第五章 完成

「西条さん、そっちはどうですか?」

 二人は必死に解決策を導き出そうとしていた。しかし、未だ発見には至らなかった。

「ダメだ。ウイルスは死滅するどころか、減少すらしない。マリちゃんは?」

「私も同じです……。抗ウイルス薬なんて作ったことないし、知識も技術も私には……」

「俺もないさ……。ただ一度だけ、治療薬が完成する場面には立ち会った。俺がまだ研究員になって間もないころ、ULIに来る前の話だ。先輩が、ある国へ行くことになったんだ。それについて来いって言われて俺はついて行った」

「どこに行ったんですか?」

「ザンビア共和国だ。首都はルサカ。昔はアフリカでもっとも平和な国と言われていたんだ。俺が確か二十六か二十七歳か……だったか?……の時に行った時は、野生動物もいて、一目見たとき、豊かな国だと思ったんだ。でもそれも最初だけ。一歩道を逸れるとまるでスラムだ。そのスラムを抜けたある村では、マラリア感染症が発生していた。マラリアに対する治療薬はいくつか開発されていたが、先輩が見つけたのはマラリアによく似た、類似感染症だった。それに関しては治療薬がない。ある日、弟に付き添って簡易テントにやってきた女の子がいたんだ」

 西条は、その時出会った少女が類似性マラリアに対する免疫を持っていることを突き止め、マラリアの治療薬、アトバコン・プログアニル合剤を基に新治療薬を作り出した。しかし、その先輩は治療薬を作っている際の不慮の事故で亡くなったことを話した。

「俺が直接役に立ったとは思えないし、先輩も亡くなった。けど、その時の経験が今、役に立っているかと思うと、無駄じゃなかったと思える……」

「西条さん、私たちで治療薬を作りましょうね……絶対に。そして、その先輩に報告しましょう!自分も先輩のように治療薬を作ったって」

 西条は優しい目で真理子を見た。彼女もまた、西条を見つめ返す。

「そうだな……早く見つけよう……」

 ビニールカーテンの中で話しながら作業を続けている二人を、相良はどこか悲しそうな目で二人を見ていた。それから数時間、二人は最低限の休憩のみで作業に没頭した。しかし時間は過ぎて行くばかりで、治療薬の欠片すら発見には至らなかった。

「くそっ……これもダメか……」

「はぁ……こっちもダメです……」

「主任、キャリアの血液がなくなる。採取して来てもらえます?」

 彼はそれだけを言うと、また治療薬の作製に戻った。相良もまた何も言わず、静かに部屋を出る。廊下には高田が立っていた。

「隊長……」

「薬はどうだ?二人の様子は?」

「今だ発見には至っていません。二人も作業に没頭してますが、失敗の繰り返しで心労が溜まってきているようです……。では私は検体の採取に……」

「相良……治療薬が出来たらを助けられる。希望は捨てるなよ……」

 隊長である高田に返事もせず、彼は廊下を歩いていった。相良もそろそろ疲れてきたか……。高田は頭を悩ませていた。

「このまま、あの二人に治療薬を作らせるのも、あいつを監視につけるのももう厳しくなってきたか……」

 そう呟きながら、コントロールルームへと向かった。

 向かった先は、その奥にいる雅子のところだ。

「みんなの調子は?」

「すべての班で疲労が目立ちます……」

「そう……。やっぱり普通の人間にはこの世界は厳しいようね。解析班はどうなってるの?」

「治療薬の開発に取り組んでいますが、未だ完成には至っていません。また、度重なる失敗による心労の為か、進捗状況が落ちています。その監視をしている相良もまた、心労がたたっているようで」

「そう……分かった。ちょっと解析班に行ってくるわ……」

 雅子は真理子たちがいる解析班へと足を運んだ。

「マリちゃん、西条くん……」

 作業に集中していたせいか、扉が開き雅子が入ってきたことに気付いていなかった。

「あ、おばちゃん……!」

「中原さん……申し訳ないですが、何の御用ですか?」

「開発はどうなってるかなって思って。それにちょっと顔を見たくて……」

「悪いですけど、薬ならまだできてませんよ。特殊なウイルスなんで、簡単には無理です。何せ、最低の人間が作った最悪なウイルスなんで……」

「分かってるわ、西条君……。マリちゃん、ちょっとこっち来て……」

 雅子に手招きされ、真理子はカーテン越しに近づく。顔を近づけろと合図する雅子。彼女は真理子の耳元で何か囁いた。それを聞いた真理子は驚き、思わず声が出る。まっすぐ真理子の目を見つめる雅子を、彼女は信じるほかなかった。

「おばちゃん、分かった。ありがとう………」

 真理子は笑顔でそう言った。雅子はその笑顔を見て、静かに部屋から出た。

「西条さん……タンパク質から、分子標的薬を作りませんか?」

「タンパク質から?」

「そうです。キャリア血液にはウイルスを防御する免疫がありました。そこからできないかなって……。例えば、がん治療薬の応用で……」

「ラルドウイルスにだけ反応するタンパク質を見つけるってことか……。よし、やってみよう」

 先ほど意図的に感染させた、シャーレ内の細胞。それを走査型電子顕微鏡で観察する。すると、小さな点状だと思われた細胞が一つ一つの形を成していることが判別できた。

「マリちゃん、これ見てくれ。ラルドウイルスの周りに付着してた点状の細胞覚えてるか?これ、タンパク質みたいなんだ……」

「なら、これで染色してみませんか?」

 真理子はTTC溶液を西条に手渡した。

「これ、ミトコンドリアを見るときに使うだろ?」

「ええ。でもこのウイルスは常識では計り知れないウイルスです。普通の方法では観察できないですよね。“いつもとは違う角度から物事を見る”宗田さんがいつの日か、私にそう言ってくれたんです。だから一か八かです。失敗したら宗田さんのせいにしましょう!」

 真理子はおどけるようにそう言った。すると西条は噴き出すように笑い、「やってみるか!」と作業に取り掛かる。神経をすり減らしながら、目の前の敵を染めていく。するとしばらくして、真理子の予想通り、ラルドウイルスの周りにあるタンパク質を鮮やかな赤色に染めた。

「これが、キャリアの基だな……」

「この成分を分析してみましょう……」

 二人は手を止めることなく作業を続ける。検体の採取を終え相良が戻ってきた。

「検体採れたぞ……」

 返事がない。作業に集中しているためだ。相良は仕方なく、採取してきた検体を台の上に置いた。ふと、そこにあった画面に目が行く。画面には細胞やウイルス、細菌等が映し出されていた。

「これが……ウイルスなのか?」

「へ?あ、ええ。いかにも悪そうな形ですよね……」

 真理子が言った。「確かに悪そうな形だ……殺してやりたいくらいに……」と相良が同意する。

「この小さな粒、やっぱりタンパク質だな。反応してる……」

「西条さん、分析結果が出ました。一つを除いては、ごく普通のタンパク質です。だとすると、これがキャリアの……」

 真理子は小さな粒の分析を終え、画面上に出た結果を西条に報告していた。西条はそれを見て、しっかり頷く。「これがこの血液の持ち主をキャリアにしてるんだ」と言わんばかりの目で、真理子を見た。

「これ、見たことあります?」

「みたことあるような、ないような……。でも、これどっかで……」

 西条は頭を触りながら、室内を歩いた。ときどき呟きながら、一人で何かを考えている。きっとこれが何か思い出しているのだろう。

「思い出した……それ、αタンパク質だ……」

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