忘れられた姫君と最強の守護者

饒筆

第1話 忘れられた姫君


 明日、私は15歳になる。思わず溜め息が出た。

「あーあ。一体何がめでたいのかしら」

「何をおっしゃいます。姫様の成人をみんな心待ちにしていたんですよ!」

 お輿入れもね!

 侍女……とは名ばかりの家政婦ミラが、おたまを置いて振り返る。

「だからサッサとヘタを取ってください」

 どん!広いキッチンの片隅でのんびりお茶をしていた私の前に、ベリーの山が積まれた。私は悲嘆に暮れるふりをした。

「ねえミラ。成人を迎える姫君は普通、ベリーの下ごしらえをするものなの?他にやることがあるんじゃないかしら」

「じゃあ芋の皮を剝いてくださいます?」

「容赦ないわね……」

 ミラは私に用事を言いつけると、ぐらぐら煮える大鍋の面倒を見ながらパン生地をこね始めた。料理人のヨハンは汗をかきながら羊を解体中だ。

 家庭教師・兼・侍女頭のソフィーは館じゅうの掃除と飾りつけにかかりきりだし、執事のライモンドは普段使っていない厩の整備からテーブルセッティングまで全ての雑事をたった一人でこなす。

 あのね。でもね。この状況、おかしいと思いません?

「そもそも!たった5人で王子様ご一行をもてなすなんて、絶対無理でしょう?!」

 私は外まで聞こえる大きな声で愚痴ってみた。が、誰も手を止めないし、相手もしてくれない。

 ひどいわ。みんな冷たい——私はしょんぼり俯いて、致し方なく手前のベリーをひとつ手に取った。



 はじめまして。私、いえわたくしの名はミーナローゼ・フォン・シュバルツレーヴェ。

 大陸の北方を治めるシュバルツレーヴェ帝国皇帝の末子にして五番目の姫君……だ、そうです。伝聞形なのは仕方がないわ。だって私、両親の顔も知らないし、宮殿どころか帝都すら見たことがないんだもの。

 お母様が私を産んですぐ天に召されたため、美しかったお母様はお気に入りでしたが娘の私には興味が無かった皇帝は、赤ん坊の私をソフィーと共にこのド田舎の小さな館に放り出したのですって。はっきり申し上げて、父親としてクズです。

 以来、贈り物どころか手紙すらもらったことがありません。捨てた娘のことなど、すっかり忘れておられるのでしょう。ほほほ。笑うしかありませんわ。


「姫様!手が止まっていますよ!」

「はいはい。急ぎますわ」

 ミラったら、やさぐれる暇すらくれないのね。


 私の境遇も大概ですが、お母様はもっと不幸でした。

 北海に面したメルクシアの騎士の娘だったお母様は控えめに言っても絶世の美女だったそうで、まだ年端もゆかぬ少女のうちから求婚者が絶えず、ついにノルトライン侯爵のご長男に求められて結婚しました。そこまでは幸せな玉の輿だったかもしれません。が、そんなお母様の噂を好色な皇帝陛下が聞きつけてしまいました。

 皇帝陛下は「結婚の報告をせよ」と新婚夫婦を強引に帝都へ呼びつけた挙句、一目で気に入ったお母様を力づくで奪って手を付け、そのまま後宮へ閉じ込めてしまったのです。正直に申し上げて、良識も良心も皆無の最低すけべ野郎です。

 しかもそこで激怒したのが皇后陛下。元より嫉妬深い御方だそうですが、既に側妃が三人もいるのにまた若くて美しい愛人を相談なしに囲い、代わりに愛娘をノルトライン侯爵家に嫁がせると言い渡されて腹の虫が納まりません。そこで、むりやり後宮に入れられたお母様にありとあらゆる嫌がらせをなさったそうです。ああ、お母様はなんてかわいそうなのでしょう……悪いのは皇帝陛下ですから、八つ当たりは全部そちらにやり返せばいいのに。

 そうしてお母様は愛の無い略奪と苛烈なイジメのせいで心身ともに弱り果て、私を産んですぐに身罷ってしまいました。美人薄命といいますが、あまりにも不憫です。皇帝陛下を呪っていいかしら。どう考えても陛下はお母様の仇ですわ。


 ぶちっ。

「あっ!」

 つい力が入って、ベリーを潰してしまいました。

 甘酸っぱい香りが広がります。

 この裏庭のベリー、甘くて美味しいのよね……。

 お行儀が悪いのは承知で、こっそり指を舐めました。だって、明日が来ればもう、このベリーは二度と食べられないのよ。

 きゅ、と胸の奥が痛みます。

 私は成人する日にこの館を出、婚家へ輿入れすることが決まっています。それはこの館へ送られる前に皇帝陛下が下された勅命です。何の面倒もみてくれない皇帝陛下ですが、それでも陛下のご命令には逆らえません。

 はあ……嫌になるわ。私の人生は最低最悪の皇帝陛下に振り回されっぱなしよ。

「ひ・め・さ・ま!!」

 雷鳴のような低い声が聞こえたので振り向けば、まあ怖い。こちらを睨むミラの顔が鬼神のようです。

「わかっています。一生懸命やっていますわ」

 私は肩をすくめてヘタ取りに専念することにしました。



 このように、いわゆる「姫君」として当然の待遇は与えられなくても——住民より牛や羊の方が何倍も多いこのド田舎の小さな館で、ソフィーとミラ、ライモンドとヨハンの4人と過ごす日々は、私にとって穏やかな幸福に満ちたものでした。

 なだらかな丘の上の館は隅々まで明るく手入れが行き届いていて、広いお庭は自然が豊か。お天気の良い日は駆け回っても叱られません。ソフィーにお作法やお勉強を習い、ミラにくっついて家事を手伝い、ライモンドにわがままを言っては割と何でも叶えてもらい、毎日ヨハンの美味しいご飯やおやつを食べて、のびのび大切に育てていただきました。実の両親には縁がありませんでしたが、私には二人のお母様と二人のお父様がいるのだわと思えば不思議と寂しくありませんでしたわ。おかげで、豪奢な宮殿の華やかな暮らしなど羨ましくありません。

 でも。だからこそ。

 私がこの館で過ごせる最後の日くらい、もっと名残を惜しんでほしいのに。

 ……そう思うのは、子供じみた甘えなのでしょうか。


 ふう。ベリーの高山が、丘くらいになりましたわ。

「ありがとうございます姫様」

 機嫌が直ったらしいミラが木のボウルを並べます。

「半分はこちらへ盛ってください。煮てジャムにしましょう」

「今からジャム?わざわざ煮るの?」

 私が小首を傾げると、ミラは笑って

「そうすれば、嫁ぎ先にも持って行けるでしょう?」

 と言ってくれました。

 まあ嬉しい!私はミラのふっくらした体に抱きつきます。

「ありがとうミラ!私、毎朝そのジャムを食べてここを思い出すわ!」

「……もう、姫様は子供じゃありませんよ。妃殿下になられる御方が何をなさるんです」

 ミラはぶっきらぼうに背中を向けるけれど、それでも私はミラがこっそり目尻を拭くのを見てしまいました。ああ良かった、ミラも寂しいのね……いやだ、私ももらい泣きしそう。(ぐすん)

 涙を堪えるために顔をあげ、窓の外を眺めれば——青く美しいアルブレヒト山脈が今日も悠然とそびえ立っています。

 万年雪が輝く頂を見つめ、私はまた溜め息を吐きました。


 明日、私が輿入れする先はあの青い山々の上にある聖ハイランド王国です。

 聖ハイランド王国は、アルブレヒト山脈に眠る聖竜を守護する、由緒は正しいけれど小さな小さな国なのですって。あんなに高い山の上にあるのですから、さぞかし冬は寒いでしょうね……。

 ご親切にも直々に私を迎えに来てくださる婚約者、聖ハイランド王国王太子殿下の人となりも気になります。絵姿を見る限りでは蜂蜜色の髪の優しそうな御方ですし、毎月きちんとお手紙をくださるあたりは真面目な性格なのでしょうが……絵姿は絵師がとんでもなく美化して描いたかもしれませんし、お手紙だって誰かが代筆したかもしれません。疑いだしたらきりがありませんわ。

 まあ……期待して失望するのが怖いのなら、最初から期待しなければいいのよね。

 私は瞳を閉じて、こっそり神に祈ります。

 どうか人妻を奪ったり娘を捨てたりする外道でありませんように。もうそれ以上は何も望みませんわ。


 ちっともおめでたくない誕生日を前に、私はますますふさぎ込んでしまいました。


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