面倒なんか見ないけど

 少し長い夢から目が覚めると、知らない天井の上だった。


「あれ、俺、昨日…」

 仰向けのまま、回らない頭でゆっくりと昨日の記憶を辿る。

 家を出てから、マリーとお酒飲んだあと、力が抜けて…確か、俺は人質にされていたはずだ。


 だれの?

 真夜さんの人質だ。


 だから、俺が無事ならあの人は…と、そこまで考えてコハクはハッと飛び起きた。


「真夜さんだめだ!」


 すると、すぐ近くで黒い何かが動いた。

「んん…コハクおはよう。よく眠れたかしら?」


 コハクの声で、ベッドの脇でうたた寝をしていた真夜も起きたようで、むくりと顔を上げ、少し重たそうな眼で、微笑んだ。


「あれ、捕まってないんですか…」

「…あの子とは好い仲だと思ったけど、コハクは人を見る目がまだまだね」


 私が迎えに行かなかったらどうなっていたことやら…と窘め顔の真夜に、コハクは目をパチクリとさせた。

「迎えに来てくれたんですか?」


 真夜はそれにも答えず、コハクの入っている羽毛布団を撫でながら、「荷造りしてたらね」と話し出した。


「どこに何があるかわかんなくて、全然準備ができなかったの」

「へ?」

 コハクは首を傾げたが、真夜はそれには構わず続けた。


「後、シチューの隠し味もまだ教えてくれてなかったでしょう?」


 わたし、あのシチューが好きだから、聞いてからじゃないと出て行けないと思って…と話す真夜に、コハクは要領を得ない様子で、さらに首を傾げた。

「えっと…真夜さん、どういう…?」


「だから、呼びに行こうとしたの」

 真夜はコハクの被っている布団から飛び出た羽毛を、ひたすら抜きながら、淡々とつぶやく。


「そしたら、ボロボロになったコハクがいたから、とりあえず拾って来たの。」

 俺は猫か。そう思ったが、そういえば、元々そんなもんだった。


「あの子もお友達も、あんなひどい人たちだなんて、知らなかったわ」

「友達じゃ、無いです。」

 答えながら、夢だと思っていた昨日の記憶が蘇った。

 あの男の形相と拳の勢いを考えると、絶対に顔の骨は折れてると思ったのに、どこも痛くない。きっと真夜のおかげだろう。

 

「真夜さんの正体、僕のせいでバレたのに、助けてまでもらったんですね…」

「手伝ってもらう為に拾っただけよ」

 コハクはバツが悪そうに謝るが、真夜はこれっぽっちも興味がないという風な様子で返事をした。


「僕を人質にして、真夜さんを捕まえるつもりで、狩人まで呼んでいたみたいなんで…。片付けが終わったら、真夜さんはとにかく遠くに、」

 僕も追いつけないくらい遠くに逃げてください、そう言いたかったのに声が出なかった。

 言い直そうと息を吸った時、真夜が、羽毛を抜く手を止めて、コハクに聞いた。


「人質になれなかったコハクは、」

「え?」

「人質になれなかったコハクは、街に戻ったらどうなるの?」

「中央の狩人を納得させるために、魔法使いとして突き出されそうなので、近くの街に逃げます。」

 一人の生活に耐えるくらいなら、逃げるよりも捕まった方がいっそマシかもしれない。きっと持ち込めないと思うけど、今度は本当の睡眠薬を作っておこう。コハクはそう思った。

 

 反応のない真夜の方を見ると、差してきた朝日のせいか、眉を寄せながら目を細めていたので、コハクは、彼女の視線の先にある部屋の奥のカーテンを閉めようと、彼女の反対側からベッドを降りようとした。


 すると、なにかにくいと引っ張る感覚がした。

 振り返ると、顔を伏せた真夜がコハクのシャツの裾をつかんでいた。


 どいうことかと顔を見るが、俯いている彼女の表情は見えない。

 見えるのは、前髪に型がついて、あらわになったおでこのシーツの赤い跡くらいだ。


「真夜さん、どうしました?」

 とりあえず、コハクが布団の中に戻って、真夜の方へ向き直ると、俯いたまま、真夜はコハクに問いかける。


「死んじゃうくらいなら、うちに来る?」


 その言葉を聞いた時、『忘れたくないもんね』と、そう思ってもらったばかりのノートに残していた、今よりもっと日差しが強い、ある日の風景がコハクの中にふと蘇った。

「行きたい…です。」

 迷惑をかけてしまった自分にはこれ以上一緒にいる資格はないと思っていたが、それでも、コハクは気づいたらコクリと頷いていた。


「面倒なんか見ないけど」

 予想通りの言葉言葉に、コハクは、思わず笑みをこぼした。そして、真夜の額の赤くなった場所に唇を寄せて、同意の言葉を伝えた。

「大丈夫、面倒は僕が見ますよ」


 すると、コハクはピリっとした痛みを口に感じた。

 その痛みの正体に思い至った後、コハクはずいと、真夜に詰め寄った。


「……ねえ、真夜さん。昨日の魔法、といてもらってもいいですか?」

 そういってさらに顔を近づけると、真夜に手のひらで顔を押さえつけられた。

「うるさい。かけてなんか無いの知ってるくせに」

 当たり前だ、今もこんなに好きなのに、嫌いになる魔法なんかかかってるわけがない。でも、コハクは今、猛烈にキスをする口実が欲しくなった。


「いや、きっとかかってる気がする。と言うか、かかった体にして解いてくれません?」

「なんか勢いが怖いんだってば…」

「真夜さんが可愛すぎるのが悪いんだって、ほら。」

 そう言って、コハクが挑発するように舌を出すと、少し固まった真夜は、顔を真っ赤にして物理的にコハクを黙らせた。


 またもや薄れゆく意識の中で、コハクは少しだけ「でも、止めてくれてよかった」と思った。

 彼女の心からの願いも、暴力的な照れ隠しも、何もかもが愛おしくて、めちゃくちゃにキスしてしまいたいのを、我慢できなかっただろう。



 再び、意識を取り戻したコハクは、伸びをして、少し痛む首をさすりながら真夜に質問した。

「ちなみに、ここってどこなんですか?」

「シャルムの三番目の隠れ家」

「え、あいつの家なら…すぐに出ましょう」

 慌てたコハクが真夜の手を掴むと、ちょうどのタイミングを見計らったかのように、シャルムの声が扉の向こうから聞こえてきた。


「朝ごはんのマフィンとクッキー焼けたよ〜」

 すると、鼻と空腹を刺激する、悔しいけど大好きな香りが辺りに漂ってきた。


 思わずコハクのお腹が鳴ってしまい、くすくす笑った真夜が掴まれた手をぐいとひっぱり、コハクをベットから引きずり出した。

「出て行くのは朝ごはん食べてから、クッキーと一緒に紅茶飲んで、片付けが終わってからね。このクッキーだと、あのあっさりした紅茶、飲みたいんだけど…どの箱にしまってたかしら」

「はいはい」


 簡単に身支度を済ませた後は、目当ての紅茶の缶を持ちながら、朝日が差し込む無駄に長い廊下を、二人で並んで歩く。

「今度は、本当に飽きるまで一緒にいてくださいね」

「仕方ないわね」


 コハクは、久しぶりに朝日の眩しさが心地よいと思えた。

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