第57話 ジェラルドのお願い

 日の曜日は委員会の開催。

 平日は毎日の講義に談話室での皆との雑談、放課後のヨハンとのひと時に、金の曜日の委員会。


 いつもの日課を過ごし――、


 ヨハンのいない土の曜日。

 性懲りもなく私は、図書館の最奥に向かって歩いてしまっていた。


 あの時のジェラルドの最後の様子が、ずっと気にかかっていたからだ。


 ジェラルドのセクハラめいた言葉に逆セクハラのような言葉を返してから、結構長いこと顔を覆って座り込んでいた。

 その後も言葉少なにぼーっとしていて、少しだけ会話をすると、私は先に帰った。


 開き直る心持ちが大事だと言いたかったのだけど、相手は十八歳……。


 王太子だけあって普段忘れているふりくらいは得意だろうけど、何かよからぬ影響がなかったかどうかどうしても気になって、前回と同じ場所に来てしまった。


 むしろいなければいい、と祈りつつ歩いていたのに……。


「また……ここにいるのね、ジェラルド」

「今日はさすがに書庫は閉まっているけどね。どうしたの、ライラちゃん」


 メルルと会っていた先週も来ていたのかもしれない。


 どうして、こんなところにいるのだろう。

 前回の話ぶりだと、護衛に張り付かれる毎日は苦痛そうな様子だった。ジェラルドにとって、この大きな図書館の本棚によって隔絶された薄暗い最奥が、人がいなくて落ち着ける場所なのかもしれない。

 誰にも知られず……一人きりで外を眺められる、ここが……。


「なんとなくよ」

「人がいない場所を探して? さすがにあそこに女の子が一人っきりは、危ないもんね」


 セオドアの横で寝ていた時のことを言っているのだろう。


「……ジェラルドがいるかと思ったのよ。この前、様子がおかしかったから」

「はは、僕のために来てくれたのか。それは嬉しいな」


 ……まずいわね。

 偶然ならまだしも、答えに窮してジェラルドに会いに来たと言ってしまった。図書館だから静かに話しているものの、いつも通りの雰囲気だし、もう戻ろう。罪悪感もいくらか減ったし、もう来るのはよそう。


「でも大丈夫そうね。もう行くわ」

「待って」


 引き止めるように手をつながれ、すぐに離された。


「なにかしら」

「僕は、ライラちゃんを待っていたんだ」


 私を待っていたって……約束なんてしていないけど。


「来てくれたら言おう。来てくれなかったらやめよう。そう決めて、ずっと待っていた」


 言葉のニュアンス的に告白っぽいけど、そんなはずはないし……。

 意味が分からない。


「僕には、相談できる人が誰もいないんだ」

「……セオドアがいるじゃない」

「弟にするの? 婚約者と上手くいかない、いい子だけど好きにはなれない、なんて話を? お兄ちゃんとしてそれはできないな。格好悪いよ」


 やっぱり婚約者がいるのね。

 王太子の妻は国の行く末に影響を与える。

 国外からのスパイや革命家のハニートラップに引っかけられたら、たまらない。どうしても本人の意思は関係なく決められてしまうことが多い。


 ……婚約者と、上手くいっていないのね。


「思ったことを全部、親切に教えてくれるの……ライラちゃんしかいないんだ」

「……他の男性と、約束までして二人きりになるわけにはいかないわ」

「そうだろうね。だから、ヨハネスの許可が下りたらでいい。ここなら二人じゃない。誰でも自由に出入りするのが当然の場所だ。こんな最奥まで人は来ないけどさ。約束じゃなくてもいいよ。たまたま来た時に僕がいたら、偶然少しだけ話す。それだけでいい」


 たまたま……。

 でも……この様子だと、ジェラルドは待つのだろう。


「土の曜日の午後は……たまにメルルと会うと思うわ」

「それなら僕は、たまたま午前にいると思うよ」


 ……それは本当に、約束ではないのだろうか。


「話した内容は、ヨハネスに全て報告してもらって構わないよ。僕が何に悩んでいるのか、知られてもいい。君に手出しもしないし婚約者もいる。ただ純粋に、国に戻る前に相談にのってほしい。誰にも言えずに悩んできたことが、たくさんあるんだ。聞いてほしい、それだけだ。約束でもない。たまたま会った時だけ。そうヨハネスに伝えてほしい。駄目だと言われたら、諦める」


 そんなふうに言われると、ものすごく断りにくい。


 よからぬ影響がないか気になっていたけれど、なんでも相談しやすい相手だと認識されてしまったようだ。


 持ち帰って、ヨハンに聞こうかな……。


「……仕方ないわね。断られる可能性も結構高いと思うわよ」

「そうなったら諦めるよ」

「……分かった」


 明日はまた、ヨハンに怒られそうだ。


「それじゃ、今日はもう行くわ」

「あ、待ってよ。せっかくだし、一つだけでいいから教えて」


 断りにくい言い方をするわよね……。

 わざとなんだろうけど。


「なに?」

「ライラちゃんとヨハネスは仲がいいけどさ、最初からそうだったの? 僕と婚約者みたいに、冷えた関係の時はなかった?」


 冷えたって……。

 そんな言い方をされると、ますます放っておけなくなる。冷えた関係だった、前世での私と夫との関係を思い出してしまう。

 

 誰かにアドバイスをもらっていたのなら……ああなってしまう前に何か動けていたのなら……、違う関係を築けていたのかな。


「あったわよ。私が九歳後半くらいの時まではね」

「そうなんだ、信じられないな。なんでだったの?」


 会話が終わらない。

 まぁジェラルドと話すと、そんなものか。


「ヨハンが王太子らしくしすぎていて、私も理想を押し付けて重荷になっていたのよ」

「ライラちゃんが? それは本当に信じられない」

「若かったの。もう行くわよ。明日ヨハンに会うから、聞いておく」

「ああ、頼むよ」

「……期待しないでよ。あなた、最初のアレで結構根に持たれているんだから」

「それは辛いなぁ。了解、ライラちゃんの説得術に期待するよ」

「しないでってば。悪いけど、強くお願いはしないわ」


 またヨハンに責められなければならないのか……。

 気が重くなりながら、図書館をあとにした。

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