第60話 過ぎ行く時間1/3
重い気分で日の曜日にジェラルドとのことをヨハンにお願いしたけれど、なぜかあっけなく「分かったよ」と了承された。
委員会も始まったことだし、仲間意識くらいは持ったのかもしれない。「力になってやりたいんだろう?」と、優しく頬をなでられ抱きしめられた。
……なぜか、大仏様のような顔をしていたけれど。思わず、あなたは悟りを開いたのかと聞きたくなってしまったわ。
一応いくつか話を聞いて言いたいことを言ったら、早めに切り上げるようにはしている。私の言葉が役に立つのかは分からないけれど、国に戻っても今みたいに生き生きと毎日を過ごしてほしい。
ヨハンも私がジェラルドと会うことをよくは思っていないだろうけど……お互いに結婚して公的に会った時に、お相手の子と上手くいっていない様子は見たくない。
だから……、いいよと言ってくれたことに甘えてしまっている。
そうやって、また日々が過ぎていった。
あれ以来、図書館奥の書庫が開いていたことはない。おそらく、職員の閉め忘れだったのだろう。
* * *
月の曜日の昼食前、授業で使う教科書をとんとんと揃え鞄の中へと片付ける。
この曜日のこの時間だけは、誰とも一緒ではない。ヨハンは男性なら必須科目とされている武術の中で剣術を選び、リックたちと基本の型であったり既に知っていることを繰り返しているはずだ。
怪我をしないように配慮はされていると聞いている。
騎士相手に手合わせで負けたらどうするのかと聞いたら、「騎士なら問題ない。それならそれで綺麗に負けて褒めておいた方が、やる気を出して今後職務にあたってくれるよ」と言っていた。
確かに、守る相手の方が強かったら形無しだ。
「あの、ライラ様。今……少しだけよろしいですか」
話しかけられる時は、この時間ならあるかなと思っていた。次の授業のない昼食前だからだ。
普段はすぐに立ち去れる後ろの席に座っていたけれど、今日はたまたま空いていなかった。
「ええ、よろしくてよ」
ふわりと微笑む。
この子は……知らない子のはずだけれど、なぜか見覚えがあるわ。
「私は、サラ・エルソムと申します。以前、食堂でその……目の前に座ったことがありまして……」
あ、思い出した!
私が食堂で恋について語っていた時に、目の前に座っていた子ね!
「ええ、覚えていますわ。私の言葉に耳を傾けてくださっていたわね」
「まぁ、私のことまで気にかけてくださっていたんですね。とても嬉しいです」
サラ・エルソム。
デニス・エルソム子爵の娘さんだったかしら。
私やヨハンの誕生日パーティーのお陰で、親の方の顔見知りは多い。確かオルトラップ伯爵と婚約をしたと聞いたような……。
「私こそ嬉しいですわ。私の言葉を笑わずに真剣に聞いてくださっていたこと、とても伝わってきましたもの」
お願いだから忘れてください……とは言えない。
「私、あの言葉を何度も思い出して、ライラ様に聞いてみたいと思っていたことがありますの」
何度もー!?
黒歴史だから……やめて……。
「ええ。なんでも聞いてくださって、よろしくてよ」
「私、十歳年上の方と婚約を結んでいるのですが、それでもライラ様のおっしゃったような恋はできると思いますか……?」
ああ……恋について語ったから、恋の相談ということね……。
しかもまた、なんて答えにくい……。
オルトラップ伯爵……確か一度、ご病気で若くして妻を亡くされている。後妻に入るのね……親のつながりでしょうけど、これは難しい。
でも、ろくでもない相手ではなかったはずだ。それは救いね。
「もちろんですわ。年上の方には視野の広さであったり知識の深さであったり、若い方にはすぐに身につけることが難しい様々な魅力がありますもの。でも……そうね、だからこそ頼られることに疲れてしまう時もあるかもしれませんわ。年齢は関係なく、恋人でも夫婦でも支え合ってこそ。きっと、相手の力になりたいという思いを持ってお互いに接しているうちに、恋も愛も育まれていくと思いますわ」
……私、ヨハンを支えたことあったかな……。
だんだんと不安になってきた。
前にも思った。してもらうばかりで依存してしまいそうだと。
「ライラ様、私……とても感銘を受けました。そうですわね、確かにそうです。自分の期待や願いを押し付けるだけではいけないということに、気付かされましたわ」
「少しでもお力になれたのなら、嬉しいですわ」
……なんだか人だかりがややでき始めて、女生徒が色めき立っているんだけど。さくっと立ち去りたいんだけど、どうしよう。
ヨハンが食堂前で待っているはずだ。
「ライラ様」
よく知った声が後ろからかかる。
ジェラルド……。
名前を口に出すのを、ぐっと止める。
隣国の第一王子の名前を知っている人がこの中にいるかもしれない。ジェラルドもまた、知られたくないかもしれない。
「奇遇ですわね、なにかしら」
ヨハンがいないこの場所で親しそうにするわけにはいかない。ジェラルドもそれを分かっている。
リックだったのなら大丈夫かもしれない。尊敬の念を全開で出してくれる。
……ジェラルドは、見た目が王子様すぎる。
「ヨハネス様がお待ちしていましたよ」
「あら、そうでしたの。それでは、私はこれで失礼いたしますわ」
「あ、お引き止めしてすみませんでした」
「いいえ。お話できて嬉しかったわ。あなたの実りある恋を祈っています」
優雅に微笑んで、席を立つ。
私……これから油断すると、そこかしこで恋について語る人になってしまうんじゃ……。
「それでは僕も、失礼しますね」
「ええ、ありがとう」
ジェラルドと視線が交錯する。
卒業したら、公的な場ではこの会話以上によそよそしくなるはずだ。
私とは反対の出口から、出て行く。
やはり王太子……スマートね……。
いつものジェラルドとは大違い。
きっと開いた出入口から私が囲まれ始めたのに気付いて、助けてくれたのだろう。
食堂に向かって歩きながら、ヨハンに委員会の発案を聞いた時のことを思い出す。
あの時、ヨハンがいなければ皆と仲よくはなれなかっただろうなと思った。
今のやり取りで思い知る。
男性とはどれだけ仲よくなっても、ヨハンといる時か、もしくは誰もいない時にしか親しくは話せない。
ヨハンが私の腰を抱くか手をつないでさえいれば、他の誰と仲よくしていても、それをヨハンが許しているのだと、それくらいに近い存在なのだと思われる。
皆と忌憚なく話せる楽しい学園生活は、ヨハンが隣にいないと成り立たないのね……。
『僕がいないと、立つことも息をすることもできなくなればいいと思っていた』
彼の言葉が頭に浮かぶ。
昔は、私と一緒にいる時間が彼にとっての息抜きになればいいと思っていた。
――今の私は、ヨハンがいないと窒息してしまいそうだ。
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