黄色の置き手紙

 その夜、真夜は手毬を手で弄びながら、ぼうっとベッドの上でほうけていた。


 久しぶりに聞く鈴の音は、心が落ち着く。


 あの時は心を乱されるのが嫌で、つい拒否をしてしまったが、やっぱりこの音は綺麗だな、と真夜は思った。


 その時、不意に頭の中で意地悪な質問が頭に響いた。 

『好きな音がいつでも聴けるなら、音の聞こえないコハクをいつまでも置いておく必要はあるの?』


 やっぱり、脳内のシャルムがにやにやと意地の悪い顔で、聞いてくる。

 思わず脳内で物理的に黙らせてから、一人で問答する。


「別に音だけじゃないもの」

 ーじゃあ、何で一緒にいるの?


「シチュー、店番、薬屋の手伝い…」

 ーへえ、随分便利なんだね。


「そういうんじゃない」

 ーじゃあどういうの?


「言いたくない」

 ーわがままだね。


『手毬があるなら、魔法を使えば身の回りのことを全部できる君が、音の聞こえないコハクをいつまでも置いておく必要はあるのかい?』

 シャルムの問いが、言葉を足して再び再生される。


 その声をかき消すようにフルフルと手毬をまた降ると優しい鈴の音が鳴った。この音が本人から聞こえた最後の日に、答えを先に延ばした判断はずっと、真夜の心を隅で突いてくる。


「まだ決められない…」

 フルフルと手毬を振る。


 紫の針がてっぺんにくるまでには決めよう。と手毬に一方的な約束を取り付けた後、真夜はベッドに横たわった。


 その後しばらくして、ちょうど隣の部屋のコハクも寝息を立て始めた頃、真夜は窓をコツコツと何かが叩く音で目が覚めた。

 寝ぼけた目を擦りながら見ると、コウモリが手紙を咥えていた。



 その手紙を見てすぐ、真夜は飛び出した。



 翌日、魔女は消えていた。



「師匠、おそいなぁ」

 コハクは、朝ごはんの匂いがしても起きてこないことを不審に感じ、寝室に向かった。

 コンコンコンとノックをするも、反応がない。


 昨日は随分と飲んだのだろうか。真夜の限界の量ではないはずだが、ここ最近は酔い潰れるほど飲むことがなくなっていたので、少しの量でも意外ときていたのかもしれない。


「もう、師匠ご飯先に食べちゃいますよー」

 久しぶりに寝室に入る緊張を誤魔化すように、敢えて明るい声を作ったコハクは、扉を開けて、笑顔のまま固まった。


 部屋には誰もいなかった。 


 ベッドには、リスのように丸くなって寝ているはずの魔女はおらず、ローブも遠出用の滅多に使わない箒も、お気に入りの鞄も…手毬も無くなっていた。


「師匠…真夜さん?」


 痕跡を確かめるように触れたベッドは既に冷たく、コハクと同じ石鹸の香りがかすかにするだけだった。

 ベッドサイドには黄色い紙があり、表には『少し出かけます。ごめんね。』とだけ走り書きされていた。

 その走り書きの滲みに裏を返すと、こちらにはもう少し長い文章が『身代わりのカナリアが狩人の籠に。枯れぬ歌は姫に捧げられ、雛菊の日が沈む。』と細く赤い文字で刻まれていた。


 何回読んでも頭に入らない。

 ぼうっと手紙を眺めていると、黄色の紙はふわふわとした羽毛の塊に変わり、鳥のような形をして窓から飛んでいってしまったが、コハクは気にも留めなかった。


 しばらくすると、黄色の羽毛を髪や服につけたシャルムが来て、真夜は異端狩りに捕まった恩人を助けに向かったのだと、暗号の意味を教えてもらった。


 ただ、意味を教えてもらわなくともわかっていた。


『小さい頃のコハクはね、寝起きに私が居ないと泣きながらお漏らしをしてたのよ。』

 真夜が嬉しそうに話すエピソードの一つだ。

 彼女はその時のコハクを今でも笑う代わりに、夜はほとんど出かけなくなったし、どうしても一人でどこかへ出かける時は、昼も夜も用件を教えてくれていた。喧嘩した時でさえ。

 

 だから、真夜があれだけのメモでしか伝える時間がなかった事情が怖くて仕方がなかった。


 ただ、危ない目に遭いに行ってる真夜が心配で、それなのに、連れて行ってもらうどころか、追いかける手段も手がかりも何一つ持ち合わせてない人間の無力さをひたすら感じていた。

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