第12話 木枯らしⅡ

 出逢いは風の中 恋に落ちたあの日から

 気づかぬうちに心は あなたを求めてた

 泣かないで恋心よ 願いが叶うなら

 涙の河を越えて すべてを忘れたい

 せつない片想い

 あなたは気づかない


 小泉今日子さんが歌ってるらしい。

「木枯らしに抱かれて」だ!!


 まあ、歌詞をそのままあげちゃっていいのかってのはアレだよ。

 でも、私は宣伝してるから大丈夫だろう。

 これは、男の人が書いたモノだが、なんだよこれって感じだ。


 せつない片想い、このフレーズをあえて書く。

 俳句ではないのだから、感情をそのまま、書いていいのだ。

 そして、その方が、歌う時に、もっと切なくなるから。

 そもそも、言葉ってのは、素直に感情を出す方が心に響くものだ。

 当たり前だよ。

 そういう意味の言葉には、そのイメージを想起させるニュアンスがその音に、すでにあるのだから。


 歌うときは、そんなストレートの方が、心に響く。

 でも、読んでる者にも、実は、ストレートに響くんだ。

 私は、和歌的な、あるいは、蕉風の言葉の選択に、隠された意味や惻隠の情を感じ取るところに、文学的喜びや知的文芸の真髄があると思ってきた。


 だから、小難しい文学的表現や、今となっては古くてイメージも出来そうにない枕詞とかを有難がっていたのだが、それは違うとわかった。

 古典は、確かに、それで一つの文芸としての価値を持っており、すでに確立されているモノだ。

 だから、それを学ぶ事は、手っ取り早く文芸を学ぶ事に通じる。

 一面では、そうだ。

 確かに、そんな知識を持つってのは、知的好奇心をくすぐり、なんかエラク賢くなった気がするものだ。

 しかし、本当のところはどうだろう?


 そんなのは、独りよがりの手慰みに過ぎないんだ。

 そう、私はこの詩を読んで、思った。

 つまり、ストレートに書いちゃってもいいんだよ。

 モノを書くって、もっと、自由なんだ。


 私は、ラノベ読者の文字や文章の理解力の低下を感じて、もっと言葉はわかりやすく、ナゾをナゾですって引きずるのも理解できないと思い、早々にそれを解決した方がいいのではと思った。

 それをすると、面白さが半減してもだ。


 しかし、それは傲慢な考え方だったのではないかと、私は思ったのだ。


 それで面白くなくなるのなら、それは筆者の腕が足らないからだと。

 そして、もっと、自由に考え、自由に表現したらいいのではないかと。

 実は、それこそが、今のラノベの読者が求め、作者に期待するモノなのだろうと。


 恋人達はいつか 心傷つくたび

 愛する意味を知る 涙・・・ やさしく

 その手に確かな夢をつかんで

 白い季節の風に吹かれ 寒い冬がやって来る

 激しく燃える恋の炎は 誰にも消せないの

 せつない片想い あなたは気づかない

 せつない片想い あなたは気づかない


 これが、最後の歌詞。

 燃え滾る恋心、今の寒い冬でも凍り付いたり、消えたりしない恋心。

 そんな恋だが、あなたは気がつかない。

 泣けるぜ!


 ってことを想った時、ふと気がついた。

 ヴァレンタインって、寒い冬だよね。

 そんな季節に恋しい人へあげるチョコって、つまり本気チョコって、これはもう、熱いモノだぜ!


 今回は、ここまで!

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