一番好きな魔法

 魔女さんはあたたかい。とコハクは思う。


 コハクの失敗にため息をついたり、わがままを怒ることも沢山あるけれど、その時も不機嫌そうな顔なのに声は優しくて。わがままだって、よっぽど無茶なものでなければ、叶えようとしてレシピ本と格闘してくれる。

 そんな魔女との生活はコハクにとって安心できるものであり、あの時、売られる前に魔女さんについていって良かったと本当に思っていた。


 でも、コハクは、日が経つたびに過去の思い出が、すこしずつ薄れてしまう事だけが怖かった。

 幼いコハクにはその恐怖の意味がわからなかったが、なんとなく自分の立っている場所が、ぐらぐらと崩れ落ちて、何も分からなくなってしまうような気がしたのだった。


 そして、不安はたびたび悪夢となってコハクを苦しめた。


「うぅ…」

 今夜も死んだ母や父、そして、残してきた妹の顔が黒い顔で現れて、『なんで忘れてしまったの?』とコハクに問いかけてくる。

『ちがう、おぼえてるよ』そう言いたいのに声がうまく出ない。

 コハクが何も言わないから、黒い顔の彼らは表情が見えないはずの顔を、どこか悲しそうに歪ませて、段々とコハクから遠ざかっていっていた。


 ダメだ。このままだと、みんなどこかへ消えていってしまう。

 

 焦りながらも、叫ばなきゃと大きく息を吸う。

 と、同時に急にクリアな声が聞こえた。


「コハク、大丈夫?」


 その声が聞こえた瞬間息が楽になった気がした。

 

 反射的に意識が引き戻されて、目を開けると、コハクのベッドに腰掛けた魔女は眉を寄せて、コハクを見つめていた。

「まよさん…」

「すごい汗よ、こっちおいで」

 コハクはよいしょと持ち上げられ、魔女に優しく抱きしめられた。背中をトントンとされているうちに、コハクは早鐘を打っていた鼓動が、少しずつ落ち着きを取り戻すのを感じた。


「またうなされてたけど、最近どうしたの?」

「あ、あのね…また、ぱぱとままと、さらの顔が黒くなって…」

 安心したはずなのに、説明しようとするとさっきの光景が浮かんできて涙が込み上げてくる。

 すると、見かねた魔女が「こっちで寝な」とコハクを抱えたまま立ち上がり、すぐ隣の自分のベットに運んでくれた。


「眠くなるまで、星の数でも数えてなさい」

「ぷらねたりうむ?」

 コハクの隣に寝転びながら、真夜はキスした自分の人差し指を天井に指した。すると、天井にはキラキラとした星がたくさん広がった。

「うわぁ、これまよさんの魔法のなかでいちばんすきー」

「ふふ、ありがとう」


 最初は爛々としていたコハクの目も、小さくチラチラと瞬く星を数えるうちに、すぐに重くなり、五分もするとすーすーと寝息が聞こえた。

 魔女は、今度は良い夢が見れるようにと、自分の額とコハクの額を重ねたあと、ささやかなまじないのキスをそこに落とした。

 そして、コハクに布団をかけ直そうとした時、彼から「…まだ忘れてないよ」と言う声が聞こえてきて、魔女は一瞬動きを止めた。

 だが、寝息は安定していてたので、どうやら悪夢ではなさそうだった。


 穏やかな寝息を確認した魔女は肩の力を抜いたが、今度は自分が眠れそうになくなった予感を感じてた。諦めた魔女は、そっと布団を抜け出し、ベッド横の机に夜明け近くまで向かった。

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