第7話 執事見習い、カムラ

 日も傾き、部屋の外にいるヨハネスの筆頭執事、クラレッドに一声かける。


「かしこまりました。それでは、帰宅の準備をいたします」


 クラレッドがそう言うと、もう一人の執事見習いだというカムラという青年と一緒にヨハネスも歩き出した。

 最近見習いになったので、基本的にはクラレッドと一緒に行動している。


 帰宅の準備とは言っているものの、手洗い場に寄るという意味だ。このまま王宮へ馬車で帰るのだから、同じ王都とはいえ時間もかかる。その前に済ませるためで、さすがについては行けない。


 私も、同じく部屋の外で待っていたミーナと両親を呼びに行こうとしたところで、突然カムラに呼び止められた。


 立ち去ったと思っていたのに、真横にいきなり現れて驚いた。


「ライラ様、不躾ですけど――……印象変わりました?」


 ギクッとする。

 薄い茶色の髪を後ろでまとめ、深い緑の瞳をした彼は、まだ若い。騎士学校を卒業したばかりだとしたら、十六歳くらいだろうか。


 筆頭執事は、主人の世話も護衛も一流。

 それに対して、執事見習いは戦闘能力だけがズバ抜けていて、それ以外の部分を筆頭執事に見習うような形になる。


 つまり、礼儀は二流だ。


 王太子の護衛ともなれば、特殊な訓練を受けて部屋での会話くらいは聞こえている。そうでないと、咄嗟の時に守れない。


 それでも、密室での会話は聞こえないふりをするのが当然で、それが主従の信頼関係の維持にも必須だ。


 部屋の外では挨拶くらいしかしていない。この質問は、ギリギリのラインだ。中での会話を聞いていましたよという意味にも、とれる。

 私とヨハネスに対する、マナー違反。


 だからこそ、クラレッドが注意しに来ないのがおかしい。筆頭執事の彼なら、この距離でもカムラの言葉が聞こえているはず。


 ……これは、疑われているわね。


 カムラの無礼を許すくらいには、怪しまれている。


 王太子に取り入りたい誰かが、私をそっくりさんと入れ替えた、とか。誰かの入れ知恵が私になされたのか……など、あらゆる可能性を探られている。


 彼らは冷や汗すら、見逃してくれない。


「どうなのかしら。以前より魅力的になりまして?」

「ふっ……心当たりは、ないのですか」

「あるにはありますわ。長い夢を見ました」

「夢、ですか……」


 中での会話も聞いていただろうに、白々しい。私のメイド、ミーナも含めて、彼らに隠し事は不可能だ。


「ええ。一つの人生を、終わらせてきました」

「……なるほど」


 視線が交錯する。


 カムラ・トッカム。

 彼も、この乙女ゲームの攻略対象者だ。

 他のメインキャラクター全員とベストエンドを迎えて、ようやくルートが解放される。


 実は私、二人しか攻略していない。

 特定の相手にはまりやすい私は、他のキャラクターと恋愛していると浮気している気分になるので、気に入った相手しか攻略せず、繰り返し回想を見るタイプだった。

 彼の詳細は謎のままだ。


 プロフィールも隠されていたし、わざわざネタバレサイトでチェックもしなかった。

 知っていることをあえて言えば、今は執事見習いだけれど、ゲーム開始地点では執事に昇格していること。それから、学園ではダテ眼鏡をかけた臨時講師として登場することだけだ。


 ――全クリしておけばよかったーー!!!


 心の底からそう思う。後悔しかない。

 結構平和でのんびりした乙女ゲームだったけれど、この人だけオープニングを見るだけでも暗そうだった。


 だから、興味もなかったんだけど……。


 殺されないかしら。

 大丈夫かな、私。


「嘘では、なさそうですね」


 目が笑っていない。怖い怖い。


「嘘をつく必要など、ありませんもの。何をどれだけ調べていただいても、構いませんわ」


 精一杯の虚勢を張る。

 誰か、助けてー……。


「カムラ、何をしている。行くぞ」


 ヨハネスが声をかけてくれて、やっと、よく分からない緊張感がほどけた。


「失礼いたしました」


 彼は胸に手を添えて謝罪をすると、立ち去る前に耳元で「今のライラ様の方が、個人的には好きですけどね」と小さく囁いて、音もなく足早にヨハネスの元へ追い付いた。


「――ふざけた、男」


 突然、横からものすごーく暗い声が聞こえて隣を見ると、ミーナがすごい目でカムラを睨んでいた。


 大丈夫?

 彼に、恋人でも殺された?


「ミ、ミーナ?」


 声をかけると、しまったという顔でいつもの顔へと戻った。


「す、すみません、ライラ様。でも、ものすごーく失礼な見習いですよね」

「そ、それはそうね」

「あいつ、私にだけ殺気を向けていたんですよ。ライラ様との会話を遮ったら殺すぞ、みたいな脅しです。ヨハネス様のお付きの者だって笠にきて、――……ムカつきますわ」


 ああ、殺気ね……。確かにそんな感じだったかも。これは相当怪しまれているわね。


 ヨハネスと護衛のいない部屋で二人きりになる相手は、多くはない。その相手の人格がいきなり変わったら、護衛として警戒しない方がおかしい。

 見ていない間に、飲み物に毒を入れられる可能性すらあるからだ。


 護衛といっても、騎士よりは暗殺者寄りだ。ゲームからだけではなく、ライラの元からの知識も、そう言っている。


 しまったな……。

 この乙女ゲーム、選択肢を間違えるとヒロインですら、うっかり死んでしまうエンドがあった。攻略を見ながらだったから、プレイ中はそんな心配はしなかったけれど。


 少なくとも、カムラには気を付けた方がよさそうね……。


「私も、殺されないように気を付けるわ」

「そうしてくださいませ。悔しいですが、あいつは、私よりも強いです。命にかえてもお守りはしますが、守りきれると断言はできません。ヨハネス様の害になると判断されませんよう、お気を付けください」


 ミーナも、このメイド服の下にたくさんの武器を隠し持っている。最も側にいるメイドや執事は、戦えることが前提だ。


 王太子様の守りは、半端ないからなぁ。


「胆に銘じるわ。さぁ、行きましょう」

「はい、ライラ様」


 きっと何もしなければ、ゲーム開始地点までは少なくとも平和に過ごせるはず。


 でも、その後の人生を考えるなら、やはりリスクを抱えてでも動くしかない。


 改めて決意を固め、前を見た。

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