腹の黒い王子
父はよく言っていた。
「いいかファルク、情報は何よりの宝だ」
剣よりも魔法よりも何よりも役に立つ、というのが父の教えだった。それもそうだ、その情報を武器に父は成り上がった。当時落ちぶれていたディヒター家をここまで持ち直したのは父の手腕と野心だった。
そんな父の教えもあってか、俺は小さい頃からあちこちに連れ回された。父曰く、目と耳を肥やさせるためだとか。周りにある情報がすべて正しいとは限らない。相手を騙すために嘘の情報を流すときもあれば、なんの根拠もない根も葉もない情報だってある。正しいものだけを選び取る嗅覚を身につけろと口を酸っぱくして言われ続けた。
ある意味でのディヒター家の英才教育のおかげで相手の懐に入り込む術を子どもの頃から身につけて、これなら情報収集でそう苦労することはなさそうだと思っていた。
けど世の中には、上には上がいるってことをこのときまだ知らなかった。
社交パーティーがあるからついてこいと一方的に言われて、言われるがまま親父の後ろをついていった。別に今までそういうところに一度も行ったことがない、なんてことはない。パーティーは情報収集にはうってつけで親父はよく俺を連れて行ってくれていたからだ。
ただ今回は王族も姿を現す、ということでいつもと少し雰囲気が違うらしい。厳重な警備がされていて、情報収集のために少し強硬手段に出てしまえば王族に目をつけられてしまう。だから粗相のないよう、こっそりしっかり自分でできる範囲で情報収集に行ってこい。
だなんて、パーティー会場で子ども一人にして言うなんてちょっとスパルタしすぎやしないか? とか思ったり思わなかったり。なんてったってこのとき俺はまだ十二歳だった。十二の子どもを欲望渦巻く場所に放置するな。
とはいえ、言われたとおりに一応自分ができる範囲で情報収集をする。貴婦人には子どもの雰囲気を持ちつつ少しませた様子を見せてやれば、それがウケて色々と喋ってくれた。貴婦人たちは噂話が大好きだし、何より気に入らない相手を蹴落とすために時には嘘を口にすることもある。
おっかねぇなぁ、と思いつつ「美味しいわよ」と渡してくれたデザートを食いながら黙って耳を傾ける。このデザートに何か薬が入っていたとしても問題ない、親父はそっちの教育もしっかりと施している。
「ファルク」
貴婦人たちの話が一段落ついたときに丁度親父が俺を呼びに来た。親父は一応貴族だけど風貌があんまり貴族らしくない。どっちかというと男臭くてガタイもいい方だった。けど、これがまた貴婦人にはウケがいい。扇で隠している口元はにんまりと弧を描いているのを、まだ身長が低い子どもの俺からは下から見えていた。
貴婦人たちにはデザートのお礼を言って軽く頭を下げる。子どものわりにはませた所作をしてみせれば「背伸びして可愛らしい」とクスクスとした声が聞こえたが、それに気にすることなく親父の背中に続いた。
「今から第二王子の方に挨拶に行く」
「第二王子のほうですか?」
「ああ、お前と歳が同じだ」
人混みの中ちらりと見えたのは、背の高い第一王子のほうだった。色んな貴族に囲まれて愛想笑いが引き攣ってる。如何にも「困ってます」っていう様子だ。
第一王子はなんていうか、人がよすぎる。彼が口にする言葉は確かに庶民にとっては魅力的だったが現実離れしていた。それを実現するにはどういう政策をするのか、と聞かれると口籠ってしまうらしい。言うのは簡単だがやるのは難しいってやつ。
んで、今から挨拶に行こうとしているのはその弟の第二王子だ。俺はまだ会ったことがない。周囲の話じゃ「愛嬌のある弟君」とかなんとか。弟だから結構愛されて育ったのかもしれない。第一王子とも歳が六つぐらい離れているようだし。
「レオンハルト王子」
「ああ、ディヒター公」
「息子のファルクです」
親父に背中を押されて前に出る。目の前にいたのは確かに第一王子とよく似ているが、儚いイメージはまったくなく話に聞いていたとおりどちらかというと愛嬌のある顔だ。
って、誰だ「愛嬌がある」とかなんとか言ってたやつ。
「初めましてファルク。僕はレオンハルトだ」
なーにが愛嬌があるだ確かに笑顔は可愛らしいがそれは敢えて作ってあるし何より目が笑ってねぇじゃねぇか目の奥だってギラギラしてるし明らかに俺を品定めしているこいつ将来役に立つかどうかすでに考えてるじゃねぇか。
なんだこの恐ろしい奴。っていうのが正直第一印象だった。
だが俺だって一応貴族の息子だ。感情を表に出すことなく俺も笑顔を作って差し出された手を握り返す。するとだ、王子が明らかに「おっ」という表情を表に出した。
「息子もカナット学園に入学させるつもりです」
カナット学園は十五歳から入学できる。俺もあと三年すれば強制的にそこに入学させられる。庶民から貴族、王族もいるもんだからこれとない情報の宝庫だろうと親父は喜々としていた。
「そうなんだ。そしたら僕たちは同じ学園の生徒になるね」
握手していた手を王子は更にぎゅっと握ってきた。しかも手が痛くならないよう絶妙な力加減で。
王子の手は王族だっていうのに手のひらにはすでに剣ダコができて若干節くれ立っていた。
「君とはいい関係が築けそうだよ、ファルク」
そう言ったときの王子の顔は屈託のない笑顔で、これなら確かに「愛嬌のある弟君」だなとは思った。
パーティーで親父は結構有益な情報を掴むことができたらしく、帰りの馬車の中ではホクホク顔だった。マジで機嫌がよすぎる、って若干引きつつ黙って窓の外を見ていると名前を呼ばれて視線だけを隣に向ける。
「レオンハルト王子をどう見る」
さっきまでのホクホク顔はどっかに行ったみたいで、真剣な顔が俺に向いていた。
「……恐ろしい王子だと思いましたよ。第一王子と違ってよくわかっている」
「合格だ」
俺の試験も兼ねてたのかよ、と腕を組んで少しブスッくれながら馬車で揺られていたのを今でも覚えている。
カナット学園に入学してからというものの、まぁ色々とあった。学園でのレオンハルト王子はえらい気さくだし、学年が一つ上がればいつの間にか生徒会員の一人になっていたり。他の三人がどうかは知らないけど俺に限っては明らかに王子が裏から手を回していたに違いない。
そう思ってしまうほど、カナット学園に入学してから王子はかなりの頻度で俺に話しかけていた――主に、今の情勢とか周辺の動きとかを聞きに。俺が誤った情報じゃなくてきちんと調べた情報を教えれば満面の笑みを向けられるのもままあった。
「僕は確かに王子だけど、この学園の中ではみんな同等の立場だ。言葉遣いなど気にしなくて気軽に話しかけてほしい」
とかにこやかに言っているこの王子、カナット学園に入学する前にちゃっかり第一王位継承者になっていた。どうもあの優しすぎ第一王子と結託したようで、その第一王子は今は他国で平和にのんびり過ごしている。
まぁ、適材適所とかいうやつか。でも疑問に思うこともある。この生徒会員の人選だ。
「なぁ、レオンハルト」
入学して早々にこの王子に捕まって「学園では僕のことレオンハルトって呼んでよ君と一緒に学園生活を過ごすのをすごく楽しみにしていたんだ君の父上も立派な方だし君の情報収集能力も僕は高く買っているんだこれから僕の助けになってくれると嬉しいんだけど駄目かい?」と怒涛の如く言われた俺の気持ちにもなってほしい。
まぁ王子がそう言うんだったらって俺は学園の中じゃ「レオンハルト」って呼んでいるし、その都度情報も渡している。「女性が喜ぶプレゼント教えて?」とか聞かれたときはああ王子も普通の一人の男なんだなとか思ったりして。
って今そんなこと回想している場合じゃなくて。
「レオンハルトが選んだわけじゃないんだろ?」
「まぁね。学園側の推薦。でも悪い話じゃないと思うよ。それぞれしっかりとした能力があることだし」
「まぁ、そうだけど」
生徒会員に選ばれたニュート、コリン、ハイロ。確かにそれぞれ得意分野に特化していて能力は問題はない。が、問題がないのは能力だけ。ハイロはまだマシだがニュートとコリンはちょっと人間性に問題がある。
騎士って言えばなんでもいいのかって思ってしまうほど頭カッチカチのニュート、長男だから優遇されて当然だと思っているコリン。
「なんも起きなきゃいいけどな」
「確かにね。っというかそういうのは親が躾るものじゃないのかい? 僕を親代わりにされてもねぇってところだけど。まぁ、問題起こされても僕は痛くも痒くもないよ」
にっこりと笑う笑顔に俺は思わず顔を引き攣らせる。こういうときは大概腹黒いことを考えている顔だ。
「彼らの姉も弟も、立派な人たちじゃないか」
「……怖っ! 俺今鳥肌立った」
「えぇ? 失礼だなぁ。でもほら――恩は売っておいても損はないだろう?」
こうして喋るようになって、レオンハルトはその被っていた猫を少しずつ脱ぐようになっていた。当人曰く、「君は隠さなくてもわかっていただろ」とのこと。いや確かに、初めて会ったときにもうわかっていましたけど。
彼らの姉弟には優秀な人材がいる。レオンハルト的にはどちらかというとそっちのほうを欲しがっているんだろう。もし三人が成長すればそれでよし、そうでなければ優秀な人材を最も適した立場に置く。どちらにしろレオンハルトには痛手はない。
こういうところが恐ろしい。確かに俺は色んな情報を持ってはいるが、それは積極的に収集しているからだ。レオンハルトは一体どこからその情報を仕入れているのやら。
結局その三人は学園から追放された。ハイロはまだ自分がしでかしてしまったことを自覚し反省もしているようだから、レオンハルトもそこそこ慈悲をかけたようだ。ただし、レオンハルトが今最も手元に置いておきたいのは魔力を使わずとも使える道具を開発している従兄弟のほうだが。
反省の色まったくなしのニュートとコリンにはそれぞれ罰せられている。当人が最も嫌がる方法で。結局コリンは贅沢をできなくなったしニュートは剣を握れなくなった。しかもだ、二人には監視が付きそれぞれ魔道具が着けられた。コリンはああ見えて逃げ足が速いから足に、そしてニュートには腕に。
その魔法具っていうのがそれぞれ逃げ出したり身体を鍛えようとすれば着けた当人に激痛を与えるものだった。それこそ、いっそのこと手足を削ぎ落としてほしいと思ってしまうほどのものを。魔道具が発動すれば逐一報告され、そうやってじわりじわりと肉体的にも精神的にも追い詰めていく。
そしてその魔道具を作ったのがハイロだっていうんだから、レオンハルトの見事なまでの腹の黒さが際立った。だがあんな笑顔を貼り付けてながらそこまでするほど頭に来たんだろう。
「本当に恐ろしい男だな」
当人にそうはっきりと口にした。言われたほうは怒り狂うわけでもなく冷ややかな視線を向けてくるわけでもなく、目を丸めて首を傾げた。
「でも君はそんな僕と友達でいてくれるんだろう?」
その言葉はあまりにも純粋だった。疑問を抱くことなく、相手を疑うことのない言葉に少し俯向けた顔の口角が少し上がる。
恐ろしい男だが、それでも俺は嫌だとは思わないしどちらかというと好ましい。結局俺も同じ穴の狢だということだ。
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