第3話 母親
コンコンとノックの音と同時に、私の母、リーゼル・ヴィルヘルムが駆け込んできた。
「ライラ! 意識が戻ったの!?」
無人のベッドを見て呆然とすると、部屋を見回して鏡台の前にいる私と目があった。
「あなたは頭を打ったのよ! 寝てなきゃ駄目じゃない」
大きく目を見開き、つかつかとこちらに急ぎ足で来ると、私の手をとった。
「ごめんなさい、お母様。歩けるか試してみたかったの。でもまだ、歩くと頭が痛いわ。もう少し休んでいても、いいかしら」
「もちろんよ。無理をしないでまだ休んでいなさい。大事な体なのだから」
王太子妃になるための……ね。
前世と呼ぶには、さっきまでの出来事すぎて違和感はあるけれど、前世の母親よりはずっと私に関心を持ち、心配してくれている。
問題は、私が王太子の婚約者であることを意識しすぎていることだ。
ライラはそのせいで、ヨハネスに相応しいと誰からも思われる自分でなければ、価値がないと思っていた。周囲への高飛車な態度はその反動だ。
子育てをする母親として、そのように子供に思わせては、まだまだ未熟。彼女の意識の改革も、少しずつ進めていかなくては。
「お母様、私、とても不安になってしまったのです」
ベッドまでゆっくりと歩くと、母の手をふんわりと外し、布団の中で体操座りをして不安そうに彼女を見つめた。
「どうしたの? 大丈夫よ、体に傷はできていなかったし、頭のたんこぶは、そのうちなくなるわ」
たんこぶ!?
それは痛いはずね。
「お母様は、私の体に大きな傷ができても愛してくれますか? 傷でも他の理由でも、ヨハネス様に見捨てられたら、私など不要だとお母様に思われてしまうのかしらと、とても不安になったのです」
少しこじつけすぎたかな……。
でも、彼女の顔を見ると、効いているようだ。驚きで言葉を失っている。
「ライラ、そんなふうに思っていたの? ごめんなさい、気がつかなくて。あなたは私の大切な娘よ。ヨハネス様の婚約者であることは関係なく、愛しているわ」
ふわりと彼女が私の髪をなでた。過去の自分の言動を振り返って反省しているような、少し苦しそうな顔をしている。
――もっと早く、こうやって聞けばよかったのに。
『ヨハネス様に相応しい女性になりなさい』
『これくらいは、できて当然ですよ。将来の王太子妃ですもの』
『そのようなことでは、ヨハネス様に顔向けできないわ』
そんな言葉ばかりだった。
極めつけは、風邪を二回、近い間隔でひいた時の言葉だ。
『体調管理もできないようでは、ヨハネス様に呆れられますよ』
あの言葉が引き金となって、自分を大きく見せて相手を貶めるような言葉が多くなったように思う。体調を崩しても心配すらしてもらえない娘なのだと、悲観したからだ。
「ありがとう、お母様。私もお母様が大好き」
安心したように微笑んでみせると、指の背で愛おしそうに頬をなでられた。
覚えてもいないくらいに幼い頃……、こんなふうに母に触れてもらったことは、あったのだろうか。
涙が滲みそうになる。こちらでの記憶と、あちらでの記憶が混じりあう。
彼女にとって、なんらかの気づきになればいいという思いと、母親に思い切り甘えたいという内側からの幼子のような思いが交錯して、息が詰まる。
――コンコン。
思考を中断する、丁寧なノックの音が部屋に響く。
「どうぞ」
私の代わりに母が応じ、ワゴンに食事を載せてミーナが入ってきた。
「失礼します。お水とお粥をお持ちしました」
丸一日、何も食べていない。胃への負担を考えて、お粥にしてくれたのだろう。
「ありがとう」
そう言って母はお盆ごとサイドテーブルに置くと、すまなそうな顔を私に向けた。
「ごめんなさい、ライラ。実は今、ルーザックを待たせているの。また戻らなくてはいけないのよ」
それは、早く言ってほしかった。
ルーザックとは、お抱えの商人だ。何かしらの買い物でもしていたのだろう。わざわざ母がサイドテーブルに置いたのは、何か私にしなくてはと思ったのかもしれない。いつもなら、メイドの仕事だ。
「そんな大事な時に、ごめんなさい。私はもう大丈夫。ルーザックを待たせては、申し訳ないわ」
きっと、大事な買い物ではないはず。
本当に大事なものは父も一緒に品定めをするし、母が席を外すのも許さないはずだ。
とすると……、大体の見当はつく。
「本当にごめんなさいね。他の用事なら、後日に延期していたわ。でも今日は、希少な宝石があしらわれたアクセサリーを入手したと聞いて、見せてもらう日だったのよ。あ、もちろんあなたのよ」
あまりにも、どうでもいい買い物だ。
「その宝石の産地は、サンブルクのムハラ鉱山でね――」
「お、お母様。ルーザックをお待たせしているんでしょう? 早く行ってさしあげて」
うんざりだ。
無駄に部屋で会わされるヨハネスとのお茶会のために、母はいつも私を飾り立てる。
そんなもので彼の心を射止めることができないのは、既に証明されている。
――ゲームで、だけど。
ここは、本当に私の知るゲームの中の世界なのだろうか。未来を変えることは、できるのかな……。
分からないけど、やるしかない。
心配そうな顔で部屋から出る母を笑顔で見送りつつ、次にすべきことを考える。
そして……、私にお粥を食べさせるために真横に座ったミーナに、質問をした。
「ねぇ、ミーナ? この世界にタロットカードって、あるのかしら」
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