カナタノショコノカンリニン

 カナタノショコに足を踏み入れた訪問者の目に映ったのは、天高くどこまでも続くほどの本棚だった。一つや二つではなく、数え切れないほどの棚がこの空間に並んでいる。しばしの間、本棚群を観察していると自分の周りの感覚が少し違うことに気がついた。しっかりと地面に立っているつもりなのに、体を動かしてもまるで掴みどころがない。無重力とも、水中とも違う不思議な感覚だ。意識すれば浮くことができるようで、動かし方は感覚的にわかる。


 カナタノショコをめぐる。本棚に並べられていた物は様々なものがった。本は当然として、誰かが使っていたであろう私物、そして一枚からなる紙片も立てかけられていた。たった一枚の紙が自立している様子は本棚の中でも異質だった。とある作品を手に取り、この場所に入ってきた扉へと向かう。そういえば扉の後ろを確認していなかったと回り込む。すると、ソファとテーブルが置かれていた。


 いくつかの物語を読んでみる。読むのにもそこまで時間はかからない。しかし、読み終えて顔を上げると、見たことが無いような生き物たちが泳いでいた。魚のような生き物もいたが、他にも鳥や馬がこの空間を駆けていた。皆、本棚の間を縫うように進んでいるが時々頭をぶつけている子もいた。


 多くの生き物は訪問者に興味を示さない。しかし、どこからか視線を感じる。本棚の方に目をやると、可愛らしい小型の動物たちがこちらを見ていたのだ。突如現れた訪問者に興味津々といった様子で、何やら話し合っているのかなとも感じる。


 動物たちを見ていると、同じ方向から何やら足音が聞こえてくる。歩幅が広いのか、足音の間隔に間がある。本棚の隙間から現れたのは青年だった。黒い皮のブーツを履き、手に本を持っている。彼はゆっくりとこちらに近づいて来た。そして、訪問者の目の前に止まると一つお辞儀をする。


「これは珍しい。初めまして、訪問者さん。僕はエリム。ここカナタノショコの管理人です。管理人と言っても特別なことはしていないのですが」


 エリムと名乗る彼はカッターシャツと黒いズボンという服装も相まって大正時代の雰囲気を醸し出しているが、現代の大学生のようにも見えた。丸眼鏡が似合いそうで、本を持っているだけでも様になっている。彼は他にも何か話がありそうだった。穏やかな目で訪問者を見つめる。


「では、今日は挨拶ぐらいにしておきましょう。ここはカナタノショコ。深く遠くにある、ありとあらゆる作品達が眠る場所。今日も色々な物語が集まってきます。さぁ訪問者さん、好きなお話を手に取って。カナタノショコは今日もあなたを歓迎します」


 訪問者は何も答えることができない。彼に問うことができない。そんな訪問者をよそに、背中をとくるりと向けて、エリムは本棚の奥へ消えていった。エリムが現れたことで、この空間に何か変化が起きているというわけではない。だが彼の去った後に、一枚の紙片が落ちていた。訪問者は拾い上げる。そこには、ある物語が書かれてあった。

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