10

 轟音を立ててドクターヘリが舞い上がった。突風にあおられた機体がぐらぐら揺れる。

 後部に乗った仁科は、操縦士の後頭部に銃口を向けている。

 機内も爆音に包まれていた。全員、ヘッドフォンを付けて鼓膜を守っている。

 ドラムバッグを抱えた夏山がニヤニヤ笑い、独り言のように言った。

「ま、これだけでもお宝があればしのげるよな」そして、バッグのジッパーを開けようとする。「なんだ……このバッグ、開かないぞ」

 仁科の肩を叩き、ヘッドフォンを引っ張って耳元に叫ぶ。

「バッグが開かない!」 

 仁科がそれを見て、銃を腰に差してバッグを奪う。

「そんなはずはない!」しかし、ジッパーは動かない。顔を近づけてジッパーを調べる。「さっきはこんなことはなかった! ……何かで挟んだ傷がついている……くそ、何かで潰してある……あのペンチだ! 高木の仕業だ!」

 ヘッドフォンを外して仁科に耳を近づけていた夏山が、ナイフを抜いて叫ぶ。

「俺によこせ!」バックを奪い取ると、ジッパーの横にナイフを突き刺す。そのままバックを切り裂き、開く。

 中には、各種のパッケージがきっちり詰め込まれていた。

 仁科が中腰になってバッグに手を入れる。

「くそ! こりゃパッケージだけだ! 底には段ボールが突っ込んである!」

「何だと⁉ 高木に盗まれたのか⁉ あいつ、死んだんじゃねえのかよ⁉」

 仁科が床に座り込む。

「やられた……」

 夏山が金切り声を上げる。

「あ? なんて言った? どうするんだ⁉ 戻るのか⁉」

 仁科は投げやりに笑った。

「遅いって。サオリはそんなに馬鹿じゃねえ……」

 ヘリの爆音で、仁科の声はかき消される。

 後ろで状況を見ていた多恵が、突然、身を乗り出して仁科に顔を寄せ、叫ぶ。

「騙されたのよ! この爆弾、爆発するわよ!」

 放心状態の仁科が、ヘッドフォンをずらしてつぶやく。

「ああ⁉ なに⁉」

 多恵が叫ぶ。

「爆弾、本物だってば!」

「いいや、偽物だ……」

「これ、爆発するって!」

 だが、仁科の表情が不意に凍り付く。

 準備した時は確かに偽物だった。自分ではっきり確認した。だが、その後、高木やサオリが細工するチャンスはあった。事実、病院から奪った麻薬は横取りされている。

 犯人が全員死ねば、一味だとは知られていないサオリには好都合なのだ――。

 仁科は、弾かれたように多恵に飛びついた。発火装置に貼り付けられた小さな紙に記された数字を見る。

『2』。本物だ。

 慌ててダイナマイトを縛った縄を外そうとする。その意図に気づいた夏山が、ナイフで縄を切った。

「サオリの仕業か⁉」

「やられた!」

 仁科は操縦士に銃を突きつけた。力の限り、叫ぶ。

「窓を開けろ! こいつを捨てるんだ!」

 夏山から受け取ったダイナマイトを操縦席に差し出した。


          *

 

 爆発音だ!

 間違いない。ぽん、という小さな音だったが、間違いなく何かが爆発した音だ。

 テレビから聞こえたのか⁉ ヘリが爆発――⁉

 耳を澄ます。テレビ中継の声がかすかに聞こえた。

『――は、依然北に向かって飛行を続けています。方向から見ると、目的地は新千歳空港でしょうか――』

 アナウンサーの声は、落ち着いている。ヘリはまだ正常に飛んでいるようだ。

 では、今の爆発音はどこから? 廊下の先か?

 這い進みながら、首を持ち上げて前方を見上げる。人質が監禁された部屋の外で、小さな炎が上がっていた。

 火事⁉ 

 いや、偶然の自然発火などあり得ない。犯人たちの細工だ。爆発音の正体だ。

 これが人質を殺す手段なんだ!

 そう気づいた瞬間、炎がどっと広がった。手指消毒器のアルコールタンクに火が移った! 

 火事で人質を⁉

 ドアを開けて助けないと……いや、違う! 開けてはだめだ!

 酸素と可燃物だ! 中にはきっと酸素が充満している。この炎が部屋に入り込めば、充満した酸素が内部の可燃物を急激に燃焼させ、大爆発を起こす。

 人質たちがVIPルームを爆破した手段は多恵から聞かされていた。それと同じ方法だ。奴らは、急ごしらえの〝時限爆弾〟を仕掛けてから立ち去ったのだ!

 なぜ⁉ なぜこんな面倒な手間をかける⁉

 事故に見せかけるためだ! 

 犯人の正体を知った人質は殺したい。だが捕まった時の保険として、殺人犯の汚名は避けたい。

 だから、〝事故〟が必要なんだ!

 消すんだ! 火を消さなければ、人質が死ぬ! 時間がない! だがどうやって⁉ 立つことすらできないのに⁉

 それでも身体を進めるために、目の前にある障害物をつかんだ。逆に、それが手元に引き寄せられてくる。赤いタンク……消火器だ! 

 タンクに身体を覆いかぶせるようにして、上部のグリップをあごに挟む。ホースを手で探って、先端を炎に向ける。タンクを脚で固定して、精一杯力を込めてあごでグリップを押した……。

 一瞬、噴出音がして白い粉末が吹き出した。だが、それは炎に届く前に力なく消えてしまった……。タンクが空なのか……。

 辺りを見回す。廊下には、何のものか分からない残骸に混じって他にもいくつか消火器が転がっている。あれも空かもしれない。

 だが、やらなければならない。できることは、それだけだ。

 私は、次の消火器に向かって這い進んだ。

 火を消せなければ、人質は死ぬ。

 私は、死ぬ。

 多恵は、死ぬ。

 あと少し――少しでいいから、時間をくれ!

 力をくれ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る