【幕間】私のかけら
カナリアの天秤
「お前は魔法使いになって後悔してるか?」
人里離れた小高い丘の端、森の入り口にある一軒家の一室で、真夜が枕元の花を換えていると、ベッドに横たわる老魔女は静かに問いかけてきた。
「え?いいえ。力を呪ったことは何度もあるけど、魔法使いになったことは、感謝しています。」
長い付き合いの中で、初めてされた問いに少し戸惑いながらも、本当の気持ちを返すと、噛み砕くようにうなずき、独り言のようにつぶやいた。
「そうか、私は後悔だらけだ」
「師匠が?」
「自分の子供や孫を何人も見送るのは辛かったなぁ」
「そう…ですか。」
師匠には娘がいた。彼女が魔法使いになった後も、普通の生活を選んだ夫と娘には、厳重に魔素よけをかけて、最期まで魔法使いにしなかった。
そして、彼女はその後一人で、娘の子孫たちを正体も明かさずに見守り続けた。
「師匠が庇った身重の女性、もうすぐ臨月ですって」
「そうか…よかった。」
真夜は花瓶に挿した花のバランスを見ながら静かに言った。
「天秤のもう片方だって…沢山乗っていたんじゃないですか。」
「そうだな。最期は反対に傾いてくれそうだ。」
「思い出させてくれてありがとう」と真夜に笑った数日後、真夜を魔法使いにした魔法使いは、息を引き取った。
魔法使いの体は、その人が死んでしばらくすると消えてしまう。
だから、人間が行う葬儀もなく、彼女の夫と娘が眠る墓の中に、彼女のかけらは何も入っていない。
だから、真夜は故人の体の代わりに、彼女を構成していた品々をなるべくここに集めてあげたかった。
亡くなる直前にした話、今までの思い出、できなかった恩返したち、そんな彼女に対するさまざまな思いを消化したくて、真夜はなるべくゆっくり師匠の遺品を整理をした。
その中で取り戻した師匠の家には、いろんな魔法使いが立ち寄る。時には遺品回収を手伝ったり、師匠の過去の話をしにきたり、どこにも残っていない彼女の身体の代わりに、遺品が集まるこの場所に立ち寄っては、真夜と同じように、想いを消化していた。
同じように久しぶりに立ち寄ったバイオレットは、故人が最期まで気にしていたことを教えてくれた。
どうやら、師匠が逃した女性は、遠縁を頼って身を寄せた後、ちょうど師匠が亡くなった日に、無事に出産できたらしい。見てきたバイオレットによると、彼女によく似た子だったらしい。
「そうなのね、よかった」
「口うるさいのもいなくなったし…あの子が年頃になったら口説きに行こうっと。」
パンツスーツに身を包んだバイオレットは、そんなことを言いながら、魔法で墓石を浮かせ、何かを師匠の家族の墓に入れた。
ずれないよう、墓石を再び元の場所に収めたバイオレットは、ジャケットの内ポケットから出した手紙を真夜に渡した。
「そういえば、昨日、シャルムがあの子からの手紙も持ってきたよ」
「あ、ありがとう…」
「シャルムがよく、面倒を見てるみたいだよ」
「ほんと?ありがたいけど、悪い遊びを教わってなきゃいいんだけど」
「じゃあ、早く帰んなさい。あの人の遺品の回収だって急ぎじゃないのに」
「いやぁ、師匠には、心配かけたから、最後くらいは恩返ししたくて」
バイオレットの言葉に、真夜はぽりぽりと頭をかいて苦笑した。
「それだけじゃないくせに」
バイオレットは、するりと真夜の首に腕を絡ませた。
「な・・・そんなことないわよ!」
ムキになって振り解こうとすると、パッと腕が離れた。
「まあいいや、回収も後何個かで終わりでしょう?」
「うん、難しいのは、中央の司祭の執務部屋に保管されているものと、東の国の貴族の家でコレクションになってるやつくらいだから、そんなにかからないと思うわ」
「あの司祭ってばすごい男前らしいわね、私もいーこうっと」
「手伝ってくれるの?」
「ううん、口説きに行くの。回収はついで」
バイオレットの下手な友情表現に笑いつつ、真夜はありがとうとお礼を言った。
「早く会いたくなってきちゃった。準備してくるから、男前の司祭は今夜の月が出た頃に訪問しましょう」と言って、バイオレットは手を振りながら歩き出した。
真夜はバイオレットにもらった、コハクの手紙を読み始めた。
厄除けなのか虫除けなのか、かすかにローズマリーの香りがする。
「あらこの香り…あの子にとっちゃ、魔女は悪魔じゃなくて、守られる側なのね」
ふふと真夜が笑う、と、去ったはずのバイオレットがすぐ後ろで首を傾げた。
「それだけかしら」
「あら、バイオレット!おめかししにいったんじゃないの?」
「小腹が空いて…今から行ってくるわ。あ、落ち合うのは教会の門にしましょうね」
バイオレットは自分で備えていた御供物のお菓子を取って、今度こそ去って行った。
真夜は、バイオレットの気配が完全になくなったことを確かめてから、ため息をついた。
ここにくる前、コハクの身長は日に日に伸びて、声も低くなっていた。
心を乱すような音を聞くのが怖くて拒否しても、鈍感な真夜には、コハクが伝えたいことしか分からなくて、彼が何を考えているのかも分からず、別人のように遠く感じてしまう。
変わっていくコハクの様子や、大人びた振る舞いに慣れるには正直時間が全然足りていない。
「今で二カ月くらいかしら…」
この二ヶ月でもさらに身長は伸びて、いろんなことを吸収して、性格も大人に近づいているのかもしれない。
帰ったあと、彼に、どんなふうに接すればいいのか、わからなかった。
そして、その接し方に、決定的な結論を出す時、今までのように暮らせないことはわかっていた。
「でも、あれ家に置いたままだしな…」
置いてきた十年時計の針は着実に進んでいることに気づかないまま、真夜は家に帰るための言い訳と、まだ家に帰らなくていい言い訳を自分にし続けた。
そして、どこへ行っても…
「あ、この国の置物、昔引っ越しの途中で見かけてあの子欲しがっていたわね」
「そういえば、2つ隣の国に、美味しいチーズがあったわ!あれも一度は食べさせてあげないと!」
「あ、あれも買わないと…もう少しくらい寄り道したって一緒よね」
まだ会いたくない。
でも、考えるのはあの子のことばかり。
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