 エレインの魂がいた間に、あそこも随分と様変さまがわりしたようだぞ。

 あいつ自身も変わった。

 それまでは、この世に面白いことなど何もないとでもいうかのようにうつろな目をして、他の何ものとも関わりを持とうとしなかったのに。

 それほどに、エレインと過ごした時は、代え難く貴重なものだったのだろう。たとえその時間が、ほんの束の間に過ぎなくとも。

 ドウンが今、地上の世界に現れた理由もそれで察しがつくではないか。

 

 ニムのめいを受け、八番目の妹が不死の呪いを打ち消す贈り物を授けた。

 しかしそれも、魂がすべて肉の器に戻らねばどうしようもない。

 マクドゥーンがしでかした間違いによって、エレインの魂は半分だけ戻ってきた。眠りの中にいる恋人を目覚めさせる、定番の手法だったな。相思相愛の恋人であれば即効性があったろうに。残念なことだ。

 戻り損ねた残りの半分は、過去の記憶と共に冥王の館で眠っている。

 実際のところ、どうやったら魂の半分を地上に連れ戻せるか。

 私にも分からないのだ。

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