白南風

シェンマオ

第1話

 街のバザーではたくさんの花が店先に並べられていた。シハラでは全国から幾つもの花が集まる。バラ一つを取っても色、種類を数えているだけで目が回ってしまうくらいだ。

 ブルースター、ベロペロネ、シレネ……人の波を縫うようにして歩きながら、少女は花の名前を目で追っていった。頭巾を被った売り子の女性たちが威勢よく声を張っているのも聞きながら、世の中には実に沢山の花がある事を少女は知った。

 この世に生まれて僅か十数年、名前も全然知らないような花ばかり。華やかな物から毒々しい物。誰にでも好かれる可愛らしい物からその辺に生えている雑草のような物まで、色とりどりの花を見ているうちに、いつの間にか少女は街を見て回るのが楽しくなっていた。

 真っ直ぐ続いていたバザーを抜けると街の広場に出た。中心に置かれた大きな噴水からは、二本の水柱が立っており、隅々には凝った装飾が成されている。少女にはその凄さは分からない。ただ、何となく時間を掛けて作られた事だけを察しつつ、縁の隅に腰を下ろした。空高く昇った太陽がさんさんと照っていて肌が少し汗でベタつくが、時折吹く風が気持ちいいおかげであまり悪い気分はしない。


 噴水の縁に座り、水を指先で弄びながら街を行き交う人々を見るとはなしに見ていると、少女のすぐ隣に誰かが腰を下ろしてきた。突然の事に驚いた少女は(もしかしたら父が母が追いかけてきたのかも……)と考えて少し身構えた。

 恐る恐る隣の人物の顔を仰ぐと、それは見た事も無い若い少年だった。顔つきからして歳は十五、六程度だろうか。白い長袖のシャツにすね丈のズボンという服装で、くすんだ赤毛はクルクルと渦を巻いている。

 その下に大きな薄青色の瞳が隠されていて鼻周りにはうっすらとソバカスが出来ているが、日焼けしているせいかあまり目立たない。

 上背がある為か、座っていても少女とは頭一つ分高さが違っていた。少年は座ってから一息つき、ようやく隣の少女の存在に気が付いたのか、驚いたように今日の空のような薄青色の目を大きく開いた。

「わぁ、ごめんよ。断りもなく座ってしまって……」

「い、いいえ。大丈夫です」

 二人は口をつぐみ暫し静寂が生まれる。噴水の音と、やたら遠くに聞こえる人々の話し声。少女はこの気まずさを紛らわす為に何か話すべきだろうかと足元の石畳に視線を落とし、必死に頭を巡らした。

「ねぇ君、どこから来たの?」

 先に口を開いたのは少年の方だった。その表情は驚きから好奇心に色を変え、穏やかな笑みを浮かべた目には真っ直ぐ少女の姿が映し出されていた。

「えっと、北の方。です」

「北かぁ。どうりで肌が白いと思った」

 少年はそう言うとおもむろに自身のシャツを腕まくりし、小麦色に焼けた肌を少女の手にそっと近づけた。確かに少年に比べ少女の肌は随分と白く、歩いているだけで汗が浮かぶ温暖なシハラの街にはあまり似合っていない。

「父と母と来たんです、けど、本当はもっと南に行く予定だったんです。それなのに……」

「あぁ〜、無理やり連れてこられたんだ。そうだよなぁ、子供にはあんまり楽しくない街だしね」

「私別に子供じゃないです……まぁでも、色々見て回ってみて。思ったよりずっと素敵な所ですね。ここ」

 少女はここに来るまで見た時計塔や、バザーでの光景を想いながらポツポツと言葉を紡いだ。

 知らない花や見た事の無い景色を何かに例えるのは難しい。ましてや少女の僅かな語彙では満足いくような説明はとてもできない。それでも少年は口を挟む事無く、時折深く頷きながら黙って少女の感想を聞いた。

「――それでその、父と母にも謝らないと。って」

「うん、そうだね。それが良いよ」

 話しているとすっかり気も晴れ、少女は思わず大きく伸びをした。んんっ、と声が漏れる。と―――

「わっ」

背を反りすぎてバランスを崩した少女の体が後ろへと転げる。尻が宙に浮き、


 そして止まった。落ちる先は噴水なので、来るであろう水の冷たさに対し目を瞑り身構えていた少女は、やがてゆっくりと目を開け自分が少年の腕に支えられている事に気が付いた。少年は両腕を使って少女の体を引っ張り上げ、そうっと少女を石畳に立たせた。

「大丈夫?」

 そう訊ねてくる少年の顔は何処か嬉しそうで、それでいて得意げな雰囲気を感じさせた。胸を反らし、今度は彼の方が後ろに転げてしまいそうな程だ。

「なんでそんなに嬉しそうなんですか?」

 少女が訊ねると、少年は顎に手を当てうぅんと唸り何事か悩んでみせた。少しして顔を上げ、やはり笑みを浮かべながら「小説みたいな事が出来たから?」と言った。それを聞いて少女はつい噴き出してしまい、笑う彼女を見て少年もまた声を上げて笑った。様々な音が飛び交う広場の中で噴水の音に呑まれながらも、二人は楽しそうに笑っていた。


 太陽の軌道が段々と下りに差し掛かる頃、少女と少年は二人メインストリートの外れ、人気の少ない川沿いの道を歩いていた。少年の申し出で少女の両親が見つかるまで同伴する事になったのだ。

「君一人で歩かせたら、その辺で躓いて転んでしまいそうだしね」

「だから私はそんなに子供じゃありませんから、もう」

 頭一つ分は背丈の違う二人が並んでいると、どうにも年の離れた兄弟のように思えて、それが不服なのか少女は言葉と共に少年の脇腹を小突いてみせた。対する少年は絶えず楽しそうにしている。

「……はぁ。あ、そういえばさっきお花屋さんで何を買ったんですか?」

「そりゃもちろん花だよ。とびっきり綺麗なやつ、ほら」

 少年はそう言って手に持っていた花を少女に差し出した。丁寧にラッピングされたそれは向日葵の一輪挿しで、尻尾には水漏れ防止の銀紙が巻かれている。眩しいまでに黄色い花弁は、風に揺られる度にこれから来るであろう暑い夏を想起させる、ひなたの香りがしていた。

「大事にしてくれるかい?」

「……うん、大事にします」

 少女が頷くと少年もまた満足そうに頷き、それからふと足を止めた。受け取ったばかりの向日葵に見とれていた少女は隣に少年が居ないことに気がつき、慌てて振り向いた。すると少年は何やら壁に指を差しこっちこっちと、少女に合図を送っていた。

「なに、なんですか?」

「ここ、あんまり観光客は来ないんだけどさ。どう、結構綺麗だろう?」

 少年が指差す先にはやはり壁があり、何があるのかと少女が目を向けると―――そこには大きな翼が生えていた。白を基調に、様々なカラースプレーを使い構成された大きな翼が壁一面に描かれていた。

 周りには街特有の沢山の花もまた描かれており、まるで一枚の絵画のような光景が広がっていた。

 地元の人間しか知らない、隠されたフォトジェニック・スポット。もしここに父や母がいれば大喜びでカメラを向けただろうな。と少女が両親二人の顔を頭に思い浮かべた、その時だ。

「おぉい、おぉい!」

 遠くから父らしき声が聞こえた。何処からか聞こえたのかと少女が必死になって辺りを見渡していると、隣の少年が不意に「あっ」と声を上げた。それに釣られて視線を向けてみると、確かにその先に父と母が走ってこっちに向かってくるのが見えた。

「さ、探したのよ! 急に居なくなるんだから……」

 少女の元に辿り着き、疲れのあまり肩で息をしていた母はおもむろに自分の娘を抱き締め、それから麦わら帽越しに少女の頭を優しく小突いた。父もその上から抱きついてきて、少女は息苦しさに身悶えしながらも、両親の愛に包まれるその居心地の良さを存分に堪能した。

「勝手に居なくなってごめんなさい」

「うぅん、私たちも悪かったね。君、娘を見ててくれたのかい? 本当にありがとう」

「いえ、僕はなにも……へへ」

 少女の父に握手を求められ、気恥ずかしそうにしながらもそれに応えた少年は、少女に「じゃあね」とだけ言い来た道を引き返していった。その背中に寂しさを覚えた少女だったが、シハラの街にはまだ数日滞在する。だからきっとまた会える。そう信じて「またね!」と少年に大きな声で呼び掛けるだけに留めた。

「それにしても、実に見事なグラフィティアートだなコレは……あぁ、そうだ」

 何を思い立ったか、父はいつまでも少女を抱きしめ続けている母を無理やりひっぺがし、キョトンとしている少女を壁に描かれた両翼のちょうど真ん中に立たせた。するとまるで小さな少女の背から大きな羽が生えているように見え、天から降りてきた天使のようだと父は呟き、体に提げていたカメラを構えた。

「あら、貴女何を持ってるの? 向日葵?」

 母に聞かれ、少女はつい隠すように花を後ろ手に回した。向日葵を、それを見て嬉しそうな顔をする自分を見られたく無くて、つい麦わら帽で顔を伏せてしまった。

 父がカメラのシャッターを切ろうとした瞬間、街に一陣の風が吹いた。梅雨明けの時期に吹く南風はいたずらに少女の帽子のつばを揺らし、その奥に隠された真横に結んだ口元や、照れと見栄の入り交じった微妙な表情をカメラレンズに映すのであった。


▷▷▷


 時は経ち、とある美術館。一人の少年は一枚の絵に目を奪われていた。手には館のパンフレットが握られており、そこには「白南風」と銘打たれた作品の説明や、作成に至った経緯などが細かく書かれていた。麦わら帽を深く被った少女が花に囲まれるその絵は今よりずっと昔、ずっと遠くで撮られた写真を基に描かれたらしく、見ているだけで街の情景や風の匂いを感じさせる。

(綺麗だなぁ……)

 耳が痛くなるほど静かで、荘厳さすら感じさせる館内にはこの他にも沢山の絵画が展示されている。しかし少年の足はピタリと止まったまま、白南風の前から動こうとしない。

 一生の内、本当の出会いというものは何度あるだろう。少年は自身の心を打つ一枚の素晴らしい絵画に出会えた事を心から喜び、目を瞑り再び余韻と悦に浸り入るのだった。

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白南風 シェンマオ @kamui00621

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