王子に転生したらメイド達に命を狙われています

月猫ひろ

1「転生したら王子だった件」

 俺は死んだらしい。目が覚めると共に自覚した。

 ふわふわと曖昧な意識は夢に捕まれ、どんな人生だったかは思い出せない。


 無理をすれば前世を掬い取れる可能性はある。

 でも昨日をまさぐろうとすると、薄気味悪い不安感が押し寄せた。

 

 それはまるで命綱なしで、深い崖の下をのぞき込むような感覚。

 

 風が吹いて背中を押されたら?足元がふらついてバランスを崩したら?

 はたまた飛び降りたらどうなるんだろうと、抑えきれない好奇心が沸き起こってしまったら?


 墜ちて壊れて潰れて拉げて、取り返しのつかない奈落まで落ち行ってしまいそう。

 そんなどうでもいいことを考えて億劫になる。


 くだらない。きっと記憶に残らない生だったのだろう。

 頬に手を当てると、うっすらと涙の筋が出来ていた。


「ここは……?」


 死んだのなら、冥途に送られたのだろうか?

 自分の歩んだ道であれば、きっと地獄なのだと記憶にない罪が囁く。


 しかし自分が寝ているのは、清潔なシーツのふかふかベッドだ。体を起こして見回してみるが、やはりあの世に似つかわしくない。


 海外の古いお城みたいな、広くて豪華な部屋。窓からはカーテン越しに、優雅な日差しが差し込んでいる。


 こんな好待遇の地獄があるのかと、ビビりながらベッドから降りる。血が足りていないのか足がふらつき、近くにあったテーブルに手を付いてしまった。


 磨き上げられた大理石の天板が、僅かな痛みと共に掌を冷やす。

 生前と同じ感触に戸惑いつつ、ゆっくりと顔を上げた。


 くじ引きで当たった高級旅行に招かれた時のように、居心地の悪さを感じながら、辺りを見回す。

 そう見回す。このように表現しても齟齬がないくらい、この部屋は巨大だった。


「…………? ………っ!?」


 視界の中の鏡に気が付き、脳内から言語が消失した。野生の猫じゃないのだから、別に初めて鏡を見た訳じゃない。


 鏡に映っていたのが自分じゃない、イケメン青年だったのだ。


「あ?え?」


 俺じゃない顔に俺のじゃない部屋。

 ――ああ、気味が悪い。


 こんな奇妙なことが、起きて良いのだろうか?いや俺は死んだのなら、俺が俺じゃないのは、変じゃないのか?


「いや、おかしいでしょ?」


 どこがおかしいのか自分に言い訳しようとしたが、全くうまく纏まらない。機能が決定的に欠損しているか、脳が理解を拒んだのだろう。


「なんだこれ?死んだのに生きてて、見知らぬ世界にいるって、流行りの異世界転生ってヤツ?」


 混乱したまま後退り、ベッドの淵に腰を下ろした。腹の底で内臓が凍っていく錯覚。

 認めることのできない不快感に襲われるが、だからと言ってどこに逃げればいいのか分からない。


「―――」


 意味もなく鏡を眺めていると、扉がノックされる。木製の扉越しに、女の人の綺麗な声が聞こえてきた。


 知っている言葉だった気がするが、上手く認識できなかった。

 何も答えられないでいると、ゆっくりとドアノブが回っていく。


「あら、起きていたのですか?」


 部屋の住人が寝ていると思っていたのか、入ってきた綺麗な女性は驚いた様子。

 静かに扉を閉めると、佇まいを整え、丁寧なお辞儀をした。


 踊っているみたいに美しい所作で、思わず見惚れてしまう。


「おはようございます、ライガー様。お体の調子はいかがですか?」


 長い金髪に整った顔。存在その物が芸術と言える美しい女性だ。

 黒と白でロングスカートのメイド服に身を包んだ彼女。俺を見るなり、そんな風に断罪した。


(超絶美人メイドさんだ!!)


 なんて呑気だったのだろうとは思うが。

 俺は自分自身が『ライガー様』じゃない事を失念してしまっていた。

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