第6話 リコ

 石で囲まれただけの簡素な塀を超えると、どうやらそこからトレの敷地内ということだった。


 というのも、村の入口に見張りがいるわけでもなく、周囲に人影も見えなかったので、果たして勝手に入っていいものかと悩んだが、エレナが臆することなく入って行ったので、それに続いたということだ。



 トレの村は、リブラの木のすぐおひざ元にあるというだけあって、目に見える建物、全てが木造のログハウスと呼ばれる部類の建物だった。


「……へ~、凄いな」


 ログハウス自体は別に珍しいものではないが、建っている場所がちょっと想像とは違い、俺は思わず感嘆の声を漏らす。


 手前のログハウスこそ地面に建てられているが、奥に目を向けると、街中に張り巡らされていると思われるリブラの木の根、もしくは幹の上にログハウスが建てられていたのだ。


 他にも木の上に家を建てるツリーハウスもいくつも見て取れるが、田舎でスペースがあるからか決して雑多になることなく、それぞれはそれなりの距離を離されて建てられていた。



「フフッ、驚いたじゃろ?」


 立体的な村の構造に驚く俺のリアクションを予想していたのか、エレナが「むふ~」と薄くなった胸を反らしながら得意気に話す。


「この村は観光業が盛んでの。高いところの家は、観光客が泊まるために建てられた家なのじゃ」

「へ~、じゃあ今日はあの中の何処かに泊まる予定だったりする?」

「無論じゃ。金の心配はする必要はないから、とびきりいいところに泊まろうぞ」

「マ、マジすか?」


 子供の頃、冬場に暖炉のあるログハウスでチーズフォンデュを食べることが夢だった俺は、少しソワソワしながらエレナに尋ねる。


「それで、お目当ての食べ物……えっと何だっけ?」

「リコとモルボーアじゃ。モルボーアは常にあるとは限らぬから、先ずは青果店に行って年中食べられるリコを食そう」

「わかった」


 エレナから目的地を聞いた俺は、ログハウスの中から出てきた人に挨拶をして村への滞在の許可をもらうと、この先にあるという商店街へと向かった。




 目的地の青果店は、商店街の入口にあった。


 看板なのか、何やらアイボリー色のトゲトゲのひょうたんが掲げられた建物を覗き込むと、中でガタイのいいおっさんと目が合った。


「へい、らっしゃい」

「あっ、どうも、こんにちは」

「おう、こんちは。見ない顔だな。観光客かい?」

「ええ、そうです」


 少しだけ不安だったが、問題なく言葉が通じることに安堵しながら、俺は腰に身に付けた前掛けで手を拭いている青果店の店主に話しかける。


「この村の名産品であるリコという果物が欲しいのですが、ありますか?」

「リコかい? ああ、これだよ」


 店主は二カッと快活に笑うと、店の看板に描かれていたアイボリー色のトゲトゲのひょうたんを手に取る。


「ほら、こいつがリコだよ」

「これが……」


 子供の頭ほどの大きさのある名前に反してゴツイ見た目のリコを手に取ると、見た目通りのずっしりとした重みが手にのしかかる。


 棘が手に刺さるかと思ったが、意外にも表面のトゲトゲは見た目ほど凶悪ではないようで、手で押せばぐにぐにと形を変える。

 だが、その分皮はかなり分厚く、このまま齧り付いたところで中の果肉を味わうことはできそうになかった。



 どうせ買って食べるのだからと、店主にリコの食べ方を聞いてみることにする。


「あの、これってどうやって食べるのですか?」

「おっ、何だい。リコは初めてかい? それじゃあ貸してみな」


 そう言って差し出された店主の手にリコの実を渡すと、彼はニヤリと笑いながら菜切り包丁を取り出す。


 大小二つの丸が合わさったひょうたんの形をしたリコの実の上部の小さい実の真ん中に水平に刃を立てた店主は、そのままぐるりと実を回しながら刃を走らせると、アボカドの種を取る時みたいに、パカリと上半分を開いてみせる。


 瞬間、ふわっと甘酸っぱい匂いが俺の鼻孔を刺激する中、鮮やかな黄色い実と、直径四センチほどの意外にも大きな種が姿を見せる。


 綺麗にリコの上部を割ってみせた店主は、ぽっかりと穴の開いたリコの実を俺に差し出してくる。


「ほれ、兄ちゃん。こいつを持ってくれ。穴が上に来るようにな」

「こ、こうですか?」


 切り離されたリコの実を盃のようにして構えると、店主はその上に残ったリコの実を逆さまにして種をがっしりと掴む。


「よし、それじゃあいくぞ!」


 えっ、まさか!? と思う俺の予想通り、店主は半分ほど露出しているリコの実の種を勢いよく引き抜く。

 すると、スポン! と小気味のいい音を立てて種が抜けると、穴から果汁がドバドバと流れ出てくる。


「わわっ!?」


 穴から勢いよく飛び出してくる果汁を慌てて受け止めようとするが、どうみても受け皿よりも出てくる量の方が多く、穴から溢れ出た果汁が手を伝って滴り落ちそうになるので、俺ははしたないと思いつつも、慌てて手の下に舌を伸ばして果汁を舐める。


「――っ!? う、うんまっ……」


 果肉を切った時の匂いで絶対に美味いだろうと思っていたが、リコの果汁は、ミカンのようなやや強めの酸味と、梨のような上品な甘さを掛け合わせた極上の果汁だった。


 予想を遥かに上回る果汁の美味さに、俺は人前であるにも拘らず、舌を伸ばして滴り落ちるリコの実の果汁をペロペロと舐めていく。


「ハハッ、兄ちゃんわかってるな。こいつは、恥も外聞も捨ててそうやって貪るのが正解だ」


 残った実から果汁を出し切ったのを確認した店主は、慣れた手つきでリコの身の皮を剥き、均等に切り分けて木製の器に盛りつける。


「果汁を堪能したら、次は実を食してくれ。こいつも美味いぞ」

「は、はい……」


 爪楊枝もフォークもないので、俺は手掴みで黄色に輝くリコの実を手に取る。


 どうやら下半分の真ん中に果汁を溜めておくタンクがあったようで、切り分けられた実は、半円状にくり抜かれたような形になっていた。

 流石に実の方は果汁たっぷりというわけにはいかないようだが、それでも食欲のそそる甘酸っぱい香りに口内に唾液が溢れてくる。


「では、早速……」


 まるでマクワウリのような形をしたリコの実を手に取って頬張ると、果汁とよく似た程よい酸味とシャクシャクとしっかりとした歯応え、そして、もうないと思っていた果肉から追加の果汁が溢れ出てくることに驚きながら俺は何度も頷く。


「ヘヘッ、もう聞くまでもないがどうだい?」

「サイッコーに美味いです」


 俺が笑いながら親指を立ててみせると、青果店の店主も親指を立てて白い歯を見せてニッコリと笑う。


 美味いものを食べた時、それを共有することができた時に笑ってしまうのは、どうやら世界を超えても共通しているようだ。



 せっかくだから、俺は残りのリコを味わいながら、この世界の他の果物について店主に聞こうと思った。


 するとそこへ、


「のう、ハルトよ。誰か忘れておらぬか?」


 俺の背中をちょいちょいと突きながら、恨めしい声が聞こえてくる。


「ここの勘定を一体誰が払うと思うのだ?」

「あっ……えっと……」


 リスのように頬を膨らませ、上目遣いで睨んでくるエレナを見て、俺はこの小さな相棒のことをすっかり忘れていたことを思い出す。


 言い訳させてもらうとしたら、これまで旅に出る時は常に一人で行動していたので、誰かと一緒に行動することが殆どなく、誰かを気遣うということに対して全く頓着してこなかったのだ。


 対してエレナは、キチンと相方のことを考えて行動してくれているのは、この村に入る前の対応で重々承知しているので、この場合、俺にできることといえば、


「すみませんでした」


 己が非を認め、深々と頭を下げて誠心誠意謝罪することだけだった。

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