施設を出ていた雅子はある場所へ来ていた。かつて国会議事堂があった場所。左右対称、シンメトリーの建物で上から見下ろすとフクロウのように見えた建物だった。現在この場所は、【日本国東西議事堂】と名称を変え、様々な事案について連日、審議や議論を重ねていた。

「総理に伝えて。新田が来たと」

「承知致しました。では、中でお待ちください、新田様…」

 雅子は新田と名乗り、“総理”という人物に取次ぎを頼んだ。まるで、それが当たり前のように、堂々としている雅子。守衛に通された場所で雅子は“総理”を待っていた。

 広いロビーを目の前に、すぐ右手にある通路。壁に同化し、外から見ても部屋があることなど気づかないそこに、雅子はいた。扉が開き、一人の男性が秘書と共に入ってくる。男性は雅子の顔を確認すると、秘書を表に出した。

「新田君、久しぶりという感じだね……。どうだ調子は?」

「総理、お久しぶりです」

 雅子が頭を下げた相手、それは今の日本、関西の総理大臣。関西統一内閣・総理大臣・大道寺勝義だいどうじかつよしだった。

「じゃあまず、いつも通りで頼むよ」

「了解しました。ではまず、現状から報告いたします。ウイルスは拡大し、関東・関西ともに感染者が増加傾向にあります。非感染者・生存者はすでにIFGRに移送、収監し本日より業務を開始しました。また、関西圏での生存者は第一団以降、未だ発見に至らず、IFGRの調査班が捜索に当たっています」

「そうか……。そう言えば、君が言っていた女性はどうなった?」

「安藤真理子ですか?彼女は、間もなくウイルスの正体を突き止めるかと……」

「なんと……。やはり、君の言う通り優秀な人材とみえる」

「彼女だけでなく、同じ研究所に勤務していた西条隼人という男性もまた、彼女と同じく正体に気づき始めています。また彼女に関しては、ベクターの特性にも気づき始めていますし、もしかしたら二人はワクチンや治療薬を作れるかもしれません」

 大道寺は腕を組み、小さく唸った。

「“優秀な研究員は、時に足枷となる”か……。まあ、良いだろう。その二人にはこのままウイルスを突き止めてもらおう。それで……君のことは誰にもバレてないね?」

「もちろんです。私の正体がバレた時は……覚悟しています」

「良かろう。くれぐれもバレないように行動してくれ。君が、私が派遣したスパイだとバレては困る」

 雅子は深く頷いた。

「では、幹部たちの状況は?」

「隊長・高田は順調に生存者たちをまとめています。誰一人、施設概要について気付いたものはいません。副隊長・相良も彼の手足となり、業務遂行を。残りの隊員も同じく」

「そうか、分かった。今度は何日いるんだ?」

「三日を予定しています。三日後の朝、隊員が迎えに……」

 大道寺は「なら、ゆっくり休め」と雅子に声を掛け、議事堂の地下にある自分専用のシェルターへ通した。

「ここなら、簡単に見つかることも無い。おまけにベクターに怯える必要もない……だろ?」

 雅子は笑顔で返事をし、大道寺を外へ出した。長く深く息を吐きだし、ベッドで体を静める。今までの疲れが飛んでいくように、体が軽くなる。

「さすが、総理大臣ね。ベッドまで特注か」

 雅子はトランクケースを開け、パソコンを取り出す。そして起動させた。画面には施設の様子が映し出されている。映像枠の右下には【Institute For Global Relife】と書かれている。

「みんな、ちゃんとやってるわね……」

 キーボードを操作し、次々に画面を変えていく。ボタンを押す手が止まり、画面に釘付けになる。そこにいたのは真理子だった。

「マリちゃん……」

 雅子は哀しげな声で、真理子の名前を口に出す。あれから、一度も顔を見ていない。体調はどうなのか、食事はきちんと摂れているのか、眠れているのか。雅子は真理子に尋ねたかった。しかし自分の立場上、簡単に施設内を動くことは出来なかった。

 画面の中の真理子は、分析を続けている。その隣で西条も分析をし、時々真理子を手伝ってやっているのが見えた。

「西条くん……マリちゃんを頼むわね……」

 雅子はまた画面を変え、コントロールルームに切り替えた。三台の大きなモニター、たくさんのパソコンが目に入る。その中央に見えたのは高田の姿だった。

「さあ、これからどうするの……?そろそろ時間よ……」

 雅子は腕時計を見たのち、画面に視線を移した。

 

 高田は中央モニター横の時計を見る。針は一四時を指していた。

「放送を掛ける。場所は調査班だ」

「了解!……準備できました」

 高田はインカムを装着し、手元のボタンを押す。

「調査班に告ぐ。隊長の高田だ。モニターを都市部に切り替えろ」

 調査班の部屋では、彼の放送に従いモニターを切り替えていた。画面に映し出されたのは、死の街と化した市街地だった。部屋にどよめきが起こる。目の前には全身緑の水疱で覆いつくされ、まるでゾンビのように歩く感染者の姿だった。

『都市部に切り替えたら、二時の方角を拡大だ。非感染者の姿が確認できたか?』

 調査班主任・三浦は部屋に常備されているインカムを装着した。

「隊長、三浦です。今、インカムを着けました。直接お話しできます」

『了解した。私はこのまま、スピーカーで話す』

「隊長、二時の方角に非感染者が三名確認できました。どうしますか?」

『保護班と制圧班に放送を掛ける。現地に赴き、非感染者の確保を要請する』

 そこで放送は途切れた。三浦はメンバーに指示を出し、次の準備へと取り掛かる。高田は保護班、制圧班に放送を掛ける。

『保護班・制圧班、聞こえるか?高田だ。チーフはインカムの装着を。新たな生存者が確認された。場所は後程知らせる。直ちに救出準備に取り掛かれ』

 彼の放送後、保護班・制圧班は慌ただしくなった。

「感染者に対する防御は今朝、訓練した通りだ。実践が速くなっただけだ」

「いや、でも……俺たちはチーフみたいに強くはないし、戦いなんてそんな……」

「大丈夫だ、波田はだ。君たちはあの中を生き延びた。救助が来て安心しただろ?あそこにいる生存者も俺たちのことを待ってる。俺たちが助けに行こう」

 熊田は怯えるメンバーを落ち着かせていた。ついこの間までは、普通の会社員をしていた人間が今は、得体の知れないゾンビと戦おうとしている。これは普通では考えられないことだった。怯えるのも分かる。

「隊長、準備が出来ました。いつでもいいですよ」

『分かった、熊田。……保護班は準備できたか?』

 保護班でも準備が進められていた。

「いい?装備は外れないように気を付けて。プロテクターは強く締めて。インカムはお互いの声が聞こえる?準備が出来た人から挙手」

 海野がそう言うと、次々に手が挙がる。強く頷き、彼女は声を掛けた。

「できるだけ離れないこと。間隔は狭く取って。常に一緒に行動し、お互いを確認すること。そして私から離れないこと。いい?……隊長、保護班準備完了です」

『保護班・制圧班はエレベーターホールへ移動開始せよ。地上へ出たら、連絡を。以上』

 高田はそう告げると、放送を調査班へ切り替える。

『保護班・制圧班が地上に出る。各隊員のICチップを連動・監視せよ』

「了解。……みんな、始めて」

 三浦の合図で、一斉にパソコンを操作し始める。静かな部屋に緊張感が張り詰め、パソコンの音だけが響き渡る。

 そろそろ地上に出た頃だろうか。高田は時計を確認する。

『隊長、制圧班の熊田です。今、保護班と合流して地上に出ました』

「ヘリがあるだろう。熊田、もちろん操縦できるな。現地へのナビを開始する」

『了解』

 熊田は全員をヘリへと搭乗させ、助手席には海野を乗せる。

「海野、シートベルト締めろよ」

「言われなくても分かってますよ。そっちこそ、安全運転でお願いしますよ」

「任せろ、ヘリは俺の相棒だ。じゃあ、行くぞ……」

 彼は操縦桿を力強く握ると、ヘリのローターがスピードを上げて回転するのを待った。「よし……」と小さく言うと、操縦桿を手前に引く。すると、機体はゆっくりと上昇し始めた。無事に空へと飛び立った。

「こちら、海野。隊長、聞こえますか?」

『ああ、聞こえる。今からナビを開始する』

「了解です」

『場所は北緯、三四度・四一分・一一秒、東経、一三五度・三一分・一二秒』

「了解。すぐに向かいます。到着後、また連絡します」

 熊田は、海野が復唱する緯度を打ち込んでいく。目的地が画面に表示される。場所は旧大阪府庁を示していた。ヘリは目的地に向かって、青く広い空を飛んでいく。

 黒煙が残る市街地。ヘリは高度を保ち、空から生存者を探す。

「……見えた。あそこだ!あのスーパーのところ」

「あ、ほんとだ。一〇時の方角に生存者が二人います。……もう一人は?」

「分からない。とりあえず、呼びかけよう」

 海野は地上にいる生存者に呼びかける。

「スーパー前にいる二人、聞こえますか?救助に来ました!すぐ先にある広場へ走ってください。そこで救助します!」

 生存者は空にいる海野たちに気づき、手を振る。ここにいるぞと、声を上げながら助けを求める。隊長の報告では生存者は三人だったはず……。一人いないのはどうして……?彼女はもう一人の生存者を探す。しかし、どこにも見当たらない。もしかして、自分たちが来るまでに一人やられてしまったのか……?そんな考えが頭を過る。

 ヘリはゆっくり高度を下げながら、広場へと着陸した。

 シミュレーション通りに隊員たちは動く。制圧班は生存者と隊員を囲むように立ち並び、辺りを警戒する。

「隊長、現場到着しました。現在、周りに感染者はいません。また、生存者ですが二名しか確認できません。そちらから見えますか?」

『了解した。こちらからも生存者二名のみ確認。残り一名は未確認』

「了解です。また離陸時に連絡を」

 熊田が高田への通信を断ったあと、海野は生存者の前に歩いていき、言葉を掛けた。

「よく、ご無事でした。これから、皆さんの感染の有無を確認させていただきます。口を開けてください」

 保護班は簡易迅速検査薬をバッグから取り出し、生存者の口内に綿棒を擦り付け唾液を採取する。その綿棒を滅菌PPチューブと呼ばれる、ポリプロピレン製の試験管に入れる。

「感染しているなら青に、感染していなければ透明のまま……」

 海野は容器を軽く振り、反応を待つ。その間、僅か一分ほどだがその場にいる全員には長く感じられる。結果は二人とも透明のまま。

「二人とも感染してません!すぐ、ヘリに乗ってください。あ……もう一人は?」

「……ケガをして……スーパーの中にいるんです。自分たちは助けを呼ぼうと外に出てきて……」

「あの子、ケガが酷くて動けなくて……」

「ケガですか……具合は?どこにいます?俺たちが行って連れてきますから」

 生存者の一人が「足を折って、見えてるんです……骨が。今は多分、レジ横にいると……」と答えた。熊田はそれを聞くと、制圧班の見崎、下山と保護班の一人、加藤を連れてスーパーの中へと入っていった。

「私たちは先にヘリに乗っていましょう。彼らが戻ってきたらすぐに離陸します。さあ、早く乗って……」

 海野は全員を乗せると、ヘリの横に立ち、熊田たち四人が戻ってくるのを待っていた。それから数分後、脇を抱えられた女性と共に彼らが戻ってくる。ここへ連れてきたと言うことは、非感染者だと言うことだ。

「……良かった。全員無事なのね。早く帰りましょう」

「ああ。熱もないし、折れてるだけのようだ」

 見崎と下山に抱えられ、席に座らされた女性は、痛みの為か時々顔をしかめていた。海野は「本当に感染してなかったのよね?色は変わらなかったのよね?」と加藤に尋ねた。

「だ、大丈夫です。ちゃんと確認しました……。色は変わってません……」と彼は答えた。海野は頷くと、肩を優しく叩いた。

「隊長、生存者三名確保しました。今から戻ります」

『了解。生存者三名の受け入れを整える。……気を付けてな』

 ヘリは再び高度を上げ、空高くへと上がっていく。

「もう安全なんだよな……」

「……もう逃げなくていいんだ……」

 生存者二人は、窓から地上を見下ろし、そう呟いた。自分たちも助けられたときは、この人たちと同じ思いだった。救助されたときのことを思い出しながら、隊員は生存者たち三名を見ていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る