第三章

第14話 カエル・モリカ


  ――その時でした。


「女王さま、王さま。どうぞ私からの贈り物ギフトをお受け取りください」

 悲嘆に暮れる人々の前に、若い泉の妖精が進み出たのです。


「なんだと?」


 まだ贈り物をしていない者がいたことに、全員が驚きました。

 なにしろ、まだたった二百年しか生きていない妖精だったので、物じして、こっそりとカーテンの陰に隠れていたのです。だから、彼女がそこにいることにさえ、誰も気づかなかったのでした。

 泉の妖精は言いました。


「沼の魔女の力は強すぎて、すべてを打ち消す力は私にはありません。ですが、王女さまにかけられた呪いを少しだけ変えることはできます」


「それは、本当か?」


 王さまはすがるような目で年若い妖精を見つめました。妖精はこくりと頷き、精一杯の重々しさでこう告げました。


「王女さまはみんなに愛されるすばらしい女性におなりでしょう。それこそ、気難し屋の冥界の王ドウンですら魅了されるような。

 いつの日か、心の底から王女さまを愛する者が現れて、その者が呪いを自らの身に引き受けてくれるでしょう。

 そしてまた、王女さまがその者を心から愛するようになれば、二人は共に次の世への道を見出すことができるでしょう」


 * * *


 ここはイニス・ダナエの北東。

 コーンノートはカエル・モリカの町外れにある『とりでの城』の一室である。

 日が高くなってもベッドに丸まったまま部屋から一歩も出ようとしない王子さまの足元で、シャトンは本を読んでいた。


「うーん……」


 アリルが寝返りを打った。体にかけた毛布をくるくると巻き込んで、壁際の方に転がっていく。

 その動きにつれて、毛布がシャトンと読みかけの本を乗せたままずるずると引きずられていく。


「あんたね、そろそろ起きたらどうなんだい」


 本を前足で押さえながら、サバ猫がたしなめると、


「イヤです」


 間髪かんはつれずに返事が返ってきた。


 本気で眠いわけでもなく、体調が悪いわけでもない。シャトンは呆れたように溜め息をついて、キャラメル色の巨大ミノムシを見下ろした。


「ふて寝してたって、どうにもならないだろうに」


 そうこぼしつつ、柔らかな前足でちょんと頭のあたりをつついたとき、


「王子殿下、客人です」


 ドアの向こうから響きの良い、若い男の声がした。

 アリルは反射的にびくっと身を縮め、恐る恐る毛布から顔だけ出して問いかけた。


「キアラン?」

「はい」

「客、というのは、どういう……?」

「門衛によると、聖騎士を名乗る男と若い娘らしいですが。どうなさいますか?」


(そっちか……)


 ふう…、と安堵あんどの息を吐くと、アリルは毛布からい出し、ベッドから降りた。


「行く。客間に通してくれ」

「はい」


 足音が遠ざかってく。


「こっちの方が早かったか」


 さっきまでのぐうたらぶりが嘘のように、てきぱきと身支度を整える。明るめの紺のチュニックに袖を通し、革のベルトを締める。

 壁に掛けられた剣にちらりと視線を走らせる。儀礼上必要な場合もあるが、あの二人が相手なら帯びなくてもよかろう。

 あとは髪をチュニックと同じ色のリボンで一つにまとめたら完了だ。


「行こうか、シャトン」


 無防備にドアを開き、そこでアリルは石になった。

 目の前に美しい少女が立っていた。大きな青い瞳がまっすぐアリルをにらみつけている。

 激しい怒りに身を包んでいても、それでも彼女は愛らしかった。

 瞳と同じ色のドレスが肌の白さをいっそう引き立て、明るい金の髪にふちどられた頬は上気して薔薇色に染まっている。

 しかし、いかに彼女が魅力的であろうとも、アリルにとっては、今一番会いたくない相手だった。


「や、やあ、オルフェン」


 見事に声がひっくり返った。


「元気だった?」


 笑顔を作るのにも失敗した。ひくひくと口元がひきつっているのが自分でも分かる。


「兄さま、あの男は何者ですか」


 冷たい声で少女は尋ねた。


「あ、あの男って?」

胡散臭うさんくさい薄笑いを顔に貼りつけた、黒っぽい男です」

「胡散臭い……」

「さっきまで、ここにいたでしょう」


 問いながら、じわり、とアリルに詰め寄る。


「ああ、キアランのことか!」


 予期しない質問だった。が、今のアリルにとってはありがたい。


「彼はなかなかの逸材いつざいだよ。剣の腕も立つし、物腰も柔らかで何をやらせてもそつがないし。何といってもあの容姿だろう? 女性には人気があるんだ。」


 自然とアリルの口調は早口になった。

 触れられたくない話題から少しでも遠ざかろうと、必死に話のを探してしゃべり続ける。まるで、しでかしてしまった失敗を隠そうともがく子どもみたいに。


「楽器の演奏もできるし、お茶をれるのも上手だし。きっと君も気に入ると思うな。今は仕えるべきあるじを探して各地を渡り歩いているんだとか。その途中、たまたまこの城に立ち寄ってみたら僕がいたんで、とりあえずここに」

「まさかその逸材とやらは、兄さまのことを『主にふさわしい人物』だ、なんて言いませんでしたよね」

「……はい。言われませんでした」 


(情けない)


 主人に叱られた犬のようにしょんぼりうなだれるアリルを横目で見て、シャトンはふん、と鼻を鳴らした。


「それで、そのキアランとかいう馬の骨は、もともとどこの出身なのですか」

「ええっと、ペン・カウ――」


 そう言いかけて、アリルは自らドラゴンの尾を踏んでしまったことに気づいた。慌てて口を押さえる。が、もう間に合わない。彼女が聞き逃すはずなどなかった。


「なんですって!」


 オルフェンは形の良い眉をつり上げた。


 ペン・カウル。

 それは山の名であり、町の名でもある。

 イニス・ダナエは起伏の少ない島である。大陸のように年中雪をいただく山脈はない。唯一、山岳地帯と呼べる地形が南西のスウィンダンと北のウィングロットの境界となっている。

 そこに居並ぶ山々の中で最も高く美しくそびえる山の名が、ペン・カウル。そして、その足もとにある町も同じ名で呼ばれている。

 谷あいに広がるその町は、スウィンダンとウィングロット双方が領有権を主張しており、争いの種となっていた。


 デニーさんの言葉がアリルの脳裏をよぎる。


『次の王さまになる目がなくなったからさ。東のエリウで騒ぎを起こし、みんながそっちに気を取られている間に北の方から大陸の軍勢を入れて、ウィングロットの領主さまらと組んで国を乗っ取ろうって企らみなんだと』


(しまった……)


 オルフェンはキアランをはなから疑っている。

 彼女はダナンの王女。母と同じく女神ダヌの娘だ。ダナンと、ダナンの中心であるミースの王家を守る義務と責任がある。そしてその気概きがいもある。

 何者であれ、王子をたぶらかす者を許してはおかない。もしも兄をおかしなはかりごとに巻き込み王家に危機をもたらそうとする者がいれば、その前に自分がその企みを人間ごとつぶす覚悟でいるのだ。

 妹の思いが痛いほど分かっているから、頑張って話題を変えようとしたのに。

 よりによってウィングロット。

 また例の噂につながってしまった。さっきまでの努力はなんだったのか。迂闊うかつな自分をののしりたくなった。


(やれやれ。まだしばらく時間がかかりそうだね)


 シャトンは明らかに劣勢に立たされた兄王子の足元を通り過ぎ、王女のくるぶしにするりと体をこすりつけると、ドアの隙間から外に抜け出した。


「あっ、シャトン! どこへ……」


 引き留めようとするアリルをもう一度だけ振り返って、にゃおんと鳴くと、シャトンは客人たちがいるはずの部屋へと向かった。


「兄さま! きちんと説明してください!」

「ええっと、何を?」

「とぼけないで!」


 仲の良い兄妹の言い争い声を背中に聞きながら、シャトンは弾むように石の階段を駆け降りてゆく。


(確かにあの男は、何か普通じゃない匂いがするんだけれどね)


 今のところ、シャトンにとってキアランはさして興味をひかれる対象ではなかった。

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