第21話 祈り、スゴイぜ!(第20話はまた後で)

 祈りとは?

 ウィキィッた!


『祈り(いのり)とは、宗教によって意味が異なるが 世界の安寧や、他者への想いを願い込めること。利他の精神。 自分の中の神と繋がること。 神など神格化されたものに対して、何かの実現を願うこと』


 まずは、どう祈り、何を願うのか?


 ここでは、宗教の話で細分化せずに、祈りについて述べたい。


 まずは、祈るという行為は、願い事を言うだけではないという事だ。

 それは、伊勢神宮の本宮での参拝で行われている、感謝を捧げる行為というものがある。

 神様へ感謝する、なのだ。


 そして、祈るというのは、もちろん、願い事をするというのもある。

 これは、個人的なモノでも、他者へのモノでも、自然界へのモノでも、あらゆることを対象とする。

 まあ、なんて、人間は欲深いのか。


 ってことは置いといて、それでは、祈り方で違いが出るのかという実験をしたらしい。

 例えば、明日のテストで良い点を取りたいと思う。

 それについて、祈る時、以上を踏まえて、2種類の祈り方がある。

 その1。

『明日、90点を取らせてください!私はめっちゃ頑張りました。出来る限りの事をしました。普段はお祈りとかしないのですが、心を込めてお祈りいたします。ですのでお願いします!』

 その2。

『神様、私がここまで勉強出来たのも神様のお陰です。ありがとうございます。90点以上を取りたいのですが、それは神様の御心にお任せ致しますので、どうか私を見守ってください。神様、大好きです!』


 ああ、これ書いてたら、やっぱりなと思ってしまったよww

 実験の結果、その2の方が、ご利益が2倍に上がるらしい。


 なんでこんな実験をしてる人が居るのかっていうのは、祈る行為は、キリスト教徒達は宗教行為の中心となるものだからだ。

 そのため、祈りについて、西洋人は科学的な研究対象としてきた。

 そもそも、キリスト教でも礼拝堂とかってあるじゃん。


 また、祈りは神様と繋がる行為だという考え方もある。

 これが、そもそもの本来的な祈りというモノだと、日本人の私には素直に思える。

 神社仏閣などで、祈る。

 もちろん、私的な事を幼い頃から、祈ってきた。

 正月の初詣、必ず、願い事を捧げる。

 子供の頃、神社へ行くと、お賽銭代くらいは御利益があって欲しいと思ったりもした。


 しかし、その時、その祈りは、いつも真剣なモノだ。

 真剣に手を合わせ、目を瞑ったりもする。

 そんな時、神様との交流が芽生えるのかもしれない。


 さて、今度は祈りについての行為そのものについての話をしたい。


 ①ランドルフビルド博士による実験

『実験はサンフランシスコ総合病院の心臓病集中治療室(CCU)入院中の患者393名に対して10カ月もの期間にわたり行われた。

 393名の患者は祈られるグループ192名と祈られないグループ201名にコンピューターによって無作為に分けられ、臨床実験で行われる厳密な基準を適用して実験が行われた。

 患者、看護師、医師ですらどのグループにどの患者が入るかを知らなかった。

 患者のために祈る人たちを全国のカトリックやプロテスタント教会、その他さまざまな宗教グループに呼び掛けてつのった祈る人には祈り方について何も指示をせず、患者のファーストネームや現在の状況を簡単に知らせた。その上で、毎日その患者のために祈ることを依頼。

 患者一人につき祈る人5人から7人の割合で祈る。

 祈られたグループの抗生物質を必要とした患者の数は祈られないグループの6分の1だった。

 祈られたグループでは人工気道を確保する気管内挿管を必要とする人はいなかった。その一方で、祈られなかったグループでは12人が人工気道を必要とした。

 祈られたグループでは心臓疾患の結果、肺気腫になった人が祈られないグループの3分の1であった。』



 ②デューク大学医学部の調査報告

『その調査報告は1986年から1992年にかけて65歳以上の男女4000人を対象にして祈りが健康に及ぼす効果を調べたものだ。

 そして、対象のほとんどがクリスチャンでした。

 その結果は「祈ったり、聖書を読んでいる高齢者は、健康で長生きしている」だ。』


 ①、②について、決して、キリスト教を信仰せよというモノではない。

 祈りについて、距離や、より具体的である必要がないこと。

 そして、祈った本人にも、恩恵があること。


 以上の二つの事がわかる。


 実際、祈ることによって、各種幸せホルモンが出ることがわかっている。

 祈りって、スゲーのだ。


 これらについて、どう思おうと自由であるが、ユングのシンクロニシティという考え方がある。

 簡単に言えば、人は無意識下で繋がっているという考え方だ。

 これは、ホントに、そう思う。

 私は、神という媒体を使えば、よりイメージが鮮明となって、その繋がりに辿り着けるのではないかと思うのだ。


 人間の意識、今、そこへ科学のメスが入り、絵を意識をするだけで、それが映像となってモニターに映されることが可能になってきている。


 人間の意識、心の中、それが解明されようとしている。

 心に秘めるとか、それは、シールドを張らないと読まれてしまう。

 そんなラノベのような話が、もうそこまで近づいてきている。


 その時、我々はどうなっているのだろうか?

 多分、もはや、戦争など有り得ないのではないだろうか?


 そうそう、『祈り』という題で、和響さんが童話を書いている。

 それを最後に張って置こう!

 この話、シンクロニシティの話なのかもしれない。


 https://kakuyomu.jp/works/16816927860583337962


 今回は、ここまで!

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