第113話 疑惑の天条院

 無事にゆいの家に着いた俺は、少し息を荒くしているゆいを、布団の上に寝かせてあげた。


 熱は……結構あるな。下手したらさっきよりも上がってるかもしれない。ちゃんと体温計を計れればいいんだけど、そんなものをあの毒親が買い与えてるとは思えないな。


「体温計と、おでこに貼る冷たいシートと……あと必要なものは……風邪薬と食べ物も必要だな……」


 あれ、調子が悪い時ってあんまり食べない方が良いって聞いた事があるな……まあいい、一応買っておいて、ゆいが食べたくなったら食べてもらおう。


「あ……そうだ……今日……編集の人と……電話……」

「そんな調子じゃ無理だって。俺の方から連絡しておくから」

「で、でも……」


 ゆいをなだめていると、タイミングよくゆいのスマホが鳴りだした。画面には、俺の知らない人の名前が表示されている。


「担当の人?」

「は、はい……」

「わかった。俺が出るよ」

『もしもし、加藤です』


 スマホから、随分と落ち着いた女性の声が聞こえてきた。事前にゆいから担当が女性だと聞いてたけど、こんな感じの人なんだな。


「もしもし、おれ……ごほん、僕はそちらでお世話になってる、桜羽 ゆいの知り合いの、磯山 陽翔と申します」

『はぁ、桜羽さんの……?』


 なんか凄い警戒されてる気がする。そりゃいきなりゆいじゃない人が出てきたら警戒するか。


「今日の予定だった電話の件なんですけど、ゆいが体調を崩してしまったので、今日は代わりに電話に出ました」

『体調不良? 大丈夫なの? あの子、体が強そうには見えなかったけど……』

「はい、すぐに治ると思います」

『ならよかったわ。それで、桜羽さんは近くにいるのかしら?』

「はい、隣で横になってます」

「すみません……ご迷惑をおかけして……」

『いいのよ桜羽さん。あなたが凄く頑張ってるのは私もわかってたから。ゆっくり休んでちょうだい』


 ゆいは担当の人……えっと、加藤さん? に随分と大切にされてるんだな。良い人が担当についてくれてよかった。


 そうだ、いい機会だし現状のゆいの作品について聞いてみようかな。もし順位が悪かったらゆいが気にするから、ゆいのいない所で……な。


「加藤さん、ちょっとだけ時間ってもらえますか?」

『ええ、大丈夫よ。なにかしら?』


 俺は一旦ベランダに出て、一呼吸を入れてから口を開いた。


「ゆいの作品、今どんな感じですか? 前に順位を決めるみたいな事を聞いたんですけど」

『……現状だと、桜羽さんの作品は二番目ね』

「一番は天条院って人のですか?」

『ええ。しかも、うちの会社が始まって以来の票の入り方ね』

「そうですか……」


 もしかしたらと思ってたけど、やっぱり天条院の作品が一番か。そりゃ相手はプロの力を借りてるんだから、負ける方がおかしいといえばそれまでだ。


 ……今ここで、天条院はプロの力を借りてる卑怯者だっていったら、どうなるんだろうか? 信じてもらえないかもだけど、言ったら不正になって失格にさせられないだろうか?


 でも……仮にできたとしても、それで勝ってゆいが喜ぶだろうか……?


『これはあくまで担当としての贔屓も入ってる前提で聞いてほしいんだけど、私は桜羽さんの作品の方が優れていると思うわ』

「え?」

『なんて言えば伝わるかしら……話は両方とも面白いし、絵に関しては正直負けてると思うけど……桜羽さんの作品はね、頑張ってるからなのか、読んでて熱を感じるのよ。でも、天条院さんのは熱を感じない』


 熱を感じない……か。ゆいは夢のために頑張ってるから、漫画からそれが伝わるのはわかるんだけど、相手だってプロなんだから、情熱を持って描いてると思うんだけど……。


 もしかして、やりたくないけど、多額の金を積まれて渋々描いてるのか? それとも、なにか弱みを握られて描いてる可能性もある。どっちにしろ、天条院ならやりかねない。


『それに……良くも悪くも新人感がないっていうか……票の伸び方も……』

「票?」

『なんでもないわ。なんにせよ、今作家さんに出来る事は、結果を待つ事だけだわ。丁度いい機会だし、桜羽さんをしっかり休ませてあげて』

「はい、もちろんです。わざわざ答えてくれてありがとうございました」

『どういたしまして。じゃあ私は失礼するわ』

「はい。失礼します」


 なんの音も発さなくなったスマホを見つめながら、俺は小さく溜息を吐いた。


 さっき加藤さんが言っていた票の話、正直かなり引っかかる。あの天条院の事だから、不正をして票を伸ばしてるんじゃないか?


「いや、まさかな……さすがに確証も無い事を疑っても仕方ないな。もし不正な票があったら、出版社側が気づくだろうし。とにかく俺に出来る事は、ゆいが一日でも回復できるように一緒にいてあげる事だよな」


 そうと決まれば、はやくゆいの看病に必要なものを買ってこないとな。結構数が多いし、スマホにメモってから出発しよう。



 ****



「……ちょっと買いすぎたか……?」


 一通りスーパーで必要なものを購入した俺は、再びゆいの家へとやってきた。あれもこれもと買ってたら、一番でかいビニール袋がパンパンになってしまった。しかも二袋。


 買いすぎた感があるけど、しばらく買い出しに行く必要が無くなって、ゆいの傍に入れる時間が増やせると思えば、これで正解だったかもしれない。そういう事にしておこう。


「ただいま~っと……静かだな、寝ちゃったか?」


 起こさないように静かに部屋に入ると、そこではゆいは布団に寝ておらず、いつも漫画を描いている机に突っ伏して倒れていた。


「なっ……!? ゆい、なにしてるんだ!?」

「はぁ……はぁ……あ、陽翔さん……」

「寝てないと駄目だろう!」

「ゆいには……休んでる時間なんてありません……ゆいは……才能が無い駄目な子だから……少しでも……練習、しないと……」


 耳まで真っ赤にさせ、言葉もしどろもどろになりつつも、ペンを離さなかったゆいは、そのまま意識を失ってしまった。


 くそっ、近くにいるだけで熱気を感じてしまうくらいに熱が上がっている。早く寝かせないと!


「静かに寝かせて……シートも張って……氷枕も……よし、これでいいな」


 全く望んでなかった形だったけど、ゆいを寝かせられて一安心だ。


 ……まったく、いくらなんでも無茶しすぎだって……夢を叶えるために、天条院に勝つためとはいえ、自分の体はもっと大事にしろよ……。


「……いや、違う。悪いのは俺だ」


 ゆいは頑張ると決めた事は、とことん頑張るタイプだ。それは体育祭の時にわかっていた。


 それなのに、俺は大人しく寝ていてくれるだろうと思い込み、ゆいに注意をせずに一人残してしまった。完全に俺のミスだ。


「ごめんな、ゆい……ゆいが頑張り過ぎちゃうのを知ってたのに……俺は……」


 決めた。ゆいが完治して体力が戻るまで、漫画は描かせない。力づくでも止める。そうじゃないと……本当に取り返しがつかない事になってしまうかもしれないから。

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