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「神様っているのかな?」


 そう言った少女の横顔を、思わずまじまじと見てしまう。

 セクターに設けられた比較的新しい商業区。きれいに舗装された幅広の歩道は、何人もの歩行者があふれている。歩いている大半は年若いカップルで、横並びに建てられたショップへと寄っていき、買い物袋を下げて街路へと戻ってくる。


 一二月に入ったばかりだが、すでに空気は冬を感じさせる冷たさを持っていた。街路樹の葉も半分以上は落ちきっており、あと二週間もすればすべての葉がなくなるだろう。

 古めかしいジングルベルの曲が街中から流れている。そして行き交う人々の楽しげな会話と雑踏。時折ロボタクシー――人や物を運ぶ四輪の自動運転車両――が車道を走る音。その隙間にひろきにだけに聞こえるよう、彼女の言葉が潜り込んだ。


「どうしたんだよ、いったい」

 ぎょっとしたような顔をしたのも一瞬で、ひろきはすぐに茶化すように言った。

「うーん、どうしたんだろうねー」


 ぼんやりと、いつものように答える自分の幼馴染――いや、恋人。

 どこか犬を思わせる目と、ちょっと小さな鼻。同年代の女の子よりも若干小柄な身長と長くて柔らかいこげ茶色の髪。真っ白なコートを羽織り、白い帽子をちょこんと載せている様が、なんとも愛らしい少女。


 付き合い始めたのはほんの一ヶ月前。きっかけは向こうからの告白だった。

「クリスマスが近いから、そう思っちゃうだけかなー、やっぱり」

「…………」

 彼女の普段どおりの言葉を、普段どおりの言葉ではないと感じ取るようになったのは、いつからだろうか?


 はっきりと言えないけれども、確実に存在する小さな溝が、ひろきとまいの間に横たわっている。

「あのさ……まい――」

 言うべきか、言わざるべきか……。

 ひろきの不安とは真逆に、路行く人々の楽しそうな声と、明るい音楽が漂う中で――

「おまえ……大丈夫か?」一言を絞り出す。

「……ずいぶんと漠然としてるね?」


「いや、だって……なんていうか」

「わかるの?」

 ああやっぱりか、とどこか腑に落ちた。

「そりゃ、完璧ってわけじゃないけど……さ。おれは、おまえと結構一緒にいたんだぜ?」

「あーうん、そうだよねー」

 困ったなー……。そう小さな呟きが漏れる。

「俺に言えないことか」「うん」


 即答。

「言えないよ、これは」

 泣きそうな表情で、首を横にふる恋人。

 なんでそんな顔をするんだよ……。すぐ目の前にいるのに、何もしてやれないって、そんなのありかよ。


 ……そもそも、なんでこの世界で、そんな思いつめるようなことがあるんだよ。

『宇宙人』がやってきたあと、この世界は確実によくなった。

 貧困からの解放、不治の病の克服――。挙げればキリがないが、この世界に奇跡を待たなければいけない悲壮なことなんて――。

 そこまできて、一つ思い当たることがあった。

 ……ちょうど、二週間前って言えば――


「まさか……まい」

 言いながらも、自分でも血の気が引いてくる。

「身籠った……とか、は――ああ、ない。ないんだな、それは」

 まいがものすごい醒めた目で見つめてきたので、ひろきも言葉を引っ込めるしかなかった。

「ふふっ」

 それは、自然に溢れたように見える、久々の笑み。


「ほんと、仕方ないよね……。ひろきは」

「なんだよ、仕方ないって」

「そのまんまの意味。だから、なんだよねー」

「だからって、なにがだよ」

「わたしが困ってるのは、そういうとこ――」


 と、そこで言葉が途切れ、その場で彼女は崩れ折れた。

「まいっ!?」

 突然の異変に、ひろきも膝を折って彼女の顔を覗き込む。

「おい、大丈夫か」

「ぁめ……ぃ……ぇ」

 途切れ途切れの言葉は、ひろきの危機感をさらに煽った。


 ……何かの病気か? いや、でもそんなことありえるのかっ!?

 思考が空転する中で、二人の様子に気づいたのか、周囲にはいつの間にか人だかりができていた。

「その子は大丈夫か?」

「見てのとおり大丈夫じゃない! 誰か、搬送用のロボタクシーを呼んでくれないかっ!?」

「もう呼び出してる、あと一分ほどで――」


「お願い!! みんな逃げてっ!!」


 その時、ひろきと通行人のやり取りを遮るような大声を、他ならぬまいがあげた。

「おまえ、どういう意味だ」

「だめ! 説明してる時間なんてないの! だから」

「だからなんだって――」


 ……言うんだよ……。

 その言葉は、口の中で消える。

 なぜなら、まいの背中から、仄かに紫色がかかった青い翅が生えたからだ。


 バタリ。

 ロボタクシーを呼んだ、と言ってくれた通行人の男性が倒れた。……頭から。手で受け身もとらずに。まるで、電源が切れた二足歩行のロボットのように。

 誰かが叫んだ、と思ったらその叫び声が消えて、ドンという、硬い地に固いものがぶつかる音がまたする。

 悲鳴、悲鳴、鈍い音。

 悲鳴、鈍い音、鈍い音。

 鈍い音、鈍い音……。

 人々の悲鳴が遠ざかり、代わりに大勢の人間が倒れ伏す音が連鎖する。

 その状況が、何を意味するのか。


『宇宙人』が解決した数多の『きょうい』。

 同時に、『宇宙人』は唯一人間に『きょうい』を残した。


 ひろきの頭の中で、初等教育の知識と、目の前の現象が今、一致する。

 うずくまったままのまいの翅が肥大化していく。

 周囲には、彼女にひれ伏すように倒れ動かなくなった人々。


「ま、い……」

"「俺に言えないことか」「うん」「…………」"


 言えないわけだ。

「どうして……だよ……」

 ……ふざけんな、くそ、なんだっていうんだっ!?

「まい……おまえ……、≪魔王の蛹≫だったのかよ!?」


 混乱した頭は、そう訊くのが精一杯だった。


 ……どうして、黙ってた!? もしそうだと知っていたなら迷うことなく、施設に入れたのに!!


「私だって、本当は」

 ……本当は、なんだよ――


 次の言葉は、けれども告げることはできなかった。

 身体の最奥……心臓、その中にある何かを冷たい手で直に触られるような感覚がひろきを襲う。


 やばい、と考える暇もなく、急速に全身の力が抜けて、否。奪われていく。

 その奪われた『力』の向かう先は……ひろきの目の前。

 でも、とか。なんだとか考えられる時間はひろきに与えられることはなかった。


「……ごめんね……」

 最後に聞こえたのは、そんな謝罪の言葉。

 彼女の青い翅が、一回り大きくなった。


 ――もう彼女は、≪魔王≫と呼ばれる存在だった。


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 近くでロボタクシーが止まる。


「ちょっと……遅いかなー」


 周囲には、骸の山、山、山……。

 道行く人々の声も息遣いもすべて消えた街の中、場違いのクリスマスソングだけが虚しく流れる。

まいが自身を≪魔王の蛹≫――≪魔王≫になる前の状態――であると疑ったのは、一ヶ月以上前のこと。だが施設で検査を受けた限り、その可能性はないと判定された。だから、少しは希望を持っていた。

 だが、その淡い期待はあっさりと、最悪な形で裏切られる。


 ……ああ、やっぱり神様なんていないんだなー……。

 そんな感慨だけが去来して。


 ……もっと、必要……。


 自分の頭の中で、自分の声で、自分のモノとは思えない言葉が紡がれ、はっとする。


 ……まだ、足りない……人の持つ魔法の源――『マナ』を吸え。


 まいとは異なるナニモノかの意志が、渇望の叫びを上げる。

 ふと横を見ると、ちょうどショーウィンドウの姿見が自分を映していた。


「い……や」

 背中に生えた一対の、蝶のような紫色がかかった青い翅。その姿はどう見ても人間のものじゃない。


≪魔王≫


 それが、今の自分。

 悔恨と懺悔――

 自らを呪う言葉を思い浮かべたところで――


 ……もっと、必要。

 姿見の中の自分が、口端を釣り上がるのが見えて、心が砕かれそうになる。

 ……私が私でいられなくなるっ!?

 ……このままだと、私は――


 そのとき――

 クリスマスソングの隙間に靴音が割り込んでくるのを耳が拾う。


 思わず、音がした方へと目を向ける。

 そこにいたのは、車道を挟んだ反対側の歩道に立つ一人の青年だった。


 身長は高いが、どこか幼い感じにも見えるほっそりとした顔。肩ほどまである白い長髪を先の方で結んでおり、全身を覆うような黒いロングコートと、手にしている長剣……何より、やや釣り眼勝ちの瞳から放たれる鋭い眼光から剣呑な雰囲気が漂う。

 どうして自分の前に立っていられるのだろう? という疑問に、思い至ることがあった。


 まいのように唐突に現れる≪魔王≫。

 同時に、この世界には≪魔王≫と対となる存在がいる。


 ≪勇者≫

 それが、彼の正体。

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