ワインと侵入者
扉を閉めた後、 真夜はゆっくりと階段を降りて、飲みかけのワインを置いたダイニングへ戻った。
「真夜さんみたいに助けたい…か」
目の前の本をめくり、コハクの言葉を反芻しながら、自分の過去を顧みると、矛盾だらけで笑ってしまう。
他人のために…なんて感情は長い間忘れていた。割と自分の好き勝手に生きてきたし、嫌なことがあれば、取り返しがつかないほど暴れたことだってあった。
変わったとすれば、コハクを拾ったからだ。
いつか私の元を離れたコハクが、人の街で馴染めるようにと、街に長く住むようになってから、いろんな人と関わった。
コハクと過ごした街では、なるべく普通の人を演じたし、怪しまれないよう、そして、コハクだけになっても受け入れられるように…そう考えていたら、昔のように感情のままに力を暴走させることはなくなったし、人にも少しだけ親切にすることができた。
数えられないくらい生きてきたほんの一瞬なのに、コハクに言われるまで我慢していたことを忘れていた。この生活が馴染みすぎて、魂までずいぶん丸くなったものだと思う。
真夜は自嘲しながら、空のグラスにワインを注ぎ直しながら呟いた。
「コハク、魔女なんて
「いや、深夜にワイングラスを傾ける魔女はなかなか魅惑的だよ」
突然聞こえた声に顔を上げると、シャルムが開けっ放しの窓の枠に寄りかかって立っていた。
「不法侵入は殺すわよ」
「物騒だなぁ、怖い怖い。」
口調と裏腹にへらへらとした顔のまま、戸棚のワイングラスを呼び寄せ、真夜の向かいへ座る。
「私の家で魔法使わないで」
「えー、不便だからやだよ。それより坊や喜んでたかい?」
ワインボトルが空中で傾き、シャルムのグラスへと注がれる。
「…泣くほど喜んでたわよ。本、分けてくれてありがとう」
「それはよかった。でもびっくりしたなぁ、女の子とデートしてたのにいきなり『コハクの誕生日プレゼントどうしよう?』だもん」
シャルムはおかしそうに笑ってワインを煽った。
「だって考えていたけど、何を用意すれば良いか分からなかったのよ。私だけじゃ間に合わなかったわ」
「お師匠さんの修行を真面目に受けないからだよ」
珍しく呆れた顔をするシャルムに、真夜は「あんたは真面目だったものね」とこれまた珍しく、素直に反省した。
「これでコハクも晴れて『魔法使いの弟子』だね」
「…魔法使いにするつもりはないのに、同じ仕事を仕込むのはひどいかしら」
「まぁ、時代や国によっては、薬屋ってだけで異端扱いされる厄介な仕事だけどさ…でも、まよって調薬以外に教えれることあんの?」
ぐっ…と詰まる真夜にニヤニヤとした顔で、コハクの手料理の残りをつまむ。
魔法使いにさせないなら、自力で生きれる力くらいは与えろ。
こいつはそう言いたいのだろう。そんなの、こっちだって分かってる。
「まよが読んでるの、コハクのノートでしょ。健気だよな、教えられる前から薬草や薬のメモをこんなに取ってるなんて」
「うん…知らなかったわ」
人間に正体を隠している手前、正体を知った人間を魔法使いとして仲間にしてしまうことは、そこまで珍しいことではなかった。
こんなに魔法使いに憧れてるのに魔法使いにしないのも、それでも正体を明かした上で一緒に暮らしているのも真夜の都合だ。
それをシャルムは分かってるから、真夜は居心地が悪かった。
「坊やがついてくるのを決めたけど、まよも離れないって選択をしたんだから、最低限の責任は持ちなよ。」
トントンとダイニングテーブルの古い落書きを叩く。
昔からこの男は、人の痛いところを突くのが本当に上手いな、と真夜は改めて思った。
人が詰まる姿を見ながらワインを飲む奴からは、ニヤニヤとした表情にぴったりな、シャラシャラと楽しそうな意地の悪い音が聞こえて、無性にイライラする。
「面倒臭い、早く出てってくれないかしら」
「どっちが?」
「あんたに決まってんでしょ、大体あんたまでこの街に着いてこなくてよかったのに」
「だって、二人を観察してたらおもしろそうだったから。」
ニコニコと笑うシャルムを真夜は、ジトっと
「悪趣味…て言うか、本当にもう帰って。明日も早いのよ。」
「やだよー、アドバイスのお礼のキス、まだ貰ってないし」
「何よそれ?」
「僕、まよのせいで、デートすっぽかした女の子に振られちゃったんだ。ねえ、慰めてよ」
シャルムはそっと真夜の頬に両手を添えて、鼻をキスするようにつけたまま、目を合わせてくる。真夜はため息をついて、シャルムの口に手のひらを重ねて拒否した。
「やめて、誰かの代わりになるほど安くないの。」
「かわりじゃないよ?」
「嘘つき、聞こえてんのよ」
それでも、なかなか帰らないシャルムを追い出した後、寝室まで行くのも億劫でソファに沈み込んだ真夜は、久しぶりに懐かしい夢を見た。
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