瑠利子と出会って俺は、ペアリングの課題の事だけでなく、自分の『血等』や、かつて死にそうになった事、吸血鬼が怖いということ等、全て彼女に伝えていた。

 その懐かしい記憶から俺を呼び戻すように、瑠利子が俺の名前を呼ぶ。

『思い出した? とーま?』

 思い出した。完全に思い出した。思い出した、が、それでもまさかという思いが胸の内から溢れ出してくる。

 確かに瑠利子は、親の都合で転向するまでの三年間、俺の言うことに一度たりとも文句を言わず、ただただ従い続けていた。

 しかし、だからといって、それから六年も経った今、まさかずっとその考え方で、誰かの指示を受けるまで、自分で考えずに行動しているだなんて、想像もしていないし、出来るわけがない。

 でもきっと、瑠利子の根底には、俺とのこの会話が刻まれ、今も刻まれ続けていたのだろう。だからこそ瑠利子は、俺のせいだ、と言ったのだ。俺の言う通りにしろと言った、この俺に。

『だからさー、とーま。責任、取ってよねぇー』

「責任って……」

 瑠利子が電話越しに、微かに笑う。

『だって、今あーし達が組んでるのって、そーゆーことじゃん?』

「……どういう事だよ」

『あーしの成績が悪くなって、あーしの居場所が無くなりそうになった。そんな時、またとーまが来てくれたわけじゃんっ! もうこれは、神様がとーまに責任取れ、って言ってるよーなもんっしょぉ?』

「……とんだ神様も居たもんだ」

『そーでもないよ? 優し―、神様だよぉ』

 瑠利子は小さな声で、何か大切なものに語りかけるように、そう言った。

『昔みたいに、またとーまが居てくれる。だからあーし、学校が好き。ペアリングの課題をやってる、皆と一緒に居る、あの雰囲気が好き。とーまは辛いかもしれないけど、あーしは、皆でお菓子食べてワイワイするの、もっと、好き』

 瑠利子が寝返りでも打ったのか、衣擦れの音が聞こえてくる。

『やっぱり、とーま、凄いよ。とーまが居ると、一緒に居ると、色んなものが、もっと好きになる。どんだけ頑張っても出来なかったペアリングの課題も、とーまと居ると、皆と居ると、楽しーの。ほわほわするみたいで、難しー事、考えないでよくって。本当は、ダメなんだけどねっ。考えないと。とーまが居るのに、皆が居るのに、課題、上手く出来ないやぁ。とーまの言う通り、あーしが皆の足、引っ張ってるのにさーっ』

 誰が聞いても空元気にしか聞こえない瑠利子の声は、次第に引き攣き、鼻を啜る音が混じっていった。

『あーしだって、このままでいーなんて、思ってないよっ。あーし、皆と一緒に、居たい。居てもいい、あーしが居てもいい、居場所が欲しいよっ。でも、どーしたらいいのか、わかんないの。今まで考えてこなかったから、わからなぃ。とーまに頼りっぱなしだったから、あーし、どーすればいいか、わっかんないよぉ……』

 嗚咽の様な声を上げる瑠利子の言葉を聞きながら、俺は全力で歯を噛み締める。

 ……まさか、幼稚園の俺だけじゃなく、小学生の俺も過去に戻ってぶん殴ってやりたくなるとは、思わなかったぜ。

 かつて吸血鬼に血を吸わせた事と同じレベルで、俺は初対面の瑠利子とした会話の内容を、悔やんでいた。これ程までに、俺の言葉が瑠利子を縛っていたなんて、完全に想像の埒外だ。小学一年生だった時の俺に、そこまでの配慮が出来たかどうかという疑問はあるが、事実として、俺は自分が、これ程他人に影響を与えるような存在だとは、思っていなかった。

 影響を与えると言っても、俺は偉人や天才ではない。ただ、相手の気持ちに立てなかった、思いやりの欠片もない人間だったと言う、それだけだ。初対面の吸血鬼に対して、自分の傍に来るのを許さなかった俺は、俺の事しか考えれない、自己中野郎。それが俺だ。

 でも、だからと言ってこのまま瑠利子が泣いていてもいい理由にはならないし、この先俺の言葉の呪縛で瑠利子が苦しめられ続けていいわけがない。いいはずが、ない。

「敵に塩を送るって言葉の意味、知ってるか?」

『……え、何?』

 唐突にそう言った俺の言葉に、瑠利子は戸惑ったようにそう返した。

「敵に塩を送るって言葉は、例え敵であっても助けるって、そういう意味なんだってよ」

『……意味、わかんないよ、とーま』

「敵ですら助ける言葉があるのなら、お前がお前を助けれないわけがないだろ? 瑠利子」

 一瞬間が空いたが、やがて俺の言葉の意味を理解した瑠利子が、慌てたように言葉を紡ぐ。

『だ、だから、無理だよとーま! あーし、何考えたらいいか、わっかんないもんっ!』

「だから、その方法を、教えてやる」

『……え?』

 一瞬呆けた様な声を出したが、次の瞬間、食い気味の声がスピーカーから流れてきた。

『ど、どうすればいいのっ!』

「重要なのは、目的意識だ」

 そこで言葉を切り、俺は更に言葉を紡いでいく。

「何故それをするのか? 何のためにするのか? お前がペアリングの課題をクリアしたいのは、何のためだ?」

『学校が、好き。あーし、皆ともっと一緒に居たい。お菓子食べながら、おしゃべりしたい! だからまだ、ここに居たいっ!』

「なら、その課題をクリアするには、何が必要だ?」

『敵のお城を倒す事!』

「そうだ。敵の城を倒すのに、俺達にはいくつか選択肢が与えられてたよな? それは何だ?」

『えーっとぉ、外交官、騎士、文官の三つ。でもそーた、あーしは、どれを選べばいいの?』

「どれでもいい。その三つの役割について、お前が理解出来るまで、何回でも説明してやる。だから、ちゃんと最後はお前が決めろ」

 判断を俺に委ねようとする瑠利子に、俺はなるべく優しく聞こえるように、そう言った。

 瑠利子と議論を重ねる度、夜も更けていく。途中で風呂や飯の時間も間に挟んだせいか、もうすぐ日付が変わりそうな時間になっていた。そしてついに、瑠利子のプレイ方針が、ある程度固まる。

「それじゃ、基本方針はいくつも同時にこなそうとせず、まずは一つの事に集中する。その上で、一つずつ、出来ることを積み上げていこう。そのやり方が、落ちこぼれの俺達には似合ってる」

 議論をそうまとめた俺の言葉に、瑠利子が嬉しそうに反応する。

『……凄い。何だかあーし、明日、やれる気がしてきた! 凄いよとーまっ! やっぱりとーまの言う通りにすれば全部解決だねぇっ!』

「お前なぁ……」

 思わず、脱力した声が零れ落ちた。これだけ時間を掛けても、六年分の俺の言葉の呪縛は中々解けないらしい。

「一人で妙案が出なけりゃ、皆で考えればいいんだよ。それが協力ってもんだ。何も、俺だけの言葉に縛られる必要はない」

『でも、あーしのしたい事の為に、誰の言葉を選ぶのかは、あーしが決めるべきなんでしょぉ? ならあーし、とーまを選ぶぅっ!』

「……お前なぁ。そんな事で、将来どうするんだよ」

『いーもん! あーし、しょーらい、宝くじ当てて、その元手で土地貸し出して、引きこもって生活すっるもーんっ!』

「最初の一歩目がハードルありすぎるだろ!」

 そう呆れるものの、瑠利子の今の言葉で、俺は将来の選択肢が広がった気がした。引きこもって生活できるのであれば、俺は吸血鬼と接することなく生きていくことが出来る。

 流石に宝くじを当てるのは現実的ではないが、株やFXといった投資なら、まだ可能性があるのではないだろうか?

 ……でも、元手は絶対必用だよな。それに、本気でやるなら、経済の事も勉強しないといけない。なら大学は、経済とか経営学部の方が良いのか?

『とーま? どーしたの?』

「……悪い。ちょっと考え事しててな。そう言えば、俺が学校、退学したくない理由、言ってなかったな」

『どーせぇ、吸血鬼と関わり合いになりたくないから、とかでしょーぉ?』

 僅かばかりの逡巡もなく瑠利子にそう言われて、俺は思わず笑ってしまった。

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